図書当番の業務は滞りなく進められていた。蔵書の点検は私の方が5分の1を終えたところで、日本文学系のコーナーが終わったところだ。私が担当するのはあと歴史書のあたりだった気がする。ちらりとリストを見れば、歴史書の所がマーカーで黄色く塗られていた。その他の場所は黒川君と図書館管轄の先生二人が行っている。中学校の図書室の本の量は高々知れているもので、四人で行えば楽に終わるものだと知る。あんなにたくさんあった本がもうほとんど背表紙が上になっているのを見て、私は少しだけ圧倒された。作業を進めている先生たちはものすごいスピードで行っているので、もうほとんどの場所は終わっているのではなかろうか。黒川君はと言えば、私がこれから担当する場所のすぐ近くで座り込みながらタイトルと蔵書番号を照らし合わせているのがここからちらりと見える。不意にどきりとして(ああ、かっこいいな)なんて思った自分がいて、はたと気づく。 私は今、何を考えているのだろうか。 どきどきとする心臓を押さえながら、私は次の場所へと移動した。しゃがみこみながらリストと本を照らし合わせていけば、私が残り数冊まで来たところで先生たちが終わったらしく、「さん、こっちは終わったけどそっちはどう?」という声が、カウンターの方から飛んでくる。確認した本を、とん、と背表紙が上になるように急いで倒していく。リストにチェックを入れる。最後の一冊を倒し終えたところで、私の仕事は終わった。ふう、と息を吐いて黒川君の方を見る。リストにチェックを入れたのが見えて、顔を上げる黒川君とぱっちりと目が合ってにこりと微笑まれる。不覚にもどきりとする。どうやら黒川君は作業が終わったらしい。 「こちらは粗方終わりました」慌てて私が言えば、黒川君がクスクスと笑った。 「ちょっと休憩していかない?」先生がくいっと何か撮んで持ち上げるような動作をする。どうやらアレのようだ。「手伝ってもらったお礼にティータイムでもどう?」 「わぁ、本当ですか! やったあ!」 きゃっきゃとリストを持って、はしゃいでしまう。これがはしゃがずにいられるだろうか。まさかティータイムに誘われてしまうなんて。私は黒川君の制服の袖を掴んで、ずるずると引っ張りながら先生のいるデスクへと身を乗り出した。なんて気前のいい先生なのだろうか、大好きだ! 「そうね、とっておきの紅茶とコーヒーを用意するわ。もちろんお茶菓子も、ね」 出されたお茶菓子をおいしくいただき、優雅なティータイムを終えた私と黒川君は図書準備室に別れを告げて、廊下へと出た。スタスタと先を歩いていってしまう黒川君に、ぼんやりとしながら歩調をあわせつつついていく。おいしくいただいたお茶菓子は、なんと桜の形をした和菓子で、こんな高価なものをいただいてもいいのだろうかとどぎまぎしながらいつも通りのコーヒーブラックをお供にいただいてフォークでおいしくいただいた。あの控えめの甘さといい、色鮮やかな形と言い、なんと美しい芸術だろうか。こんな素敵なものが食べられるなんて図書委員も捨てたものではない。と、ちょっとだけ思った。まあ好きじゃないとできないとは思うんだけれど。 黒川君はと言えば、いただきます、とごちそうさまでした以外には口を開かず、もしかして普段は無口な人なのかもしれないとこっそり思ったくらいだ。それ以外は至って普通にカッコいいとかワイルドだとか、そういう形容詞が似合うような雰囲気をまといながら、『いつも通りの黒川君』がそこにいた。 喋ろうにも、何と声をかけていいのか分からない。他愛のない話を口にしてしまえば会話が続くのだろうか。止まってしまった会話のその後を流れていく沈黙が、少しだけ気まずいような居心地の悪いような、なんとなくもどかしい気持ちのまま、しばらく時間が過ぎていく。ぱたんぱたんと階段を下りていく音がこだまして、ぱたんぱたんと天井に響く。降りていく黒川君の背中が、少しだけ遠くなってしまっているような、そんな錯覚にちょっとだけ陥った。私は何を考えているのだろうか。黒川君は黒川君じゃないか。 「ってさ」 急な黒川君の言葉に、私はひっと奇妙な声を上げて立ち止まる。驚いたと言うよりも、反射に近いものだった。黒川君はその私の様子にケラケラと「何そんな驚いてンだよ、」と笑った。私は一歩階段をおりながら、「ちょっと考え事してたの」と体裁を取り繕う。黒川君はヘイヘイ、とそれを笑いながら軽く流して、階段の壁にもたれかかりながら言葉をつづけた。 「あー、いや悪ィ、やっぱなんでもねーわ」 「そっか」 結果論としては、それからの会話はどことなくぎこちなく、ぽつりと何か言っては止まり、言っては止まり、といったように狂った時計の針のように続いた。黒川君が振り向くたびにどきりとする、私の心臓はどうしてしまったのだろうか。こんなふうに、ぎゅうぎゅうと締め付けられてしまう事なんて今までになかったことなのに。私がそれ以降の会話の記憶のないのは、おそらくそのせいなのだろうと思う。せっかく話してくれているのに、話の内容の半分以上も頭にないなんて、失礼な奴だと思った。階段をぼんやりと歩きすぎて、途中何度か足を踏み外しそうになって、黒川君にぶつかりそうになった。それでも、話の内容は覚えていない。でもしばらくの間、確かに沈黙は続いていた。 沈黙が永遠かと思えた時、すでに階段は降りきっていた。無言でいる瞬間が、どうしても私は居心地が悪くて息が苦しいけれど、会話が何も頭に入ってこないのでは黙っているのも喋っているのも大差はなかったのかもしれない。それでも、沈黙と言うのは、やっぱり苦手なのだ。相手がどこか遠くにいってしまうような、そんな気がするから。 「じゃ、じゃあね!」 それだけ言うのがそのときの私にとってはいっぱいいっぱいで、私はその場を走り去るように逃げてきてしまった。 |