「すいません」


 私は何故こんなに怒られなければならないのか、必死に思い当たる節を探していた。ぺこり、と頭を下げてから思い出す。そうか、あの時の人だと気づいた時にはやはり既に可愛らしい顔をした彼の表情は怒りの形相に歪んでおり、取り返しようの無いくらいに眉間にしわがよっていた。私は一度頭を上げかけて、彼と目が合いそうになってちょっと気まずい雰囲気になりそうなので目線をひょいっと逸らした。


 「黒川くんと、あなたの名前、聞き間違えてたんです」
 「はぁ? 本気で言ってるの、それ。だとしたら相当な阿呆だね、その脳みそ新しいのに取り替えてもらったらいいんじゃない? もしくは耳鼻科にでも行って耳でも直してもらって来たらどうなんだよ。だいたい僕を呼び出しておいていきなり逃げ出すなんて間違ってるだろ!?」
 「すいません…」
 早く終わらないかなあ、笑点始まっちゃうなあと思っていると再び彼の口から言葉の雨が飛び出す。もういいので早く帰りたいです、と一言言えば済みそうだけれど恐らくこの人は逆上して更に喧嘩腰になるタイプだと本能が継げている。私の今までの色々な経験上それは確実な事実だと思えるけれども、それは至って役には立たない事実だった。人に八つ当たりする事はないじゃあないか、そもそもあなたを呼んだのは先輩であって私ではない。確かに私は名前を読んだかもしれないがそれは不確定要素であるから、わざわざそんなに怒られる必要性も感じられるものではないけれどきっとこの人は温室育ちだから「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言ったような女王様のような性格なのだろう。別にアントワネット嬢を攻めるつもりはさらさらないし寧ろ彼女は好きなのだけれど、なんとも迷惑極まりない。
 私はため息をつきそうになったのだけれどもため息をついてしまったら更にこの言葉の雨に拍車が掛かってしまうのだろうと吐き出しそうになった息をこらえて俯いた。ゆっくりとため息にならないように慎重に息を吐き出す。ここで怒らせてしまったら今までの苦労は水の泡だ。頑張ってこらえなければ。


 「っていうかさ、何で『黒川』と『椎名』で聞き間違えるんだよ。頭大丈夫かよ、お前」
 「え」
 校舎の後ろの時計が目に入る。それは三時半を示していた。
 マズイ。
 非常にまずい。


 「まさかと思うけどマサキ目当てなわけ? あーやだやだ、そういうの最低だよね」
 「ちょっと待ってください、私は助けてもらったお礼が言いたかっただけです。あなたと名前を間違えた事は謝りますが、それ以上のことをつべこべ言われる筋合いはありません」
 笑点が始まってしまう、と私は心の中で呟いた。もう何にも怖くはない。早く帰らなければいけないという想いが私を突き動かしていた。今日は師匠が司会をするのだ、見逃す事など誰が出来ようものだろうか。さあ今、三時半だから走れば余裕で間に合う。早くこの途方もないマシンガントークの先輩にケリをつけて帰らなければならない。
 「喧嘩売ってるわけ?」
 「お言葉ですが喧嘩を売っているのはあなたのほうに思えます、予定があるので私は帰らせていただきます」


 ぽかんと取り残される彼に「さようなら、」と私は一言言うと彼を一瞥して早足で校門へと向かう。ああ、こんな事ならばもっと早く教室を出てもっと早足で帰っていれば良かったのに。それもこれもやっぱり翼先輩のせいだ、そうに違いない。彼に絡まれていなければ、私は屋上で授業をサボる事もなかったし先生に理由を聞かれてしどろもどろになりながらも「体調が悪いので保健室で休んでました」と嘘をつかなくてもよかったし、先生もそれを信じてよしそうかなんて言う事もなかったし、私がだらだらと先生に引きとめられることもなかったはずだ。けれども彼がいなければ、私は黒なんとか君(さっき翼先輩が言っていた)にお礼を言う事が出来なかったわけだからこれはプラスマイナスゼロということにしておこう。そうしよう。しかし私は結果的に先輩に喧嘩を売る形になってしまったのだけれども(これは私が一方的に悪いかもしれないけれど、)そんなに怒られる事もないじゃないか、何て世の中は理不尽なんだとぷんぷん怒る余裕もなく私は笑点の事だけを一心に考えていた。


 先生に貰ったチョコレートなんて教室で食べなければよかった、ああ持って帰って食べたらきっと彼に目をつけられる事はなかったかもしれない。でもあの様子からしてきっとどうやったって私は見つけられて引き止められていたことだろう。舌の先に甘い甘いミルクチョコレートの味がまだ残っている。ああ、あまったるいなあ。やっぱりチョコレートを食べるなら、コーヒーが欲しいんだけれどそんなに贅沢も言ったら駄目かなあ、なんて少し考えながら私は帰路を早足で進む。
 どうか、四時までには間に合いますように!


 私は心の中で盛大に祈りながら、進む。

























舌先にチョコレートの呪い


(20100409:ソザイそざい素材 そんな訳で翼さんマシンガントーク編(