つまらないうえに、くだらない、知っている範囲のだらだらとした授業を受けて下校する時間になった。やっと終わった、と私はふうと息をつく。実に無意味な時間だった、まだ自習のがためになるのではないだろうかなんて思った時にチャイムが丁度よくコーンコーンと鳴った。結果的に私の授業態度は先生の事をじっと見ているだけで真面目に授業を受けているように見えるらしいので、特段これといって特記するべき事は無い。成績は上々、強いて言うならば調子さえ良ければ学年で十本の指には入るくらいの平凡な成績だ。まあそうだろう。中学校なんてピンキリなのだ、きっと高校に比べればこれくらいの順位は極めてどうってことのないものなのだろう、というのは私個人の見解である。
 たまにある三者面談には決まってマンションの隣に住む、『奥さん』こと奥村さんが参加する。自由奔放な母の唯一無二の親友である奥さんは私の母のふりをして三者面談に望むように母から伝言があるらしく、「仕方の無い人よねえ羨ましいわ」といつものようににこにことしながら微笑むのだ。奥さんに成績を見せても「あら、うちの子よりいいわア」なんて言うばかりだ。特にこれといったコメントは無い。それにしても奥さんがなぜあの母のような人と友達になれたのかが私にとっては最大の謎であるが、それは深く追求してもいたちごっこのようになりそうなのでこのあたりでやめておく。
 そんな訳で、ご覧の通り両親は海外へ出張してばかりで子供の成績なんて見るような人ではないし、周りの親戚にも特に成績がどうのこうのと口を突っ込んでくる人もいないので私はあまりこういうのに鋭い方ではない。自分自身、人間だからこそ完璧ではないと言う妙な屁理屈で無理矢理納得しているもののイマイチこういう成績をつけるという行為やシステムがよくわからなかった。
 人によって得手不得手があるのは当たり前の事で、それを単純に数値化して記号のように扱うと言うのは果たして正しいのだろうか。私ははなはだ疑問に感じる。こんなテストとか暗記とかするだけで将来について色々な事が決まってしまうと言うのなら、この成績表をつける教師は皆神のような存在ではないか。なんと言っても人の運命を左右するほどの決断をしてしまっているのだから。……――というのは少し極論すぎただろうか。さて、こんな事を考えているうちにホームルームが終わった。
 明日も元気に学校にきましょう。解散、さようなら。




 私が名前を覚えている数少ない友人たちは挨拶が終わるやいなや、「ばいばーい」と言いながら私に向かって手を振って去っていった。何だか、みんなそろってどこかの運動部に行くらしい。何とか先輩がかっこいいんだよ、と言われたけれど生憎人の名前を一度聞いたくらいでは憶えられない私はそんな名前は聞いた事が無かった。「その人、芸能人かなにかなの?」と今まさにグラウンドに行こうとするクラスメイトの四人組の彼女たちに聞けば、知らない事が異常でもあるかのような反応をされる。


 「うそ、知らないの! 超有名人じゃん」と、少女A。
 「あ。でも仕方ないよ、だってちゃんだし」と、少女B。
 「そうだよね、ちゃん興味ないからクラスの男子すら名前覚えてないのに先輩とか知らないよね」と、少女C。
 「でもほら、それこそちゃんが憶えたら大問題だって! 両方のファンが恐ろしいもん!」と、少女D。
 「言えてるよそれ、マジ怖いじゃん。じゃあちゃん、聞かなかった事にしてここは一つやりすごしてね!」
 少女A(名前がわからないので、そう仮定しておこう)が私の肩をぽん、と両手でつかむ。
 「え?」
 めの前で繰り広げられるめまぐるしい会話に私が呆けていると、少女Aはバチッと長いまつげのくりくりとした目ででウインクして、ぐいっと顔を近づけてきた。そもそもファンって何だろう、と言う疑問点がぐるぐると頭の中で旋回していて私はもうその先輩がどうのこうのどころではなかった。まず第一は自分の身が安全な所にいたいというのが私だ。面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁、というところである。
 「ちゃんには、みんなそのままの穢れないちゃんでいて欲しいって事だよ」
 「う、あ、はい」
 私が曖昧に返事を返すと、彼女は納得したようにキラリと光るような笑みを返した。


 「分かればよし! じゃあねえ」
 彼女はひらひらと手を振りながら去っていく。ひらりとスカートを翻して、とてとてと四人そろってきゃあきゃあと黄色い声を上げながらグラウンドへと向かって行った。私はグラウンドを眺める。グラウンドでは運動部が練習に励んでいた。中に、彼女たちの目的の先輩がいるのだろう。私はぼうっとしばらくの間グラウンドを眺めていると、すぐに彼女たちが外へかけていく姿が見えたのでそれを目で追ってみる。よく見れば、グラウンドの隅に人だかりが出来ており、その人だかりに紛れてぴょんぴょんと飛んだり跳ねたりしている。誰かがボールを蹴ると、「きゃあああああ」とけたたましいような黄色い声が上がっているのがここからでも聞こえる。きっとグラウンドから聞いたらけたたましいくらいではなく耳をふさぎたくなるような声なんだろう。あんなに応援がついて、嬉しいやら迷惑やら分かったものではないなあと私は客観的に思った。主観的に思えば、私ならとても嬉しいと答える。あの子達一人一人と握手をして帰る。そんな感じだ。
 しかしまあ、客観的に見るといかにはしたないかと言うものが浮き彫りになって見えてくるのでこれ以上見るのはやめよう。と思ったときだった。ふと、見覚えのある人影が目に映る。浅黒い肌、黒い髪、そして鋭い目。


 「あ!」


 私は急いで窓に駆け寄って窓を全開にする。ぐいっと身を乗り出して確認しようと、彼の事を目で追う。まさか、とは思うけれどもそっくりだった。興味の無い人は大抵の場合見間違えるけれど、助けてもらった人の顔は忘れないのが私だ。もしかして、みんなあの人を見に行ったのかもしれない。こうなったら、話は違う。私は急いで身を乗り出していた窓から、自分の机へと戻りもう既に荷物を全部詰めてある鞄を片手にグラウンドへと走り出した。教室にはぽつぽつと掃除の人が残っているくらいで、急に走り出した私を見て、「あ、ちゃん、帰るの? ばいばーい」とか呑気な事を言っている。私は「ばいばい!」とにこやかに手を振って、グラウンドへと急いだ。






 下駄箱で靴を替えて、パタパタと私はローファで走り出す。
 ひらひらと揺れるスカートのひだで少し走りにくかったけれど、私がぱたぱたと走っていくと友人たちはきゃあああ!と気持ち悪いほどけたたましい音響装置のような声を上げている最中だった。私は思わず、うわ、と思って耳をふさぐ。どこからそんな声が出るのか、不思議で仕方なかったので今度聞いてみようと思う。みんな演劇部の練習にこっそり参加しているのではないだろうか。私が耳をふさぎながら近づいていくと、友人の一人が私に気づいて手を振った。

 「ちゃん! こっちこっち」
 何がこっちなのか分からないけれども、手招きされてしまったので行かないわけにはいかなくなってしまった。私はしぶしぶ彼の姿を目線で追いかけながら彼女に近づいていく。近くまで行くと、ぐいっと彼女に腕を引き寄せられて、一番前の最前列でキャアキャア言う女子に囲まれながら肩身の狭い思いに苛まれる事になってしまった。何てことだ。周りからも、私の名前がちらほらと囁かれててとてもいづらい雰囲気全開だ。
 「ほら、あの一番カッコいい人あれが翼さんだから」
 はあ、っとうっとりしながら話す彼女の指の先には結局三人四人人がいたのでどれがその人か分からない。でもきっと一番カッコいいからあの人だろう。他の二人はカッコいいと言うよりも、可愛いとか明るい、元気とかそういった表現の方があう。カッコいいなら、あの人だろうな、なんてぼんやりと思った。



 「ああ、あの人が」
 私は浅黒い肌をした彼を眺める。そうか、あの人は翼さんという先輩なのか。確かに背も高いし先輩っぽいなあ、と思いながら彼をじいっと眺める。サッカーをやっているからあんなに強いのだろうか。すごいなあ、なんてぼうっと呆けていると、少し目線があったような気がしてぎょっとした。びくっと肩が震える。やはり、こんなに凝視していたらこちらに気づかれるだろうか、なんて思いながらもまあ制服だし大丈夫だろうと私は高をくくる。それでもそこまで勇気のない意気地なしの私は、友人に「も、もう行くね!」と言ってそそくさとその場を後にした。
 「ばいばーい! また明日ね」と、恐らく教室であった少女Aが私に手を振った。
 「ばいばい!」
 私が手を振ると、そこにいた女の子たちがこっちをバッと見て「翼さんはあげないよ!」とか「またきてね!」とかなんとか叫んでいる。生憎私は聖徳太子ではないので何十人もの言葉を一度に聞き取ってそれに正しい返答をする事なんて人間離れしたような神業は出来ないので、にこにこっと笑って手を振った。みんな手を振ってくれた。いい人たちだなあ、と思って私はひらひらとスカートを翻しながら走って家へと帰る。

























翻るスカートのミラージュ


(20100312:ソザイそざい素材 そうか、彼はそういう名前なのか(