そうだ、インスタントのコーヒーを切らしていたんだ。
 私はがさごそと、キッチンのいつもコーヒーが顔をのぞかせている上から三番目にある食器棚の棚の空席をしょんぼりと眺めてため息をついた。なんてことだろう、コーヒーの無い人生なんて信じられなかった。私は帰り道に買ってこれば良かったのに、なんて思う。こうやって後々から後悔するのだから、帰り道に買ってきてしまえばよかったのだ。後悔先に立たずなんてことわざもあるくらいなのに。まあ意味は忘れてしまったけれど、今は関係ないからよしとする。そんなものはテストの範囲の所だけ適当に憶えておけば何とかなるのだから。
 私はキッチンからいったん離れて私の部屋へと向かい、鞄の中に入っている財布をすっと抜き出して中身を見る。1000円入っていればコーヒーは大丈夫。あと余分なものを買わなければ今月は乗り切れるのだ。コーヒーの無い人生なんて考えられなかった。要するに依存症なのだ、私は。コーヒーによほど入れ込んでいる。私は財布を上着のポケットの中に入れると、勉強机の横にかけてあるレースのような生地のストールを首にふわりと巻いた。ジャケットに袖を通して全身鏡の前に立って自分の姿を見てみる。まあコンビニくらい出しこれでいいか、と私は鏡の中の私を眺めた。ワンピースとジャケットにストールでここまで何とかなるのだから、ストールを考えた人はとても天才だと思った。私は部屋をぱたぱたと駆け出して、玄関口で適当な茶色の合皮ブーツに足を通す。
 がちゃり、とドアを開けて鍵を閉めた。




 「さて、と」
 ここのマンションから近くのコンビニまでは徒歩五分。比較的便利な位置に全国チェーンのコンビニがあることから、そのコンビニの利用者は多い。しかし、あまり近隣住民は寄り付かない『いわくつきのコンビニ』だった。それでも、近いものは近いのだからいいのではないかと思う人もいるのかもしれないし近いからここでいいじゃないかと何も気にしない人も我関せずといったような風貌の人もいる。だいたい、そういっている人は、不良か番町か総長か、それに近いカタギでない人間だと言う事もこのマンションの住民は、よく心得ていた。学習能力は皆低いわけではない。一人過ちを犯してしまえば、皆が警戒心を持ち近寄らなくなる。まあ要するに当たり前の事なのだけれど、要約すると近くのコンビニに行きたいけれど怖くて行けないということ。


 しかし、今回は至急コーヒーがいるのだ。ガタガタ弱音をはいている場合ではなかった。
 スーパーに行くには電車が必要だし、デパートなら車で行かなければ行けない。都会の癖にそこそこ郊外に外れたこの位置にあるマンションは、住みやすい環境でありながら、実は買い物に行きづらい環境でもあった。まあ母はその類ではないらしいが。


 細いのか太いのか分からないような、中堅の車が二台ギリギリで横を通る事が出来そうな道路を私はぽてぽてと歩いていた。麗らかな春の日差しだと思っていた外の天気は、あながち間違ってはいなかったのだけれど、5月だと言うのにぴゅうぴゅうと強い春風のようなものが吹いてきて頬を刺すようにつめたい。あれ、春じゃないの。私は首をすくめて風を乗り切る。
 ストールがぱたぱたと風に靡いて、ゆらゆらとゆれる。


 向かって右側、タバコ屋の隣にコンビニの看板がうっすらと見えてきた。いよいよか、と歯を食いしばって気合を入れた。ぺちゃくちゃとコンビニの前でたむろする学ラン姿の学生が三人、いかにも、と言う座り方で座っている。この、いかにも、というのは髪型、頭髪の自然ではない金色ないし茶色、その気崩した学ランからおどろおどろしく見える派手な柄のシャツだったり耳に開けられたピアスであったり、ケラケラと笑う笑い声から想像できるものである。私は彼らに視線を向けられたような気がして、少し足がすくんで立ち止まりそうになったけれど、ぐっとこらえて進む。
 コーヒーのためだ、我慢。


 俗に言う不良と言う彼らの横を何となく自然な雰囲気を装いながら通り過ぎてコンビニの自動ドアがウィーンと、開く。ふと国の名前みたいだなと考えた。
 そういえば彼らに睨まれたようなガン飛ばされたような気もしたけれど、私の気のせいだと思うので、あえて無視しよう。きっとあれはジャガイモなんだ。…カボチャでもいい。カボチャが店先に飾ってあるコンビニなんて、ハロウィンみたいで素敵じゃあないか。私は迷わずにレジを通り過ぎて、やはり不良のような装いのコンビニ店員と、何人か見せの中にいる強面の人を通り過ぎてコーヒー売り場へと早足になりながら向かった。
 大好きなコーヒーのメーカーを探し、それのタンブラーのようなパッケージのひとつを手にとってレジへと向かう。かわいらしいロゴのついたそのコーヒーは私が飲んでいる中でも一番のコーヒー。ちなみに私はブラック無糖を推奨。甘いものは、嫌いではないけれど少し苦手だ。気持ち悪くなるから。


 レジに商品を出すと、無愛想な店員がそれを受け取ってチッチとバーコードをレジスタの機械で読み込む。値段が表示される。


 「183円になります」
 店員の声が店内に響く。私はあたふたとしながら財布をジャケットにあるポケットの中から取り出して、二百円玉を払った。「袋はごいりようですか」「いりません」
 私は店員に店のロゴマークが書かれているテープを張ってもらうと、商品とおつりを受け取る。適当におつりを財布に入れて、財布をポケットの中にもどす。
 「ありがとーございましたー」


 妙に間延びしたその店員の声を聞きながら私はぼうっとしながら、開けていないコーヒーを手に持って自動ドアをくぐる。
 「オジョーちゃん、」
 「キャハハ何してんの、リョウジ馬鹿じゃね」
 「馬鹿はお前だろ」
 「違いねぇ、サトルだ!」
 キャイキャイと妙に騒ぐ不良を傍らに(いや、カボチャたちを傍らに)、私はそこを通り過ぎようとした。しかしそうも問屋が卸さないようだ。
 「ね、君なんだけど」
 「そうキミキミ」
 「そうそう」
 私はぞうっと背中に悪寒が走った。
 ちらりと目線をカボチャのほうに向けると、みんなこぞってにやにやとした微笑でこちらを見ていた。商品を面白半分に品定めするかのような、恐ろしい目だった。しまった、目を合わせてしまった。私はアホ、馬鹿、間抜け、おたんこなす、と自分に罵詈雑言をあびせる。なんで目をあわせちゃうかな、よりによってカボチャたちと。
 彼らはそう、インテリアの一部にすぎないのだから目などあわせてはいけないのに。
 「暇ならさ、俺たちと」
 「遊んでけばいいよ」
 「ね?」
 急に善人のような態度で私を騙そうとしているのだろうか。顔はいいんだから、真面目に授業受けていればそこそこモテるだろうに。なんて私は関係の無い事を考える。だからといって、この不良(年上っぽい)についていく気は全くおこらない。たとえ私がいくらか実年齢より年上に見られていたとしても、彼らの目にカモとして映ろうとも、ついていったら駄目だと頭の中で警鐘が鳴っている。早く逃げればいい。でも足がすくんでしまって動かない。なんて情けない足だ、と私は足元を見る。
 私がだんまりとしてその場に固まっていると、彼らはちょっと痺れを切らしたように座っている重たい腰を上げた。


 「ね、来る? 来るよなぁ、当たり前じゃん」
 「ほら、行こうぜ」
 三人いる彼らのうちの一人が、私の、コーヒーを持っていないほうの手を掴む。私は驚いてそれを振り払おうとするけれど、男女の腕力の差というものは大きい。あっという間にもう一人が肩に手を回してくる。『たすけて』なんて簡単な言葉が出てこない。私はぐいっと手を引っ張るけれど、単純な腕力だけでいえば彼らの方が圧倒的に強かった。手を引っ張った反動で、私は手を回している不良にとん、と軽く当たってしまう。
 「意外と積極的でカーワイー」
 茶髪の優男にべたべたと髪を触られて何かもう死ぬのかと思った。やめてください、私そんな趣味はないの。恐ろしくてぎゅうっと目を瞑る。




 あ、もう駄目かな。そう思う。
 しかし、先程までひっきりなしに絡んできた不良は、今は何もしてこない。手は方に回っているけれど、それも軽い力へと変わって何かに気をとられているかのよう。私は恐る恐る目を開く。そこで、私は先程まであんなに絡んできた不良がある一点に対して注目しているのに気づいた。
 目をきっと鋭くして、ある一点、店の入り口を睨んでいる。




 そこにいたのは、一人の男。
 先程のレジの店員だった。

























逃げるだけならばかでもできる


(20100312:ソザイそざい素材 考えている時は何にも思わなかったのに深夜じゃないからそうでもないかもしれない。