「ウェイバー・ベルベッド君だ。これからしばらく君の面倒を見てくれる」 「ちょ、ちょっとまっ……」 「君は高潔な彼女を愚弄する気かね?」 ぐ、と言葉に詰まりギリギリと奥歯をかみしめるウェイバーに、ハッと嘲笑うかのような笑い声を漏らしたケイネスは横に佇む俯き気味の少女の背中をぽんと押して、ウェイバーの手前に押し出した。そのまま何も言わずに一礼する彼女は、稀に見るような端正な顔立ちをしている。屋敷の中でしか行動を許されない彼女の面倒を、ウェイバーが見ることになったのは彼がケイネスの弟子であるからに他ならず、目の前の少女を一人残して屋敷を空にする事を良しとしなかったケイネスの計らいによるものであった。この年で異名を持つ、かの有名な魔女の娘。その娘をベルベッド家に預けることがどれほどのリスクを伴うか、彼は分かっているのだろうか。 「いえ…」 ウェイバーはしぶしぶ俯くと、ケイネスは満足そうにウェイバーの横を通り過ぎていく。目の前の少女は、じっと、その様子を見ていた。 「くれぐれも、粗相のないように気をつけたまえ。何しろ彼女は、君と違って高貴な存在だからね。ウェイバー・ベルベッド君」 強調するように『ベルベッド君』と名前を呼んだケイネスは、ガチャリとドアを開け高笑いと共に出て行った。バタン、と扉が閉まり、そして二人その空間に取り残される。しばらくの気まずい沈黙の後に、その沈黙を「申し訳ありません、」と破ったのは少女の方だった。 「ごめんなさい、気分を害されましたよね……」 その突拍子もない言葉に驚きながらも「当たり前だろ」とウェイバーは答える。いぶかしげに少女の方を見れば、どうやらその言葉は本心から来ている言葉らしい。高貴高貴とあの講師が言う奴だからてっきりどんな高飛車な女王様かと思いきや、とんだ肩透かしを食らった気分だった。眉をハの字にして困ったようにしながら、申し訳なさそうに俯いた。 「私の事はどうぞお気遣いなく、あんな事をおっしゃっていらしたケイネス様も悪いお方ではないのです」 胸に手を当て、俯き気味にそんな聖女のようにのたまう彼女はまるで本物の聖女のように見えてくる。ウェイバーはだんだん自分が悪いような気分になってきて、徐々に重苦しくなる空気に耐えられず声を上げた。 「ああもうわかった! わかったから! そんな顔するな、ボクが悪いみたいじゃないか」 「あ、……は、はい!」 彼女は返事をするや否やはっとしたような表情になり、ぎゅうっと目をつぶって、殴られると思っただろうか両腕で顔を覆った。ウェイバーがその様子をあっけにとられて見ていると、彼女は自分に衝撃が来ないことを不思議に思ったのかうっすらと瞳を開ける。 「……殴らないの?」 「お前、殴られてるのか?」 「私が悪いの、だから」 「そういう問題じゃないだろ!」 がしっと少女の肩を掴む。あの男、どこまで外道なのか。 「え、どういう問題なんです?」 殴られるのが当たり前で、殴られないことに関して意味が分からないと言ったような彼女は、いぶかしげに眉をしかめた。それはウェイバーの言っている意味が心底わからない様子で、思わずため息をつかざるを得ない。説明することも面倒だが、後でケイネスに何か言われることも面倒だった。 「お前は気にしなくてもいい事だよ」 ため息交じりにそう答えれば、彼女はふわりと笑う。そして「そうなの、ありがとう」という言葉と共にぼすっと軽い衝撃と視界を覆う白。思わず瞑ってしまった目をうっすらとひらきながら、鼻腔をつくふわりとした花のような甘い匂いにくらりと酔う。魅了の魔術の類だろうか、うっかり彼女に引き込まれそうになっている事に気付いてハッとする。 「そうなの?」 「そうだよ」 ウェイバーは抱き着く彼女を振り払うと、ぼすっとソファに腰を下ろした。ケイネスが留守にするのは三日。その間だけ彼女と共に生活するだけでいい。という事で、ある程度の事は自分でできるらしいと聞いたが何をするか分からないので見張っていろとのことだった。少女とは聞いていたが、こんなに年端の近い少女だなんて聞いてない。17歳くらいだろうか、それほど年の変わらない女の子と一つ屋根の下に置いて、一体何が目的なんだ。 「あの」 「なんだよ」 答えてからハッとする。少女がまた怯えたような表情を浮かべているからだ。 「…ど、どうかしたのか?」 「なにか、お飲みになりますか?」 「は?」 「紅茶くらいなら、すぐにお持ちしますが」 「あ、ああ……うん、ありがとう」 ふわふわとたんぽぽのようなひだまりが、彼女を取り囲んでいるような錯覚に陥る。固有結界に近いものなのだろうか、それは釈明できないけれども、確かに彼女は稀に光って見える。それが魔術干渉によるものなのか、まだ理解はできないけれどもこの子がケイネスが進んで表に出さない最終兵器と噂されているというのも何となくわからなくもなかった。おそらく彼女が歪んだ愛され方をしているというのも。 しばらくして、彼女が紅茶を持って入ってくる。どうぞ、とティーポッドからカップに注がれて出された紅茶は、ダージリンのほどよく品のある香りがした。 「……ありがとう」 「いえ、どういたしまして」 ふわりとした笑顔は、チリ、とウェイバーの胸の端を焦がした。一口紅茶を口に含んだところで、思っていた疑問を口に出した。 「いつもこうなのか? こんな風にケイネスに紅茶を入れて、雑用みたいな事ばっかりさせられて、殴られて、嫌になるんじゃないのか?」 「わかりません。私が物心ついた時から、こうでした」自分の分の紅茶を入れた彼女は伏し目がちに答えた。「ケイネス様のおかげで生きながらえているから、文句なんて言える立場ではないもの」 ウェイバーは言葉を詰まらせるしかなかった。どういう意味か、深い意味までは分からないが、彼女にも深い事情があるのだろう。面倒な事を押し付ける師もいたものだと、頭を抱える。どうかしましたか、と彼女の心配そうな声がする。それに何でもないと答えると、彼女が隣に座った。 「ウェイバー・ベルベッド君」 「ウェイバーでいいよ」 「ウェイバー君」 「……何?」 「私の事は、と御呼びください」 「」 それが彼女の名前だろうか。名を呼べばと呼ばれた少女はふわりと人を疑う事を知らないような無邪気な笑顔を見せた。そして、ぎゅうっと飛びついてくるのも忘れない。これはケイネスの教育の賜物なのだろうか。だとしたら相当悪趣味だ。 「ウェイバー君」 「なんだよ」 「ねぇ、一緒にいてくれる?」 くいっと首を可愛らしく傾げる。同年代の友人など、作ろうとも思わなかったが。こいつ精神年齢は小学生なんじゃないのか、と思えるくらいに無邪気で自由だ。少しは危機感を持てよ。 「はぁ? どうしてもっていうなら、別にいてやらなくもないけど」 「どうしても一緒にいてほしいの」 素直にそう答える彼女からは、自分の名を鼻にかけた様子すら見つからず、これが本当にケイネスが極秘に育てている高貴な家柄の娘かといった疑問が浮かんでくるほどに歪みが無い。それでいて魔術回路も溢れ出すような魔力も一級品で、なおかつ容姿端麗の美少女ときた。どきん、と高鳴るウェイバーの心臓は口調に反して正直で、ふわふわと世間の汚さも知らずに育つ同い年の少女に少しの嫉妬を抱いたがそれは嫉妬にすらならないことに気付いた。 「わかったよ」しぶしぶ頷いたウェイバーに、彼女は抱き着く力を少しだけ強める。 「ありがと」 面倒な奴に懐かれた、と頭を抱えるウェイバー。 これはケイネスの聖遺物を奪い聖杯戦争に参加する、少し前の話。 (20111014:ソザイそざい素材)そんなこんなでウェイバープチ連載そのいち。 |