こえられるものなど無いと思っていた。
 こえられることなど無いと考えてきた。
 こえられない、そしてこえることの出来ない。こえる事すら許されず、こえられない事すらも許されない。


 それを、いとも簡単に
 単純に明快に爽快に颯爽と現れて壊していってしまったのが、彼だった。
 彼の存在など、伝説にして怪奇。まるで人々は魑魅魍魎のごとく彼のことを遠巻きにし、蔑ろにしながらも触らぬ神に祟りなしと崇め奉っている。そんな彼が、彼だからこそ大好きで大好きで仕方の無い私だからこそ、こういう無計画で無頓着で無意味な無謀ともいえる挑戦が出来るのだろう。




 「シズちゃん」
 「何だよ」


 私が高校に入学して新学期早々、一番最初だっただろう。恐れを知らなかった頃に彼の事を『シズちゃん』と親しげに呼びはじめて、イザヤが同じ呼び方をからかい混じりに『シズちゃん』と呼びはじめて、それを聞いた彼が怒って学校の机をくしゃりと潰したのはいつのことだったろうか。最初はカッコいいときゃあきゃあ騒いで近づこうとしていた黄色い声援の女子たちは一気に青ざめて嵐の去った後のように悲鳴と机だったものの残骸を残して去っていった。

 「トムさん元気してる? あ、仕事場はまだトムさんのところだよね」
 「トムさんはいつも元気そうだ。トムさんにはいつもお世話になってるからな」シズちゃんはぽりぽりと頬をかく。「っていうかよぉ、お前俺を何だと思ってんだ」
 「仕事、長続きしてないみたいな話をよく風の噂で聞くから少し心配してたけどトムさんに拾われてからうまくやってるみたいで良かったと思って」


 シズちゃんはふうん、とふところからタバコを取り出す。
 「まあいいけどよ」なんてぶっきらぼうに言いながら彼はタバコに火をつけた。


 「そうそう、この間あのヤブ医者さんに会ったんだけど」
 「おう」


 私は彼の様子を思い出した。新しくて可愛い彼の理想的な同居人がいてびっくりしたけれど(ほんとに首が無い人を彼女にしてしまうなんて)、さすがヤブ医者。けなしているわけでは、決してない。かといって褒めているわけでもないけれど、いかにも無理そうな事を有限実行してしまうなんてさすがだと褒め称えたい。でもあんまり褒めすぎると彼は調子に乗るのでこの辺でやめておこう。


 「全然変わってなかったよ、高校のまま時間がとまってるみたいな感じかな…なんていうかシズちゃんみたいな」
 「あぁ? どういう事だよ」
 「同じ空気かな、変わらないんだよね」
 二人とも、つるんでた時間が長いから。


 「お前もまあ、変わってねぇんじゃねーの」


 それは、つるんでた時間が長いから?
 それでも確実に変わってしまったのは私の中身なのかもしれない。時間が私をだんだんと角の無い丸い人間にしてゆく。それはきっとみんな同じなのかもしれないけれど、だからこそ変わってない何かを無意識のうちに持ち続けているのだろう。四角いものが丸くなったところで真ん中にあるものなんてそうそう変わるものでもないから。


 「いっつも同じニオイなんだよな、俺もお前も」
 「そうだね」


 ほんとうに、そうだね。


 だから来年も、シズちゃんと一緒にいられますように。
 明日も明後日も、シズちゃんと無事でいられますように。










この線をこえてきて



()(20100218:お題ソザイそざい素材