「ごめんねシルキィ! ちょっといろいろあって遅くなっちゃった」



 気づけば閉館時間も近かった。ずっと《深海の世》の前で何をするわけでも無く佇んでいたわたしは、聞き覚えのある声に重くなった首を持ち上げた。随分と疲労したような表情をしている彼は、どうやら私を探していたらしい。まるで長い旅にでも出て帰ってきたような表情に、わたしは思わずどうしたの、と口を開きかけてやめた。こういう事を聞くのも野暮だろう。彼の言うとおり(いろいろ)あったのだろうな、とわたしは笑顔を作る。実際に何が起こったかなどはわたしの知る余地はない。



 「大丈夫、わたしもちょっと魅入ってた」
 「もう、ほんと大変だったの。…はぁ、なんだか疲れちゃったわ」
 「そこのカフェで甘いものでも食べようか?」



 いいわねぇ、と相槌を打つギャリーに、わたしもうんうんと頷いた。疲れには甘いもの、とよく聞く。ギャリーは甘いものが好きだという事はなんとなく暗黙の了解としてわたしのなかで存在していた。かわいい女友達、それがいちばんしっくりくるのだから、彼はなんだか不思議だ。近づいた時にふわりとかおるお香のような甘い香りは、煙草か香水か。とてもいい香りがする。目的であるカフェテリアはここから五分のところにあって、ここがまた隠れ家のような落ち着いた雰囲気のオシャレなお店なのだ。ツタと煉瓦と、そして黒い柵に木の看板。そんなメルヘンチックな外装に、わたしは一発でノックアウトだった。恐らくギャリーも同じだろう。こういうところで彼とはとても趣味が合う。



 「こんな素敵なお店があったなんて知らなかったわァ…! もう、こんな素敵なところなら、もうちょっと早く教えなさいよね」
 「雑誌でちらっと見かけたの、ちょっと探すのに手間がかかったけどギャリーに一番に伝えたのよ」
 「もう、調子いいんだから! でも本当に素敵なところねぇ」
 「ここのケーキは絶品なの」



 はぁ、と想像しただけでもとろけるようなため息がもれる。この間ためしに食べたのは日替わりの苺タルトだった。今日はギャリーも一緒なので、いっそのこと片っ端から頼んでみるのも一つの手かもしれない。室内にある二人用の席に案内されたあと、わたしは気になるメニューをいくつか記憶しながら、眉間にしわを寄せながらメニューを見るギャリーに「決まった?」と声をかける。「はぁ? もう決まったの!? ちょっと待って」と焦るような声が飛んできて、「まだいいわ」と返した。どうせほとんど頼むのだ。迷う事もない。
 ふとギャリーが顔を上げたので、何かあったのだろうかと首をかしげる。



 「まさか、またアンタ全部頼む気じゃぁないでしょうね…」
 「そのつもりよ」
 「はぁ、何だか心配してるこっちが損してる気分…」
 「なんの事? いつも通り全部が胃に収まるのだから大丈夫」
 「…もう! なんでもないわよ!」



 ぷりぷりと頬を膨らませて、アールグレイを指さした。わたしはバーテンダーさんを呼び、ケーキを上から下まで頼む。それからロイヤルミルクティーとアールグレイをひとつずつ。そんな嗜好のひとときは、ゆるやかな時間をもちながらすぎていく。黒く塗られたテーブルが、気品あふれるもので、わたしはとても気分がいい。もちろん支払うのはわたし。今月は3枚も売れたので懐があたたかいのだ。



 「そういえば、ゲルテナ展どうだった?」何気なしにそう言えば、ギャリーの顔色がさあっと青くなる。「どうしたの?」
 「な…なんでもないわ…」
 「そんなことはないわ、鏡をみて。貴方の顔は正直よ」
 「………大変だったわ…信じられない事がたくさん起こったの」
 「そう」きょとんとするわたしに、ギャリーはまた頬を膨らませる。
 「もう、本当よ!」
 「わかるわ、ギャリーはくだらない嘘つかないもの」



 「人形は動くわ…絵は襲ってくるわ…本当に…怖かったんだから…」
 「あら、素敵」
 「シルキィ! アンタは体験してないからそんなこと言えるの…もう…ほんと…」
 「あ、ギャリーそんな顔しないで? ほらもうすぐあったかい紅茶が来るわ」わたしはギャリーが精神的に参っているのを悟り彼の頬に手を伸ばす。本音には違いないが、今の彼に対してはちょっと冗談が過ぎたのかもしれない。「甘いケーキで少し落ち着きましょう? 少しは気が腫れるはずだから」



 そうね、と彼がつぶやくとほぼ同じようなタイミングで紅茶が運ばれてくる。かおりのよい葉の、麗らかなかおりがはなをくすぐる。いい匂い、と思わずため息が漏れた。こくり、と一口飲めば、甘いかおりと味が口に広がる。ほっと息を突けば、同じようにギャリーも息を吐き出していた。少し落ち着いたみたいでわたしは安心する。口を開きかければ、色とりどりのケーキの山が二人掛けの机に所狭しと並べられていき、これでもか、というような威圧感にわたしは思わず吹き出して笑ってしまった。バーテンダーさんは気にも留めない様子で、足りなくなったスペースを隣の机を拝借しまた所狭しとケーキを並べ始める。



 「こんなにたくさんケーキを見たの、いつぶりかしら」先ほどまでとは打って変わって、嬉々としたギャリーは水を得た魚のようだった。「よーし! 今日は食べるわよ!」






 いただきます、という合図とともに、眼前のケーキは姿をくらましていく。















(20120517:ソザイそざい)原作後のおはなし。アフターケアもだいじ。