嫉妬、欲望、羨望、誘惑、疑惑、懐疑、その他もろもろの視線を受ける事には慣れていた。それでも、それ以外の視線を受けたことが無いわけではない。ただ、その機会は極端に少なすぎていた。ほぼ皆無だった。そのせいか幼心から僅かに心が歪み、その歪みがまっすぐだと疑わぬままに蝶よ花よと育てられ愛でられ、才能を開花させる。そして花開いた少女は、周囲の視線の低さに絶望を抱いた。
 「偶然だから」ではなく「必然だから」と、何事も諦めたように生きる少女が唯一自己表現できる場所が絵画である。何を描いても、文句を言われない。それはアマチュアであるうちと知りながらも、そのキャンパスに自己表現を続けていく。それは日常のような行為であり、少女にとっては空気を吸って吐くように当たり前の事だった。彼女は寝食すら忘れて作品の制作にあたる事も稀ではなかった。それほどまでに、依存している。ああ、かわいい息子、娘たち。彼女が愛した作品は、どこかとおくの国へと旅に出る。さようなら、愛してもらえるといいわね。そして二度と、会う事もない。



 「この子たちも、そうなのかしら」



 ふいにつぶやいた言葉は、誰に聞かれることもなく消えていく。ゲルテナ展に足を運んだ彼女は一緒に入口まで来たギャリーと別れてひとりで美術館を回っている。ひとりで世界に浸り、ひとりで解釈をつめる、そして美術館を出た後に初めて意見を交換する。それが彼女なりの美術館を回るスタイルだった。理由としては、自分のペースで作品が見たいというのが主になる。美術を極める彼女としては、他人と口論しながら作品を見るのは作品に対してのマナーがなっていないと言った。作品はひとつひとつ語りかけてくるものであり、ひとつひとつに想いがこめられているものである。だからこそ、ひとつひとつ、描かれた時間を考え、何を訴えているのかを真摯に受け止めてあげることが大切なのだと、一緒に回ろうと言ったギャリーに首を振る。申し訳なく思う気持ちもあるのだが、せっかく来た美術館で作品をないがしろに見るのはいただけない、という彼女の考えにギャリーはしぶしぶ頷くしかなかった。



 (変な人だと、思われただろうか。いや、最初から変人だったと思う。)



 所詮芸術家などといわれる人間などはほとんどが理屈しか言わないペテン師だとどの教授科が言っていた。芸術家の中の、そのほんの一握りのひとたちだけが、もっとも信頼に足る真の芸術家なのだと。彼女が聞いた話によると、恐らくゲルテナは信頼に足る人なのかもしれない。ところどころにあるゲルテナの言葉たちを見ながら、(ああ、わたしもそうなのかもしれない)と無意識のうちに彼女は考えていた。結局のところ辿り着く場所は同じで、そこからいかに何を伝えていくのかというものが、大事なのかもしれない。



 (わたしも、ゲルテナも、表現をする意味ではおなじものだ)



 表現をすることに、もがき苦しんで、自分を編み出していく。自分自身が自分であることを誇示するかのように。《考える葦》はずっと考え続けていたのだ。どうすれば認められるのか、どうすれば認めてもらえるのか、認められるには、どうすればいいのか。なにをすれば。どうして認められない、こんなにも、努力を惜しまないのに。それでも彼は描きつづけた。生前に認められないのは画家の定めだとしても、それでも描きつづけるだけのなにかが、彼には。
 


(ゲルテナは万人に好きだと言われる作家ではないけれど) 彼女はあたりを見回す。(それでも、やっぱり猛烈に好きだと言う人を虜にする)



 やはり、すごい作家だと、彼女は感心した。
 一つの作品の前で立ち止まり、じっとその絵を見る。そしてまた次の作品へと移り、そしてまた次の作品へ。油絵の独特なにおいが、とてもすてきだ。彼はどう調合していたのだろうか、てらてらとワニスで光る絵画に、首をかしげる。厚く塗られ、盛り上がったような絵の表面、凹凸をも質量につなげるそのなだらかなペインティングナイフでのタッチを、じっと見つめる。過激な色合いは、フォーヴィスムの影響だろうか。マティスやドラン、ルオーなどの有名な画家たちも通った道だ。よくよく見れば、マティスの影響が強いのかもしれない表現が多い。奇妙な空間、派手な色使い。この現代アートたちはゲルテナの何を訴えたかったのか。簡単に知る事の出来ないそれは、まるで複雑な迷路のようだ。



 (一歩間違えれば迷い込んでしまいそう)



 ゲルテナの、世界。ごくりと固唾を飲んだ彼女はもう一度覗き込むように絵画を見る。ふと絵の中の人物と目が合ったように見えて、自然と頬がほころんだ。(ああ、こんなにもこの中で生きている)ゲルテナの作品はコピーで見れば何を描いてあるか、伝えたいものは不明瞭であるが、こうして現物を見るといかに絵がいきいきと動いているかに圧倒されてしまう。やはり、すばらしい画家だと彼女はそう思ってその作品を後にした。



 作品を一通り見終わったところでギャリーはいったいどこへ行ったのかとふらふらと探せば、彼はどこにもいない。お手洗いにでもいったのかしら、と、考えた彼女はもう一周回ってから探そうともう一度美術館をまわり始める。《深海の世》をぼんやりと眺めていれば、それがぴしゃりとはねた気がした。何が起こったのか分からずに瞬きをぱちくりとしてみても何も起こらない。語りかけてくる世界は、とても奇妙なわだかまりを残していく。彼女はしばらくそこに佇んでいた。















(20120517:ソザイそざい)ゲルテナは油彩画を主にした現代アート的な作家だと勝手な捏造。ペタン子ナイフと呼んでるメアリーのアレ使ってるのがちょっと決め手、ご了承くだせぇ…