どきどきする。
 どきどきしない。
 どきどきできる。
 どきどき、いやもうなんでもいいかもしれない。


 私は廊下を歩きながら国語のプリントに書いてあった変な例文の事を考えつつ、山積のプリントで塞がった両手を恨めしく眺めてため息をついた。先生も人使いが荒い、何も私に雑用なんて頼まなくても(それも力仕事なんて男子に任せておけば)いいのに、なんて思いながら私は幾度となくためいきをついた。幸運なんてきっと逃げすぎて不運なんだと自分の中で思った瞬間にまたためいきが出た。ああもう、これじゃあずっと駄目なままだ。しゃんとしろ、自分と自分に渇を入れる。たかが何百枚とあるプリントを教室のある三階から一階にある職員室まで運ぶだけ。ただそれだけだから大丈夫。

 自分に言い聞かせながら、私はえっちらおっちらとプリントの重力に振り回され、左右によろよろよろめきながらその重さと格闘していた。何とか前は見えるものの平均身長あるかないかの私の身長からして、それもギリギリ見えますといったところだった。だからよけいに段差が見づらい。むしろ見えないに等しい。下を向けばプリントがなだれのように崩れて拾う羽目になるのは目に見えて分かるし、だからと言って誰かに頼もうとしても見渡す限り誰もいないし声をかけたら集中が切れてきっとプリントがなだれのように崩れて声をかけた人と一緒に拾う羽目になってしまう。きっと拾わされて「はい、さようなら」って言われて終わるんだろう。


 「さん」
 「ひぃっ」
 私はびっくりしてプリントを取り落としそうになってふらりとよろけた所を慌てて体勢を保つ。こんな非常事態に誰が声をかけてきたのかと、少しだけイライラしながらその声の方を振り返ればそこにいたのはクラスメイトだと思う男子だった。クラスメイトの男子なんて顔ぐらいしか覚えてないし顔と名前は全く一致すらしない。元来、名前を覚えたりなんていうのが苦手な私が友達の栄和(英和辞典と一緒の響きだったからすぐに覚えた)以外に覚えたのはなんとか学級委員の昭野さんと宮村君くらいのものでその他の人なんてもう半年もたつのに全く頭に入ってこなかった。栄和曰く、私なんていうのは無意識ながらにして他人に興味が全く無いということらしい。無意識と言う所がよけいにタチが悪いねなんて言って笑って終わった事態だったけれども、これはこれで少し深刻な気がした。


 「ええと、なんでしょうか」
 私がおずおずと彼に問いかければ、「ふらふらしてたから」と単純な答えが返ってきた。
 「大丈夫ですから」


 私が言うや否や階段を一段踏み外し、ふらりと体勢が崩れてひらひらとプリントがニ・三枚宙を舞った。プリントを持ったまま手を伸ばして拾おうとすれば、足元をすくわれて次の瞬間には、ずさあと言う音とともにプリントがなだれのように綺麗な白で階段を染めていた。ひらひらと最後の一枚が私のひざへと舞い戻る。ああ、これじゃあまるでただの馬鹿じゃないか。ああ、もうどうにでもなればいい。


 呆然と座りつくす私を、声をかけてきた男子もまた呆然と見ていた。
 そして、彼は急に火がついたかのように笑い始める。

 「君って本当に変な人だね」
 「あ、え、…そんな事、ないです」
 「そう否定する人ほど、変な人だってよく聞くけど」
 くすくすと笑いをこらえながら彼は私の頭にもいつの間にか載っていたプリントを拾い上げる。私は何でこんなにフレンドリーなのかと訝しげに彼を見た。彼は私と同じ目線になるように、わざわざ身をかがめる。


 「ほら、拾うの手伝ってあげるから」
 「あ、ありがとうございます」
 私は、その言葉を聞いてはっとすると身近にあるプリントをわさわさと集めてとんとんと端をそろえた。
 それにしても思わぬ失態をクラスの人に見られてしまって、ああ顔から火が出そうなほどに熱い。


 ああ、もう、なんてことだ!
 しんぞうが、どきどきする音が大きくなりすぎて収まらなくなるじゃないか。












静まれ心臓




















ああ、もうぜんぶなくなってしまえ!(20100222)