彼女は気づけばすんすんと鼻をすすりながら屋上で泣いているようだった。しまったと思うのも遅く、ガチャリと屋上のドアが開く音で彼女はびくりと肩を震わせる。まずい所に居合わせてしまったなと一瞬焦りを感じて、開きかけたドアをそのまま閉めようと思ったけれどそれもまた野暮だと思って仕方なく屋上へと出る事にした。彼女は涙をハンカチでぬぐって、ゆっくりとこちらを振向く。目が赤くて、まるで雪うさぎのような有様だった。 「かく、くん?」 ぐす、と彼女は涙まじりの弱弱しい声で名前を呼ぶ。いつもの姿からは全く想像もできないような泣き顔で一瞬、少しだけ何かが揺らぐ。 「ごめんなさい、こんな情けないところ……」 おろおろっとしながら彼女はハンカチで口を押さえて俯く。最後の方はごにょごにょと言っていてあまり聞き取れなかったけれども、何となくニュアンス的に彼女はクラスメイトである俺に失態を見られてしまい動揺しているのだろう事は何も言われずとも分かった。 「別に、気にしてないよ」 嘘だった、それでもそれを見破られない自信だけはあったから、俺はいつも通り微笑む。ああ厄介な事にまきこまれてしまったと、思うのはそれだけだった。彼女はフェンスに寄りかかりながら、俯いていた顔を少しだけあげて俺の顔色をうかがった。 「そっ、か」彼女は無理をしてふわっと綺麗に笑う。「ごめんなさい」 クラスの中でも少しずば抜けて端正な顔をしている彼女は、頭脳明晰で委員長も一任されるくらいには、周りからも教師からも信頼されている。要するに頼りにされている、生真面目でリーダーシップの取れる人だということだ。そんな彼女が人知れず泣いている場面に遭遇するなんていうことは、やはり衝撃的以外のなんでもなかった。彼女はやはり整っている眉をハの字に歪める。 「ちょっと、ごたごたに巻き込まれちゃったんだ」 くるりと俺に背を向けて彼女はフェンスをぎゅっと握り締めながら、しゅんと項垂れる。いつも気丈に振舞う彼女、それは少し仮面をかぶった彼女で実はクラスの全員は彼女の見せ掛けの気丈さに騙されているだけなのかもしれない。現実には彼女はこんなにも脆くて儚くて今にも崩れそうだった。 「聞きたくないなら耳をふさいでくれていてもいい、私の独り言だと思って欲しいんだけど」 彼女は、そう前置きをしてぽつりぽつりと話しはじめる。俺は彼女の声の聞こえる所まで少し近づいて、その近くのフェンスにもたれかかった。 「私ね、好きな人がいたの」 初耳だった。浮いた噂ひとつ聞かない彼女の事だから、そういうものには興味がないとばかり思っていたけれどもやはり思い過ごしだったようだ。彼女の容姿からも性格からも彼女のファンは多いと聞く。けれどもそのどの告白もさらりとかわす彼女だから、やはりそういう俗物的なことには興味が無いのだろうと皆が諦めつつも憧れているという話をちらりと聞いた事が、ある。その彼女が、好きな人がいたと言う。やはり彼女も普通の女の子なのだと心のどこかで落胆する。 「それで、しばらく付き合ったの。しばらくはうまくいってたんだけど、一週間くらい前から友達がその人と『付き合った』って喜びながら私に報告してくれたの。写真まで見せてくれたから、ああ二股だなあ、って思ってそう思った瞬間に真っ白になっちゃって、メールも返信する気になれなくなっちゃって今日電話が掛かってきたの。『何でメール返さないんだ』って。もともと彼、お人よしな人だったから私に何かあったんじゃないかって心配してくれたんだけど、私どうしたらいいか分からなくなって、そのまま酷い事言って電話切っちゃって」 自己嫌悪なの、こんな酷いこと考えてる私が大嫌い。と、彼女はまたじわりとこみ上げてくる涙をハンカチで拭いた。 「で、その彼に確認はしたの?」 余計なお節介なのかもしれない、それでも聞いていたところを見てもしかしたらなんて思った自分がいる。彼女に彼女が想いを寄せている人と寄りを戻して欲しいのか分からなかったけれども、幾分かその話はいろいろな意味でショックではある。さんを彼女にしておいて、二股をするというそいつの気が知れない。そうなれば選択肢は、その彼氏がよほどの優男かつプレイボーイであり彼女が騙されているだけなのか、彼女は友人に騙されているのかの二択になる。 しかしまあ彼女に電話がかかってくることからして、もしかしたらという推測でしかないが前者の可能性は薄くなる。となれば後者の可能性が高くなってくるのは二択であるが故の論理であろうか。 彼女は俺の問いにふるふると首を振った。 「今から、確認してみなよ」俺は言う。「もしかしたら、一つの可能性だけれどさんは友達に騙されてるだけかもしれない」 「そんな言い方…!」彼女は、キッと俺が悪いといわんばかりに俺を睨んだ。「人を疑うなんて、できないよ」 「でも現にさんはその彼氏だった人を疑ってるでしょ」 さんは俺の方にずんずんと近づきかけていた足を止める。距離が一メートルそこそこに詰まる。 「それは、でも」一瞬おろおろとするさんだったが、はあっとため息をついて立ち直る。「ホント、そうだね。郭くんの言う通りだよ」 「ほら、確認」 「うん、聞いてみる」 綺麗な笑顔を俺に向けると、彼女は携帯電話をポケットから取り出して電話を掛け始める。しばらくして彼女が「もしもし、」と申し訳なさそうに電話口で話す。「単刀直入に聞くけど、私の他に付き合ってる人がいるの?」わあわあと何となく声が聞こえてさんが驚いた表情になる。「うそ! だって、あなたと付き合ってるって人…」「え、デマ? だって本人から聞いたもの」「嘘ついたの?」しばらくして「じゃあね」と彼女が電話を切ると、ぱあっと満面の笑みで俺に抱きついてきた。 「ありがと!」 「で、どうなの?」 「向こうが謝ってきたの、だからそういう事実あったみたい」 「え」俺がきょとんとすると、ぎゅうっと俺の学ランを掴む彼女は俺を見上げる。 「もう、頭にきちゃって電話切っちゃった」えへへ、とやはり端正な顔で笑う彼女はお世辞ではなく、純粋に綺麗だ。 「やっぱり向こうから告白されたのは駄目だよ、みんな見た目で判断して飽きたらポイって捨てられちゃうんだよ」 女の子を自分のアクセサリーみたいに思ってるんだよね、と彼女はぎゅうっと俺の背中に回す腕の力を強めた そうか、前者だったか、なんて俺は思う。最低な奴だな、なんて俺は彼女を見ながら思ったけれど俺もまあ似たようなものかな、と苦笑した。
(僕らの恋の落ち方)
お題::farfalla様
最初郭君が傍観者だったわけですがなんとかなったので良かった、かな!(20100326) |