不破君、と彼の名を呼ぶと「大地」と一言だけ返ってきた。大地、大好き。と、わたしは言う。彼にその気があろうとなかろうと、わたしは彼が大好きだ。付き合って四年余り、その事実が揺らいだ事なんて一度もない。理工学系を専攻している彼は、いつだって研究の方が優先だった。けれども、わたしはそれでいいと思っている。わたしが一番ではなくても、傍にいることができるだけで幸せな気分だから。そういったら、笑われてしまうだろうかとも思うけれど、それでもいいのだ。わたしは不破君ににこりと笑いかける。不破君はふっと、口元を緩めた。それだけで、わたしは幸せを実感する事が出来るから安いものである。わたしは、今みちたりた気分だ。 大学のだだっぴろい公舎内のラウンジでわたしたちは一緒に昼食をとっている。高校から付き合いはじめてデートもいっぱいして。うっかり周りからは「趣味が悪い」と言われもしたけれど、不破君は実際のところ正論を言っているだけで怖くはない。心理学をちょっとだけかじっている私が今言えることは、人間本当のことを言われる事が一番傷つくっていう心理的な作用でおそらく不破君が近づきがたい存在であり不破君が16年間彼女がいないとか(どうやら不破君は中学時代「クラッシャー」と呼ばれていた所為もあり女性関係とか浮ついた噂がなかったようだ。)そういう事になっていたらしい。意外だった。 でもまあ、実際そんなものなのかもしれない。 友達も中学なんて付き合うこともよく分かってないし、などと言う。私だって中学は片思いくらいはあったけれど、付き合うとか付き合わないとかそういうのはどっちでもいいかな、と思っていたりした。恋人になったからってどうなんだ、なんてちょっと皮肉にも思った。まあ初心だったのね、なんて今ながら思う。恋人っていいものだ。 わたしは、コーヒーを啜りながらちらりと不破君を見る。 (ああ、まつげ長いなあ) 見慣れているはずなのに、そう感じる。 (不破君、かっこいいなあ) とか、 (恋人なんだよなあ) とか。 ありきたりなものだと思うけれども、やっぱりそれが素敵なしあわせというものなんだろう。日常としてあるべきものが、きちんと棚に収まっているかのようにそこに並んでいるのが、幸せというものなのだろうとわたしは考えてみる。うふふ、と気持ちでわらう。頬がゆるむ。彼は素敵なひとだ。素敵なひとと、こうして学食を食べて一緒に時間を共有する事ができるということはどれほど幸せな事かわからない。一度不破君に言ったら馬鹿にされたけれど、しばらくして考察した結果を聞いたらいてもたってもいられなくなって思わず不破君に抱きついていた。 「何を考えている」 「え?」 「顔が緩んでいるぞ」 「あ、ううん、大地の事を考えてたの」 「そうか」 わたしが言うと、少し嬉しそうに口元を緩める彼がとてもいとしいと思える。すくいようがないくらいに、溺れている。 「そうだよ」 わたしは不破君の考察を思い出す。 『人と人との時間の共有というものがどういうものか、俺にはその定義がよくわからない。よってとりあえず、相手と一緒に行動を共にしているという状況だと仮定する。相手と一緒に行動している時、俺は考察をしながら行動する事が多いが、その場合相手の意図をできるだけ汲み取れるような努力はしているつもりだ。今までの経験上人間関係において、いろいろと考察を重ねてきたおかげでようやく俺にも少しだけ他人の気持ちというものが分かり始めたような気がする』 「わたし、大地と一緒に居られてしあわせだなぁって考えてた」 不破君は、そうか、とまた一言いうと学食のラーメンを啜った。 「ならば俺は、とこうして一緒に居ることがが幸せだ」 「ありがと」 「お互い様だろう」 目線があって、二人でにやりと笑う。 『恋人になって考えてみたが、俺は付き合う以前からお前の事が常に気にかかっているし、ふと気づいた時には何を思っているのか何をしているのかがおもむろに気にかかったりする。思えばこういう事は興味があるということで恋愛に陥る一歩手前の症状だと聞く。しかし今現在もそれは続いている上に、それ以上にお前の事を知りたいと思っている俺が居る』 「これからも一緒にいてくれる?」 「無論、そのつもりだ」 「大地」わたしは、コーヒーを飲み干した。サンドイッチを右手に持つ。 「なんだ」 不破君が顔を上げる。「大地、だいすき」 「今更だろう、」続きを言いかけて不破君は一瞬考えるような表情になり、ふたたび言葉を発する。「俺もが好きだ」 『お前と一緒に居る時間は、体感時間で過ぎるのが非常に早い。その上、他の奴らと居る時とは違う満足感のようなものが心の中に発生するらしい。空虚な部分が満たされているような気持ちになる。人間という生き物が他者に依存して生きている理由もなんとなく今なら分かる。俺はお前と、ただ一緒に居る事で満足感を覚えるらしい』 わたしは、緩む頬をおさえることもせずにサンドイッチを頬張る。あの時の不破君は、とても真剣な目をしていたから胸の奥のほうがどきどきして心臓がはりさけそうで、なんだかくすぐったくて恥ずかしくて体がじわじわ熱っぽかった。いまでも思い出すだけでどきどきが止まりそうもないし、顔は火照りそうになる。でも、それくらいわたしは不破君が好きだ。大好きだ。あんまり言うと、少しだけ軽い言葉になってしまうけれど、大好きだ。 『よって、俺は今幸せだと言える』 わたしはその最後の締めくくりの結論を思い出すたびに頬がゆるむのだ。
「溺れる恋は掬えない」
(20101001)のろけすぎてすいません/(^o^)\不破君はなんだかんだいっていつまでも彼女とラブラブしてそう。 お題:花鹿 |