山口君と付き合い始めてから三か月が経とうとしていた。こういう関係にあるという事は周囲にまたたく間に広がり(まあ、あの“山口君”が付き合っちゃった訳だから)、最初の一週間は相当大変だった。呼び出しも何回かくらったし(だからと言って素直に呼び出されたわけではないけれど)、嫌がらせもたびたびあったし、陰口もどうやら増えたようで、あらぬ噂がそこかしこに流れているようだった。友人の何人かが確認にきたものだから間違いない。出所はまあ分かっているから、私は大して気にはしていないのだけれど、確認にきた友人たちの焦ったような形相といったらすごかった。 とても、びっくりした。 授業中にもかかわらず隣の教室から抜け出してバンとドアを開けて入ってくるなり、「すいません、このクラスのの調子がどうも優れないらしいんでちょっと保健室に連れていきます」と言って、唖然とする私の教科書も筆記用具も全部手際よく鞄につめて顔面蒼白になっている私と一緒にずるずると、教室を連れ出した。堂々としたサボりだなあ、と私はぼんやりと思った。まあそんな事は一回きりだったけれど、授業の合間にも、ちょくちょくと友人の顔が教室をのぞいたのは事実だった。 かくかくしかじかと私が話せば周りは一様に、「そうだよね、ちゃんそんな事しない子だった」と笑い飛ばす。 嫌なら嫌と本人に言えないようなひとは、とても心の弱い人。人の痛みを知っているけれど知らないふりをしている人なのかもしれないと思うときがある。うわさ話なんて、ただのうわさにすぎないのだから気にしては負け。だから私は、うわさには流されない。流されてしまったら、なんだか負けな気がするから。 そういえば遊園地に行った。近くにある、一時期ジェットコースターの有名になったあの遊園地だ。夏休みに行ったので、乗り物は比較的混雑しておらず二人で乗れるだけの乗り物に乗って楽しんだ。フリーフォールはそのとき初めて乗ったんだけれど、なんだか変な重力が体にかかってくすぐったかった。ぐるんぐるん、と胃の中身が回転するような感覚。変な感じ、と言って私はぼうっとしながら乗っていた。下降していく、浮遊感に身をまかせて。ぎゅうっと目を瞑れば、真っ暗な視界の中で風がぴゅうぴゅうと頬を掠めていくのがわかる。変な気分がした、嫌いではないけれど。あまり好きでもないみたい。それでも堕ちていく、恋みたいで。 乗り物の出口近くで山口君は、「俺、こういうのあんま得意じゃないかも」と少し無理して笑った。「私も」、と私が答える。 そらから二人で、園内にあるカフェに入って昼食を取った。 そんなこんなで色々ありながら、私は今幸せな気分で山口君と一緒に帰っている。 今日、母親は別の男の家に遊びに行くと言って出て行ったので次の日まで帰ることはない。でもだからといってどうというわけでもないし、家は多分先日母がお酒に酔って滅茶苦茶に暴れていたので見る影も無く無残な面持ちでいろいろなものが散らかっていることだろう。私はまた掃除するものが増えるのかと、気分が滅入った。でも今は、山口君と一緒だから何も怖くは無いのだ。こういう時、男の子っているだけで心強くなる。山口君の横顔をじいっと眺めていると、唐突に彼の唇が揺れた。 「なあ」 「なーに、山口君」 「今日、このあと暇?」 「うん、暇」 私は、山口君の顔をふっと屈んで覗き込む。「どうしたの、急に」 「いや、あのさ」山口君は少し視線を逸らす。「今日練習休みだし、良かったら家寄ってかないかと思って。ちょうどみかん収穫したところだし、母さんもよかったら食べにおいでって言ってたからさ」 「いいよ」くすくすと私は笑い声を漏らす。「私の家、今日親いないし」 「マジか! じゃ晩飯も一緒に食べていけよ」 「ありがとう。……でもいいの?」 私なんかが入る隙間があるのだろうか。私が行ってしまってもいいのだろうか。 「大歓迎だって、父さんも母さんも会いたがってたし」 ニカッと明るい笑顔を浮かべて、山口君は歯を見せて笑う。幸せそうな家庭でとても羨ましい。羨ましがっても手が届かない事がわかっているのに。このごろの私は貪欲で汚い。前々からそうだったのに、このごろ拍車をかけたように悪化している。ああ、なんてきたないのだろう。きたないわたしがいる。こんなにも山口君の事が好きなのに、どうして心がこんなに汚れてしまうんだろう。せめて、せめて山口君の前では可愛い女の子でいたいから。
それでも、
私とは違う人生を歩んできたのだろう事が、ひとめで分かるほどに。 私のひとみには彼がきらきらと輝いて眩しく映った。 ▲ (20100920)< |