貴方の群集
に、会いたい。






 走って走って走りつかれたころ、私は見慣れない土手に立っていた。どこをどう走ってきたのかすら分からず、未だ制服のまま私は息を切らしながらその場に立ち尽くしていた。襲ってくるのは虚無感、孤独感、胸の奥がきゅうっとなるような絶望。恐ろしかった、あの男が。母親が。なにもかもが。なんで、と問うて答えてくれる人は、誰もいない。自分自身で乗り越えていかなければならないということは承知している。けれども、私自身がそれを拒絶していた。考えたくもない。それでも、考えなければいけない。そんな気持ちを抱えながら、わたしは土手をすべり降りて川原に足を投げ出して座り込む。スカートのひだなんて気にしていられなかった。


 疲れていた。
 足が悲鳴を上げているのがわかった。
 これからどうしていいのかわからなかった。
 頭の中が、いっぱいだった。


 「ど、うして、なんだろう…」
 どうしてこうなってしまったんだろう。どうして私の家はこんなに廃れているんだろう。どうして、ねえ、どうして。
 問いかけた所で帰ってこない問を頭の中で繰り返す。まさに禅問答のよう。どうして、なんで。疑問なんてものは小さい頃ならばすぐに浮かんでくるものなのに、大人になったら世間の冷たい目線にさらされるのが怖くて、仲間はずれにされないようにそれを毎日飲み込みながら暮らしていくしかないのだろうか。私は大人になるまであの母親と一緒に生活していかなくてはならないのだろうか。恐ろしかった。おぞましかった。自分がいる場所がどんどんなくなっていくようで、追い詰められているようで、嫌だった。居場所がなくなってしまうのが、怖かった。
 もういやだよ、知らない男の人が家にいるのも。もういやだよ、山口君に恋してるのも。




 目頭が熱くなってくる。自覚した時にはもう涙は流れていた。
 何ヶ月ぶりに泣いたんだろう。しばらく泣いていなかったせいか、泣き方が分からなくなっていた。泣きじゃくるしかなくて、なんだか泣いている自分が惨めで悔しくて持っていたハンカチでひっきりなしに目をこすっていたら目が痛くなってきた。今はきっとひどい顔をしているんだろう。安易に想像できるから、今は誰にも会いたくはない。
 せめて、この時間がもう少しだけつづいてくれれば私は家に帰らなくて済むし、あの男にも会わなくて済むのに。


 しばらくの間、私は止まることのない涙を流し続けた。




 涙も枯れ果て、泣いた事によって体力もずいぶんとそこを付きかけた時。
 ぐすぐす、と鼻を啜ると、「」と後ろから名前を呼ばれた気がした。
 でも振り返るわけにはいかない。だって今は、きっとひどい顔をしているだろうから。


 「だろ、こんなところで…」ぽん、と肩に手を置かれて、ぴくんと私の肩がはねる。「おい、大丈夫か!?」
 私の状態が普通ではないと思ったのだろう、山口君は私の両肩を持ってぐいっと私を引き寄せた。普段の私なら失神するほどに嬉しいことだと思うのだけれど、今の私はそんな気分じゃない。だいいち、こんなひどい顔を大好きな人に見られたくない。


 「放っておいてよ…!」
 私がぱんっと両手で突き放してサッと私は下を向く。ちらりと視界の端にとらえた山口君の表情は、眉をハの字にしてひどく驚いたような悲しそうな呆気にとられたような何ともいえない表情をしていた。私の心にその表情が棘になって、ちくりちくりと刺さる。ごめんね、山口君。
 痛い。心が痛い。


 「言えないなら言わなくてもいい、けど一人で抱え込んでんじゃねぇよ」


 ふわりとした浮遊感。
 ぎゅうっと締め付けられているような感覚。


 何が起きたか、一瞬判断が追いつかなくなって分からなかったけれど、私はどうやら山口君に抱きしめられているらしい。あんなにも夢を見て妄想していた山口君の腕の中に、私がいる。そう思ったとたんに私の中の何かが切れた音がして、また目頭が熱くなってきて視界がかすむ。ああ、あんなにも泣いたのに。どこから涙はきているんだろうと思わざるを得ない。私は結局山口君の腕の中でわんわんと子供のように泣いた。
 「ごめんね、山口君」
 しゃくりあげながら発した言葉は、途切れ途切れになって消えていく。伝わったか伝わっていないかではなくて、要するに私の気持ちの問題だった。伝わらなくてもいい、だけど言わなければ私が後悔してしまうから。ただの自己満足だった。でも、それでよかった。私はこの時罪悪感と開放感とが一緒に襲ってきて、どうしようもなく感情が不安定になっていたから、思わず山口君の少し汗ばんだジャージの背中に腕を回してぎゅうっと山口君に抱きついていた。



 「ごめんね」



 と、私はきっとこればかり呟いて泣いていた気がする。
 冷静な判断も、どこかに置いてきたように出来なくて、いつも通りじゃない私は私じゃないみたいだった。






























(20100911)