相手などは聞く耳持たず
ただ、その状況に流されてしまうだけの、






 ようやく家に帰って来れたかと思えば、家が大惨事になっていた。何が起きたか、大地震でも起こったかというほどに部屋はあとかたもないくらいに散らかっていた。第六感が、逃げろと警告している。私は玄関から踵を返して、逃げようとしたそのときだった。


 『なあ、誰か入ってきたぞ』
 遠くの方から男の声が聞こえる。私はできるだけ息を潜めて、できるだけ音を立てないように玄関から外へ出ようと思った。
 『放っとけばいいのよ、』
 母親の声がする、どうしようもないくらいに甘い声。彼女の猫なで声と化粧の濃い顔にかかってしまえば、たいていの男は騙されてホイホイと付いてくる。本当に、世の中は間違っているし母の濃い化粧も間違っている。もっと誠実そうで普通な人を選んで、幸せな家庭を築いてほしいというのが娘の希望なのだけれど。そもそも娘が帰ってきたというのに、その言い草はなんというものなのだろうか。
 私は、ドアノブを捻り、ドアを押し開ける。



 そして、外へ出ようとした瞬間。



が し   っ、    と  手首を掴まれる。




 振り返ったら負けるかもしれない。足音が聞こえなかった。
 ホラー映画でもないのに、足が竦む。


 「なあ、俺さあ父親になるから。よろしく」
 「……」
 「ちゃんさあ、無口な子って聞いてるけど、無視はよくないんじゃないかなぁ」
 「……」
 「人が話してるときはさぁ、人の顔見て話を聞け、とか教えてもらわなかった訳?」


 ダン、と玄関のドアに押し付けられる。よくよく見れば、やっぱり顔のいい人だった。普通にテレビに出ていそうな芸能人に少し似ていた。でもこんなに性格の悪いと知ったらきっとファンなどは嘆き悲しむのだろう。嘘だと喚くのだろう。しかしながら、いつも思う。さすが母だ。思ったけれども、この状態で何もできはしないのはわかっている。明らかなる劣勢だった。状況は劣悪、劣等感に苛まれながら、自分の無力さに嘆き、相手に劣っていることを承知しながらもここから逃げ延びる策を考えなければならない。一番の得策は、自分に対する相手の興味を無くすこと。
 それにしても、整った顔立ちの人だった。女の人だって、顔負けするくらいのとびきりの美人だ。その人からこんなに汚い言葉のられつがでてくるなんて。私は合成音声かと思ったくらいなのだけれど。そんなハイテクな人間なんてまだいないってことは、よく考えなくてもわかる。これがこの人の本性に過ぎないのだ。


 「私、用があるので」
 「帰ってきたばっかりじゃん」
 「すいませんが、離していただけませんか」
 苛立ちを抑えながら単調な口調で、相手を睨む。つまんねー、と言って母の元へ帰っていただければ万々歳。といっても私はここから逃げてどこへいくのだろうか。けれども、あとの宿よりも先の危機を回避しなければならない。私は、男の出かたを待つ。


 「何で?」
 「行く所があるからです」
 ふーん、なんて子供じみた口調で彼は言う。いい加減にして欲しかった。早く戻って欲しいのに、相手はどうでもよさそうに、私を見ている。「ま、いいけど」ニヤニヤとした嫌な笑みで、彼は私を放した。私は、男を一瞥して ドアノブに手をかけて、外へ出る。「夕飯までには帰ってこいよ」なんて言う、卑下た言葉を吐いて男が哂ったのが聞こえた。




 第六感が、危険信号を鳴らしていた。





























(20100704)