その時はまだついてこいと言われた意図が分からないままに、父親に連れられて細い複雑な廊下を歩かされて、次の瞬間豪華できらびやかなスポットライトのあたる舞台へと出された。輝いている光が眩しくて目を細める。こんなにも眩しい光を見たら目がつぶれてしまいそうだった。私はさながらドラキュラになったような気分で、父親の言うとおりに言われた位置に立っていた。息をのむ声が聞こえる。あれはてんしだ、あくまだ、という声が口々に聞こえる。何だろうと構わなかったけれども、品定めするような目でこちらを見ている眼前の客を前にして私は全てを悟った。金持ちそうなふてぶてしい顔をしていたり太っていたり気品があったりなかったり気持ちが悪かったり美人だったり、老若男女さまざまな年代の層の奴らが集まっているようだけれども彼らの目的はきっと一つしかない。私を買うつもりなのだ。そしてこの父親は売る気なのだ、それも実の娘を。恐ろしい考えに私は足がすくむ。がたがた、と今更になって足が震える。膝が笑うというのはこう言う事を言うらしい。足が言う事を聞かない。



 『それでは本日最後の大目玉となります商品番号T−0087。希望価格20万ユーロから』



 無感情な声によって自分の値があがっていくのが聞こえる。どうか買われるならばどうかいい人でありますようにという希望の声は届くのだろうか、分からない。しかし、祈るだけならばタダだろう。もしかしたらという可能性に少しでも賭けてみたいのだ。売られる覚悟はできている。それが避けられないことだというのも分かっている。ならば私が生まれてきてよかったと思えるような家に行けたら一番いい。けれども一瞬の出来事のはずが一秒一秒が長く感じるのはなぜなのだろう。自分が売られるという事にショックを受けているのだろうか。私の中にある隠された感情がこみ上げてくる。感じたことのないそれはとても不安なものだった。こんな事になってしまうならば、私は一生あの石畳の冷たい部屋で過ごしていたかったのに。



 「60」「70」「78」「100」
 どんどん自分の値があがる。侯爵はニタニタと笑みを浮かべているのだろう。私は彼の顔を見ずともそれが自ずとわかってしまう。それがとても恐ろしかった。これが恐ろしいという感情らしい。私の事を自分の娘だと、きっと彼は思ってはいないのだろう。きっと高値で取引される骨董品や美術品の類としてしか見ていないのだろう。それでも、彼よりも私を必要としてくれる家に行けるのなら、私は幸せなのかもしれない。



 「150」「200」「280」「300」「320」
 さらに値がつり上がっていくのが聞こえる。私自身お金の数え方くらいは分かっているけれども自分自身にそんな金額がつくものなのだろうかと首をかしげたくなるほどだった。どうやら値を釣り上げているのはサクラが一人混じっているかららしい。今、値を言い争っているのは五人だ。一人は目つきの鋭い貴婦人。この人は嫌な感じがする。二人目は小太りで鼻の下にちょび髭が生えている。みっともなく脂汗をかいている。三人目は青年だった。この場に相応しくない妙な上品さがあり、変な人だと感じずにはいられない。320、と声が上がって一人が怪訝そうな顔をする。私が最初に見た二人が、諦めた様子で顔に落胆の色を浮かべる。四人目がすっと手を上げる。



 「400」「500」「550」「600」「700」
 シルクハットの男だった。紳士のように見える、初老の男性である。五人目が500、と金額を一気に釣り上げた。帝国軍人(といっても書物で見た事しかない)のような威厳のある男だ。他の人がどよめきそうになるが負けじとシルクハットが名乗りを上げ、ちょび髭が意地を張る。そして青年が700まで釣り上げる。どよめきが起こる。






 『ほかにありませんか』



 司会だと思われるスーツ姿のオールバックの男が言う。会場はどよめく。男が会場を見回すが、どうやらほかに名乗りを上げるものはいないらしい。満足げに父親がほほ笑むのが見える。はぁと感嘆のため息が聞こえる。畜生、と罵る声やざわめきが聞こえる。



 『それでは交渉成立です』






 そんな言葉が聞こえて、その密売会場はお開きとなった。
 会場の人々は支払所にて金額を現金で渡して商品を木箱に詰めてボーイに運ばせる。私も箱に詰められるのだろうかと不安に思っていたところ、私を買い取ったと思われる青年が私のもとへ近づいてくる。何か喋っているが異国語だろうか、何語かは分からない。私が侯爵のほうをちらりと見れば、彼は顎で私を青年の方へ行けという合図を送った。私は舞台から階段を使って下りて、青年のもとへと向かう。青年は私に丁寧に会釈すると、片膝をつき私の手を取って手の甲にキスを落とした。



 「君は、僕の武器、これからよろしく」
 何の事だかさっぱりわからなかったけれど、慣れない言葉を使っているらしく少しだけカタコトになっている。武器とは何のことだろうと疑問に感じたけれども、私はとりあえず彼と同じように会釈をした。相変わらず表情はうまく表せそうにないけれども青年はそれで満足した様子で私の髪を右手で梳いた。くすぐったくて私は身をよじる。青年はそれが面白かったらしく、くすくすと笑った。どうやら支払いは既に終えたらしく、青年は私の手を引いて、歩き始める。私は歩き始めた彼についていかなければ、と思い足を踏み出した。



 「大丈夫?」
 ダイジョブ? みたいな発音で彼は私に聞く。真面目そうな顔立ちをしているにも関わらず言葉がおぼつかないものだから、何だか不思議な違和感を覚える。これが面白いという感覚なのかもしれない。私は口を開いたがどうやら声が出そうにないので頷く。青年はそれで満足したようで、前を向いて歩き始める。そういえば、屋敷の中は意外と広いものだった。隠し通路のようなエレベータを通って、長い赤いカーペットの敷かれた廊下を通る。その後にまたエレベータに乗り込んでから、大広間に出る。そこには今まで見たことのないくらいに大きな扉が開いており、せわしなく先ほどの使用人のようなボーイたちが出入りを繰り返していた。金持ちたちはそそくさとボーイに指示を出して次々に屋敷を後にしている。ついに私もこの屋敷から出られるのか、と思った。



 「外に出るの初めて?」
 青年は拙い言葉で話しかけてくる。私はやはり言葉が出ないので、頷いた。そうだ、私は外に出たことが無い。



 これから自由なのかと思うと何だか不思議な気分だった。
















わたしてんしさま




(20110317)まだまだ過去編。←青年との交流がつづきます。これは誰得な自己満足である^^
そういえば700万ユーロ=8億89万6600 円(1ユーロ114.4138円で換算)。