生まれてはならない子供だったという事は、生まれた時から何となく感じ取っていた。物心ついた時には既に、周りには蔑まれ自然と人に避けられるように生きていた。美しすぎると言われ男が誑かされると罵られる魔女のような端正な容姿。銀色の艶やかな髪に、血のように赤い深紅の瞳。異端と呼ばれる私の容姿を捨てられるものなら、今からでも普通の女の子としての生活になれるのなら、私は喜んで醜女にでもなろうと考えたこともあった。無論、それが夢見がちな思想に過ぎず、どれだけ祈ろうとも叶わないことだというのはその時の私にとって百も承知だった。それでも、私は繋がれた生活ではなく自由にのを駆け回れる少女に憧れていたのだと思う。焦がれて、焦がれて。それでも叶わなくて。父親には外に出たいと駄々をこねるたびに何度も殴られた。 私は一人だった。母は物心ついた時にはもう既におらず、行方も知らない。父は私を見れば殴りかかり、その裕福な財にモノを言わせて三歳になった私を地下牢に繋ぎ止めた。壁一面を本でいっぱいになっている本棚が埋め尽くしており、その一番上のほうに、うっすらと地上の光が差し込んでいる天井の窓。それ以外に明かりになるものはなく、大人が五歩歩けば壁に突き当たるような薄暗い狭い石畳の部屋。大きな水桶が入口に近い右の隅の方にある。ちょうど本棚の陰にすっぽりと入るくらいの大きさだ。日が落ちればその地下牢は完全に闇に包まれ、入ってくるのは冷たい夜風のみとなる。私はその地下牢の中でひたすら本を読んで幼少期を過ごした。三か月で全部読み終わった私は完全にそれらを把握するために全ての本をそれから一年かけて五回は読んだ。読んで知識をつけている中で、本当に私は生まれてきてもよかったのだろうかと思わない日は無かった。本当は生まれてくるはずではなく、神の悪戯で生まれてきてはならない私が生まれてしまったのではないか。幼い私の精神を壊すのに、その石畳の部屋はそれはそれは効果のあるもので。 七歳になった私は、いつも通り門の前に立つ青年からの配給を待っていた。もはや既に自我というものは無くなり、心はどこへ置いてきたのか分からないくらいになっていた。まるで人形のように無感動な日々を送っていたことだろうと思う。一日十冊の本が私のもとへと運び届けられてくるだんだん本で埋め尽くされていく部屋を見回しながら私は本に囲まれながら毎日を過ごしていた。そのうちに本しかなくなるのではないかと思わせるほどに、どんどん本は積み上がっていく。視力は随分と落ちてしまっただろうと思うが、しかしこの薄暗い部屋の中では視力などあって無いようなものだった。昼時だと思う。本の一冊を読み返していると明かりが近づいてきて、コンコンと子気味いい音が部屋に響く。私は無感情にそちらを振り返る。青年は私と目を合わさないように食事だけ置いて立ち去るのだ。しかし今日は違った。 「=トライデント・・フォン・デ・ブリュッセル御令嬢様」 一瞬何の暗号だか分からなくなったのは永らく呼ばれることのなかった自分自身の名前だった。自分の名前も忘れてしまうほどに私はここに閉じ込められている。しかしここに入れられた時刻から今までの時間を正確に秒単位まではじき出すことができるというのは、いささかおかしいものだろうか。彼はがちゃりと閉ざされていた鉄格子を開ける。いとも簡単にそれは開くものだから、私は少しだけ拍子抜けした気持ちになった。今更何の用だろうか。 「侯爵様が、御呼びにになっております…どうぞこちらへ」 彼は恭しく礼をして、その割には私に怯えたようにおそるおそる手を差し出した。私はその手を取る。青年は少しびっくりしたように震えて、それから私の手を取って、石畳の廊下へと連れ出した。久しぶりに部屋の外を歩くので少しだけ足がもつれそうになる。その度に青年が私の体を支えて「大丈夫ですか、お怪我はありませんか」と私の事を気遣うような言葉を投げかける。理解ができなかった。私は口を開けたけれど言葉が出てこなかった。長らく話していないものだからそれもそうだろうと思う。彼は優しく私に話しかけるのだ。何を言っているかは分かるが、私は言葉を返すことができずただ頷いたり首を振ったりして意思を示す。彼はそれでもめげずに私に話しかけるのだ。 今までにないものだった。避けられていたはずなのに、温かく人に話しかけられる。気味が悪かった。私は裏があるのではないかと半信半疑な気持ちを抱えたまま、悶々とした思考のままで明かりを持つ彼の手を取りながらおぼつかない足取りで長い長い廊下を歩く。どれだけ続くのだろうと思わせたそれは、間もなく石の螺旋階段へと変わった。どれだけ続いているのか分からないくらいに長そうな階段である。 「足元にお気をつけて」 彼の言葉を聞きながら、私はその言葉と彼のごつごつとした男の手を頼りに一段一段階段を上る。ふらついたら彼が私の体重を支えるように、その立派な体躯で私の背中に手を回す。不覚にも全身がぞわりとして、鳥肌が立った。人のぬくもりというのは慣れないものなので仕方は無いと思った。けれども彼は悪い人ではないということが何となく伝わってくるので、少しだけ信頼できる人なのかもしれないと思える。それは私にとってほぼ初めてとなる嫌悪以外の交流だと思った。何歳か見当はつかないが、大人だということは青年の体躯からも分かった。私は青年をじっと観察しながら、長い長い階段を一段一段上る。 「どうか、しましたか?」 青年は困ったように眉をハの字にして、こちらの様子をうかがっていた。人の事を観察しすぎてはいけないのかもしれない、と私はうろたえる。しかしながら表情などもう何年も表に出したことは無いので、こういう時にどんな顔をすればいいのか、私には全くわからない。私は慌てて首を振る。声はまだ出そうになかった。 青年は、そうですかと言って、また前を見て階段を上り始める。少し階段に慣れてきたところで、階段の終わりが見えてきた。あの扉を開けると確か廊下があったはずだった。記憶はじわじわと蘇っている。閉じ込められると知らなかったあの時、どうして暗い所に一人でいなければならないのか分からなかったあの時、私は自分が生まれてきてはいけないものだと悟った。 だから、今の状況が理解できなかった。 それでも、私は扉を開ければその理由を嫌でも知る羽目になる。 扉を開ければ、そこは長い長い廊下だった。赤い絨毯に金糸の縁取り。壁には大理石があしらわれており、きらびやかな壺や置物がいたるところに規則正しく置かれている。趣味のいいシャンデリアが天井から吊り下げられており、また天井には美術的な絵画のようなものがあしらわれている。廊下には不必要に見えるソファが点在していた。青年はそんな金持ちの道楽のような廊下を迷わずに進む。その一本の廊下は私にとって果て無く続いているようにも見えたけれども、しばらく歩けば、その廊下の突き当りに大きな両開きの扉が存在していた。まるで本で読んだ映画館のような扉だ、と私は幼心に思った。 「こちらです」 青年が扉の片方を押して開ける。今度は大きな広間の左端に出た。大きな柱がたくさんならんでいる吹き抜けのような広間を進み、大きな屋敷にありがちな広間のセンターに堂々と構えている階段を上る。その階段を上りきったその先、ほんの100メートル先にあるどこかの王様のような気品を感じさせる深紅のソファに父親が座っていた。その隣にはメイドが左右に一人ずつ立っている。 青年が三十メートルほど進んで、片膝をついた。 「…お連れしました、公爵様」 「ご苦労」 青年の体がわずかに震えているのがには伝わってくる。父親はそんなに偉い人なのだろうか、と思うが父親の偉大さなど分からなかった。父親はニヤリと笑い、私を見た。卑下たような瞳。本来ならば美しいとされるようなエメラルドグリーンの瞳は悪意に濁っており、青年の淀みないマリンブルーの瞳とは全く異なったものだった。父親はその端正な顔を歪め、私をメイドに風呂に入らせるように言いつけた。私はメイドがそれに了承する声を聴き、メイドの為すがままに身を任せる。 風呂に入り垢の一つも残らぬように綺麗になった私は、私の姿を見てギョッとした。あまりにも現実離れしたような人形のような容姿だった。父親とは似ても似つかぬような銀色の髪、エメラルドグリーンのかけらも感じない血のように赤い深紅の瞳。私はこんな顔をしているのかと思った次の瞬間にメイドが私の頭の上から下着を着せて私の視界は一瞬さえぎられる。白いペチコートを何枚も重ね、仕上げにいたるところにレースがあしらわれているふんわりとした可愛らしい黒のパフスリーブのワンピースを着る。非常に高価な素材なのだろう、とてもつややかな色をしていた。その後もタイツやらなにやらを履かされ、黒い靴を履き、仕上げに頭に大きな黒い薔薇の付いたカチューシャをつける。 「こちらへどうぞ」 先ほどからこればかりである。メイドの後に感情もなくついていけば、先ほどの広間で深紅の椅子に深々と腰かけた父親が満足げににやりと笑った。 |