後ろを見れば何もない、とりわけ変わりのない道のりを進んできた私自身何をしたいのかもわからずに生きる道を選んでいる。



 「…」
 「何だ、そんなにおかしいか?」



 合成音声ソフトの無機質な返答が返ってくる。とりわけ仲のいいわけでもない、ただのクラスメイトはなぜだか私を心配しているらしいのだ。元気のない私を励ませと依頼されたわけでもなく、自主的な活動だと言う。全く変な奴だと思わざるをえないような彼はなぜ、このような行動に出ているのか私には理解できず頭を抱えるほどでもない程度に悩んでいる。今まさに教室を出ようと扉に手をかけ鞄を肩に担いで帰ろうとしている私は、じいっと彼を睨んでいるように彼の瞳に映るのだろうか。私は彼の合成音声のように無機質な、何の感情もこもらない淡白な口調で唱える。



 「…私が何をたところで他者に迷惑をかけないなら私の勝手」
 「なぜそんなにが思い悩む必要があるのか俺にはわからない」
 「そこまで腹を割って話せるわけでもない貴方に、話すことなんて何もないよ」
 「…だからと言って、そんなに生気のない目をしたを放っておいて翌日死んでいたら元も子もないだろう」



 私は、そのパソコンから流れる音声に耳を傾けていた。別に話を合わせることに意味は無い。私が彼のいないところで死のうが生きようが、私の勝手で彼に私の家庭事情が知られていたところで別に何の同情もいらない。救おうとする無益な行為を、その人の好意すらも悪意に満ちた策略に見えてしまうのはきっと私の心が手遅れなくらいに荒んでしまっているからなのだろう。私は少しだけ眉をしかめて、ギリ、と奥歯をかみしめる。



 「貴方には関係のない事でしょ、スイッチ君」
 「…本当に関係が無いとでも、思っているのか?」
 「何か関係があるとでもいいたい口ぶりだけど」



 彼は器用にパソコンでカタカタとタイピングを始める。私以上の無表情さで何を考えているのか全く理解できそうにない。ここまでのポーカーフェイスならば腹の中で私をあざ笑っていてもおかしくない。くだらないことで悩んで、馬鹿みたいな私のことをいっそ笑ってくれたら気分が楽なのかもしれない。しかし、彼の打ち込んだ答えは単純で、そして実にくだらなかった。



 「クラスメイトが悩んでいるならば、俺たちスケット団の出番だからな」



 「…綺麗事、だね…」
 「お前の小さな悩みごとき調べはついているが、あえてこんなところで時間を割いてまで、わざわざ話す事でもないだろうと俺は思うのであえて話さないのだが実は話して読み手に分かりやすくしておいた方がいいのかもしれないし含ませながらずるずる長引かせるのも一種の策略かもしれない…まあどちらにせよ俺には関係が無い事だがな…!」



 彼はフハハハハ、とそのパソコンにカタカタと文字を打ち込む。いったいどういう仕組みでそのパソコンが動いているのか全く分からないし、理解したところで私に何の利益もないのだけれど気にはなる。彼が何の目的があるのかは全く分からないけれど、信じる気はさらさらない。彼には悪いかもしれない、でもわたしはそういうふうにできているし、酷くねじまがった性格をしているから人と浅くしか付き合う事なんてできないんだ。それでも、そうしていれば争いには巻き込まれないし偽装した平和を楽しむことができる。楽な道を選んでいると言えば分りやすいのかもしれない、何の目的もなく、ぼんやりと生きるだけの私がどうして生きているのか全く分からないし分かりたくもない。理解しがたい人種だという事は分かっているし、理解しづらいことだと言うのも自分が一番わかっていた。だから、



 「あ、そう」私は視線を彼から床へ逸らす。夕焼けが赤く染まっていた。
 「俺でよければ慰めてやろうか、…ヨーシヨシヨシえらいねー」
 「…………えっ…もしかして馬鹿にしてる?」



 「おのれ…気づかれたか…!」
 チッ、と冗談のような口調まで彼はカタカタとパソコンで打ち込んでいく。



 「…目的は自己満足? それとも自己陶酔?」
 「そんな所だろうな、所詮人間なんてそういうもので成り立たざるをえない生き物なのだからな…キリッ」
 「…変な人」
 「ありがとう、そしてありがとう!」
 「別に褒めてないよ」彼の突拍子もない言葉に、くすくすと笑いがこぼれる。



 人との会話で本当に自然に笑ったのは、何日ぶりだろうか。しばらく作り笑いしかしていなかった気がする、たいして面白くもない話に自分の意見を同調させるのも、人とうまく付き合う秘訣かもしれない。私はそれしかできなかった不器用な人間だから、自分を殺して生きていくしか方法が無いと、いや今でも思っているしそれが一番楽だと思っている。と同時に茨道だという事も知っている。









 「ふむ…やっぱり笑った方が、俺は好きだ」
 「え」唐突にパソコンから出てきた言葉に、私は視線を泳がせる。
 「『笑った方が好きだ』、って言ったけど聞こえなかったカナー? どうなのカナー? デレ期マダー?」
 「え」まったく彼の言っていることが分からなくなるくらいには混乱しているらしい。「え?」
 「秀才というものは急な場面展開についていけない事が多く自らのキャパシティを超えた時に冷徹な仮面すらもかぶれなくなるくらいに狼狽える…、お前が天才肌とは違うことを俺は事前に調べていた。俺にとってお前の行動は全てまるっとお見通しだったというわけだ…俺の掌の上で転がされていたお前のデレ期を待っていた…つまりは、……………計算通り…!」
 「…デレキ? なにそのデッキブラシの略みたいなの」
 「…一般人を装うつもりか」
 「普通の人って一般人じゃない?」



 パソコンからズキューン、という効果音が響く。



 「…ボケ殺し……だ…と…!」



 「…特に用がないみたいだし、じゃあ」



 私はがらりと扉を開けて教室を後にする。待て、と言う言葉が聞こえたような気がしなくもない。はぁ、とため息をつく。不覚にも好きなんて言われてどきりとしたなんて何だか悔しいから言わないけれども、少しだけ。……ほんの少しだけ、救われた。私は廊下を一人かつんかつんと靴音を鳴らしながら歩く。もはや校舎にいる人は、普通の生徒ではなく部活動もしくは生徒会の人程度のもので、日はすっかり落ちていた。野球部の声がグラウンドに響いている。馬鹿みたいだ、ほんとに。






 「自己利益で簡単に人を裏切る事しかできない、所詮人間なんてそんなものでしかないのにね…おかしいなぁ」
 下駄箱から靴を出しながら、私は苦笑した。















レーベルラック






お題 ::雪ある厳間の月を愛で 様





(20110702) まとまらない病