ずるずると深い深いマリアナ海溝に沈んでいくような気持ちを引き戻すように、私は黒板へと視線を移す。先生が教壇に立って、千七百年は云々とか何とか言っている。私は黒板の文字が自分のノートに書いてある文字の羅列よりも大いに増えている事に気づいてノートにシャープペンを走らせた。文字を写経しているかのような無機質で単調な作業は、私は嫌いではない。寧ろ、手を動かしている事でそちらに集中する事ができるので余計な煩悩を断ち切る事が出来るから、正直な話こういうノートをまとめるような地味な作業が比較的好きだった。


 次の文字を写すために黒板をぱっと見ると、ふと赤い帽子で視界をさえぎられてくいっと顔を横に少しだけずらして黒板の文字を写す。目の前の赤い帽子は、クラスでもよく目立つ存在でまるで風来坊のように振舞う彼はクラスのムードメーカーのようなそうでないような妙な存在だった。浮いているというのが正しい言い方なのだろうか、果たしてその表現方法が的確か否かはさておき、この赤い帽子の彼はクラス内でも特異な存在であるのには変わりなかった。


 しかし周りのクラスメイトたちは比較的彼の存在に、馴染んでいる。毎度おなじみ、何て言葉がよく似合うような存在自体が明るくて光源のような人。私の前の席に座る藤崎佑助くん。通称、ボッスン。なぜそんな不思議なニックネームが付いたのかは私の理解の範疇外だけれど、それを考えれば笛吹くんだって似たようなものだった。確かにスイッチ、という風貌ではあるけれど。


 私はカリカリとシャープペンをノートに走らせる。白いページばかり続いているノートが、徐々に文字に埋め尽くされて黒くなっていく。





 「で、あるからして」


 先生がフランス歴史について熱弁を始める。ああそういえばこの間も同じような話をしていたような気がすると思ったところで、前の席の藤崎くんが口を開いた。
 「センセー、その話昨日も聞いたんっすけどー」

 「お、そうかそうか」先生が照れたように頭をかく。「最近は忘れっぽくていかんなあ」
 ハッハッハ、と彼が笑うと同時に教室の何人かの生徒が笑った。前の席の藤崎君は頭の後ろで手を組んでいる。ふああ、と間の抜けたような声が聞こえてきたのできっとあくびでもしているのだろうな、と思ったら私も思わずあくびがでる。ふああ。




 この先生は18世紀からのフランス史についてやたら詳しい。どんな珍妙な事件や知られていないような(それこそ教科書に出すら載っているかいないかわからないような)事件やらなにやら、妙な所をつついては出す。そんな先生だ。先生から配られたプリントはその手の本からの抜粋が多く、テストも妙な回答をしなければならない問題が多い。一年間かけてようやく彼の問題対策法を身につけてはきたが、やはり彼は突拍子もなく突発的行動の多いような問題が多い。しかし裏をかくように、普通の問題も紛れているので見極めるのが難しい。まるで怪盗が探偵に果たし状を出すのに似ている、と思うと少し近いかもしれない。


 先生がカリカリと黒板に文字を書いていく。生徒がみな一様に同じ動作をしてノートに同じ文字を書き写していく。私もぼんやりとそれをノートに写しながら、赤い帽子の頭越しに黒板を眺めた。それにしても、本当に目立つ人だと思う。帽子も帽子の上からのゴーグルも改造されたとしか思えない服装だってそうだけれど、なによりその存在感が発光体のようなのだ。


 明るい、眩しいような赤色。それでもどこか私には青色に見える。フェイクのような赤の中にうっすらと混じる鮮やかな、青。





 とても、変な人。
 変わっている。
 でも、どこか憎めないような圧倒的存在感のあるこのひとは。












 私は彼の背中を、ぼうっと眺めながら教科書へと視線を移してそしてまた黒板へと視線を移す。先生は、「で、あるからして」とおなじみの口調を繰り返しながら教壇で熱弁をふるっている。















抜けるように




青い毒をあおる







お題 ::雪ある厳間の月を愛で 様





(20110528) ボッスンってさりげなくもてるところが面白いよね。さすがイケメン(笑)