聞き分けのいい子供だったわたしは、いつだって親の言うとおり生活してきた。そんな足枷のようなものがはずれたとき、わたしはどうすればいいか正直わからなかったのかもしれない。振り返ってみれば他人の敷いたレールの上をゆっくりと歩いてきただけの人生に、少しだけ刺激を求めたわたしはそのレールを少しだけ外して自ら堕ちたのかもしれない。愛に溺れたわけじゃないのに、愛を求めるだけの、ただのわがままを貫き通して我が道を行き過ぎるわたしはどうあがいたってわたしでしかなかった。その点彼はわたしからはとても自由に、見えた。


 ただ羨ましかったのか、その羨望が憧れから恋心に変わったのか、わからない。それでも確かに、非道なことをされても彼はとてもきらきらとしていて、いつかわたしもこうなれたらいいなと思えたのだ。その外科医との出会いは、わたしにとって、なにか特別な意味があったのだろうか。道を踏み外してまで、手に入れたものは、失ったものは、最終的にたどり着いて振り返ってみても、わたしにはわからないんだと思う。


 外科医は私に対して非道でありながら、優しかった。
 心が満たされる。


 彼に搾取されるようなわたしを人が笑おうと、構わない。もうすでに心は彼の、彼だけの、わたしでいる。



(20130122|×|空で溺れる魚の幸福)