獅郎はベッドの上にいる。昨夜の情事は長いもので起き上がるのが億劫になるくらいに翌日に応えるものだった。私は先程ゆっくりと起き上がりながら衣服を身にまといずるずると体を引きずるようにしてベランダへと出れば涼しげな夜風が頬を撫でる。時刻は午前三時三十分。けだるさと眠気が襲ってうつらうつらとする。瞼を閉じれば闇が広がる。風の音や人が目覚める前の静けさが感じられて好きだった。この時間帯も、獅郎という人間も、そして私を無償で愛してくれる人も。そのすべてがうつくしいものでできているような錯覚にとらわれる。実際問題人間がみにくい生き物だったとしたところで、獅郎という一人の男の事を私はきっとうつくしいものの部類に入るのだろうと思って苦笑した。





 (私は獅郎にゾッコンらしいなぁ)





 にやにやと緩む頬は冷たい夜風で冷やされる。好きすぎて胸が苦しくなるとはこう言う事なのだろうか、生きている年もさほど離れていない彼は私のよき理解者であり身をゆだねられると感じた人の一人。今まで何人もの主人がいたけれども私の事をこれほどまでに親身に考えてくれる人は彼以外いなかったように思えてくるから不思議だ。確かに本当に考えてくれてはいなかった人も中には何人かいたけれど、私にとってそのすべての人が私を条件付きであるにしても本気で愛を注いでくれる人であり私の中にある虚無を埋め合わせてくれる人でもあったのだから文句は言わない。
 それに、肝心なのは今なのだ。





 (獅郎と生きている今この瞬間を大切に生きていきたい)





 いつからこんなに自分がやわな人間のような感情を持ち合わせてしまったのか分からなかった。それでも私自身がこの気持ちを獅郎と共有しているという事実が、単純に嬉しかったのかもしれない。人と感情を分け合って支えあって生きていくということは私たちの種族にとって嫌悪されるべきものであり一重になりうることはないものであり、そのような俗物的な一時の感情に流され過ちを犯すなどあってはならなず言語道断とばっさり切り捨てられてしまうものだった。だからこそ私は憧れたのだろうと今になって思う。俗物的に流されて破滅を選ぶ道だとしても愛する者に添い遂げられる幸せとは何か、という永遠の探究心を私は見つけたかったのかもしれない。





 そういえば母上は誰にも使えたくはないと駄々をこねながらも虚無界に戻りたくもないという我儘で物質界にとどまり続けている。連絡は定期的に今日はポテチ食べた、とか新作のコンビニ弁当を食べた、とか食べ物の話ばかりが送られてくる。やっぱりこっちの食べ物は何でもおいしいと言うのが私たちの感想だった。しかも簡単に作れたり、もともとおいしく作ってあるものがお店に陳列されているものだから妖魔には人気が高いのである。特に人気なのがフランス料理やイタリア料理、そして日本料理でインスタントラーメンをはじめ刺身やパスタなど物珍しさとその独特の味に惹かれて使い魔業を生業にしているエルフ種の友人も少なくないしむしろ多いくらいだった。






 さて今度獅郎にラーメンを作ってもらおうと私はベランダから部屋に戻る。よたよたと足を引きずるように歩いてベッドに戻る。獅郎がきもちよさそうに寝息をかいている。そのきれいな髪を撫でれば、ううん、と彼が唸った。本当にいとしいと感じる、かけがえのない人。












 「獅郎、愛してる」




 そう呟いて私がそっと彼の唇にキスをする。彼はまたううん、と唸った。
 私はそれを聞いてくすくすと笑う。






















(20110528:titleソザイそざい素材 ) 最近こんな事しか考えられなくておっさんかっこよすぎてもえしぬくらいすきですネイガウスさんもすごいすきすぎておっさんです このかわいいおっさんどこにおちてますか ひろいにいきます ください