私はごろりと布団の中で寝返りを打ちました。
 母の気配が微かにしたような気がしました。私が、むくりと半身だけ起こして気配のほうを振り向けば案の定そこには母の持ち霊である彼が居ました。私はやはり来たのかと思いながら、彼に視線を合わせます。アガスティアはうやうやしく私に一礼しました。
 目の錯覚であって欲しいと何度思ったでしょうか。しかし彼は霊として確実にそこに存在していました。
 彼は私と目線の高さを合わせるように、畳の上に正座しました。


 「明日、母君はこちらにおいでになられます。もちろん、貴殿も存じ上げておられるものと思いますが見合いが行われます」
 「はい、承知しています」
 逃げたって、無駄なのだと思い知らされます。しかし覚悟を決めていた私は頷きました。母にもアガスティアにも敵わぬのは実力の差がありすぎるからでした。私はまだ弱い。弱い事を知っていながらも、行動を起こせていない負け犬にすぎません。負け犬がただ一つ覚えのように、遠吠えを繰り返すだけなのです。


 「どこに逃げようがどこに隠れようが、貴殿は見つかる運命。まさかこんな所にいるというのは予想の範囲外でしたが私の能力を持ってしてみれば貴殿を見つけることなど容易い事。どこに何があるのかなど手に取るように分かる」

 「それも重々承知しております」
 私は苦虫を噛み潰したような、気持ちになりました。


 「貴殿の心の中など私に分からない、だが貴殿がここに来るという事実だけは分かっていた」
 「それがあなたの本職ですから、アガスティア」
 私が皮肉交じりにそう言うとアガスティアは優雅にほっほっほ、と笑います。


 「私は母君の命令によって動いているにすぎず、私にはこの先の未来も予想できている」
 「どうなるのかは、教えてはくれないのですね」
 私がおずおずと問いかければ、そのうちに意味深な笑みを浮かべてアガスティアは言います。


 「貴殿と、碓氷の少年次第」
 「それは、」私はおずおずと問いかけます。「どういう」
 私の質問の後にしばらくの間が空きました。目が合ったアガスティアの、その意味深な笑みに心の奥を見透かされたような気持ちになり、ぞわりと身の毛がよだちました。私の覚悟がゆるゆると少し炎の揺らめきのように揺らぎ、静まりました。アガスティアは暗闇の中、少し声のトーンを落として言いました。


 「まあこれは私の推測にすぎない。貴殿は聞き流してくれて結構」
 私はその答えにどきりとして、眉を潜めます。「聞き流す、とは?」
 私の言葉に答えようとしないでアガスティアはさも楽しげに話します。
 「恋心というのは自由恋愛に発展する一歩手前の段階。複雑怪奇な難解で心臓に重圧のかかる痛みはおそらく恋の病、俗に言う『恋煩い』というもの。誰だって一度は経験するものですから不思議に思う事はありません」
 「私は、でも…そんなことは…!」
 「貴殿に言っている訳ではないので聞き流してくれて結構。しかし思い当たる節は無いわけではない筈」アガスティアはニコリと笑いました。そして少し上のほうを向いて、独り言のようにぼんやりと言いました。「そういえば母君は貴殿に居場所の分かった事を報告しろと告げただけで私に余分な事は詮索するなとも余計な事を話すなともおしゃられていません。母君はこの会話を聞いてはおられないのです、私と貴殿だけの内密な話としていただいて結構」


 「でも、私は、分からないのです」
 「そんなにも想っているのにですか」
 「!」
 「私はずっと恋をする若人の姿を見てきました。分からないはずがありません、貴殿はとたんに綺麗になっている」

 私は顔がとても熱くなるのを感じました。まさか。それでは、あの胸の高鳴りも妙な気恥ずかしさも、胸が締め付けられるような痛みもぜんぶぜんぶ恋煩いのせいという一言で片付けられるのでしょうか。辻褄は、確かに間違ってはいない。でも、分からない事は山積みでした。


 「私はこれにて失礼致します故」
 「生半可な気持ちのままにして、ここを出て行くというのですか」
 私は思わず立ち上がり、手を伸ばしてアガスティアを引きとめようとしましたが彼の方が一枚上手でした。私の右手はすかっと彼を通り過ぎます。


 「それは貴殿次第、選ぶのは自由」
 アガスティアはにこやかに微笑を浮かべ、そう一言残して、すうっと消えました。滅茶苦茶です。アガスティアのしていったことはもっとも静かで非情で横暴で乱暴で凶悪で卑劣で劣悪で最低な行動でした。私はアガスティアのそのような所がとても嫌いでした。希望なんて、持たせて何になるというのでしょう。私を絶望の淵へと誘き寄せる為の一歩なのでしょうか。希望も期待も今になってもらった所でもう何の意味もないと言うのに。私のまぶたからは静かに涙があふれ出てきました。


 どうせ逃げられやしないのです、明日は確実に来るのです。私はぺたんと気が抜けて布団に座り込みました。
 私はただの生殺しでした。こんがらがってしまって、めちゃくちゃになった糸はもう解けない。









(間違いだとしても)


それは私の中で、ひそやかに芽生えていた感情でした。































とうとう神を本気出して調べるあたり残念ですねわかります。神とか預言者とか調べだすと止まらない件について。(20100111)

アガスティア…出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紀元前3000年頃にインドに存在していたと言われている伝説上の人物。インドでは聖者とされており、鹿の皮に古代タミル語で書かれた予言を書き残したとされている。この予言は弟子によってパルミラ椰子(Palmyra)の葉に書き写されて残されており、この世に存在するすべての個人に関する予言が残されている。