お饅頭をもぐもぐと食べ終わり私はふう、と一息つきました。
 ホロホロ君は相変わらず真剣にテレビを見ていて私はその隣でぼんやりとその横顔を眺めていました。不覚にも目が合うかもしれないなんて思って、さっとテレビに視線を移します。なんなのでしょう、この応酬は。
 気恥ずかしくて、それでもずっと見ていたくて。でも目線が合うなんてもってのほかで。ああなんて、もどかしい。



 テレビから響く声が無機質に響きました。


 考えるたびに思います、果たして、私の自由とは何なのだろうと。
 私の人生には常に母が介入していました。母なしで人生設計を決めた事など私の思い当たる所今回の事しかありません。そもそも私はいままでそれなりに不自由な暮らしもせずに生活してきました。家を出て考える時間が少し増え、自分は少し親に『甘えていた』のではないかと思うようになりました。
 私は親が言うならと従って生きてきましたが、今になって考えてみれば私だって好きな事くらい自分で決めたいと思う年頃になりました。自分で決めて自分で行動できる人になりたいと思うようになりました。思えばそれはいけない果実だったのかもしれません。ただの禁断の果実だったのかもしれません。


 ホロホロ君の見ている番組は特番でやっている人間ドラマでした。このような番組もみるのかしらなんて地味な思考回路が働きます。心臓の音がどくんどくんと聞こえそうで恐ろしくなりました。

 『どうして?』
 『どうせ無理だって、やめたほうがいいよ!』
 『そうよ、それにね…』


 台詞が断片的にしか頭に入りません。ストーリーの筋は全く見えてきませんでしたが、何となく主人公の女の子が何かに挑戦しようとするのを友人たちが必死に『主人公が行動を起こす事をやめるよう』主人公の事をおしとどめているように見えました。バン、と机を叩く音がして、びくっと現実に引き戻されてテレビを見れば、その中から響いてくる音だと気づきます。


 『そんなのやってみねーとわかんねーじゃん』


 あっさりと言い放つその言葉は、私の心を強く打ちました。威風堂々ではなく、飄々と颯爽と駆け抜けていくような競走馬のように私の心の穴を通り過ぎて一陣の風を巻き起こしてゆきました。とても素敵な言葉だと、思いました。



 『何アイツ、自分では何もやんないくせに!』
 『ったく、誰がやるとおもってんのよ』


 口々に主人公を取り巻く女の子がいいます。主人公の子は、しばらく教室を出て行く少年の後姿を眼で追いながら、強い意志を持った瞳で言いました。


 『私がやるのよ』


 きょとん、とする女の子たちに主人公の女の子がぽんと彼女らの左肩と右肩を軽く叩きました。そして三歩前に歩み出て机に置いてあった学生鞄を片手でひょいと持ち上げます。


 『私たちが成功させるのよ』
 『何言ってるのよ、正気?』
 『今まで前例だって無いのに』


 主人公の女の子は二人の取り巻きの言葉になんて目もくれないように言い放ちます。


 『前例が無いからこそ、私たちがつくるんじゃない』
 くうー、燃えてきたわ。と言う主人公の女の子に折れて、取り巻きの二人が目を合わせてため息をつきました。あんたにはつきあってらんないけど、友達だから仕方なく付き合ってあげる。最後まで見届けるまで絶対に諦めさせないから。と言う言葉と共に、エンディングを迎えました。どうやら後編へ続くようでした。




 続きが気になるエンドロールをぼんやりと眺めながら、エンドロールと共に流れていく文字をついうっかり目で追っている私がいました。ホロホロ君の方は気恥ずかしくてまだ見る事が出来ません。私は意気地なしだと思いました。

 彼女は強い。主人公である彼女が、友人二人のやる気の起こらなかった意思を変えました。そしてドラマに出てきていた彼も主人公の気持ちをちゃんと汲んで、物事を推し進めようと彼女に協力していました。


 それに引き換え、私はどうでしょうか。
 目の前の現実から逃げて、自由奔放のようにのうのうと彼の家に居座っている。 私などの一時的な思いなど、所詮叶わぬ事だったのかもしれません。諦めるのも、一つの手なのかもしれません。
 しかし、私は今現在もこうしてホロホロ君の隣に座っていました。
 どうしようもない不束者で親不孝者です。


 それでも、諦めきれない自分がいて私は自分自身が情けなくなりました。












(善も悪もない)






























見ていたのは学生モノのドラマ。見るつもりは無かったのに最後まで見てしまったという。…よくあります。(20100110)