「お生まれになりました! ……女の子です!」

 産婆が子供を取り上げたと、使いの侍女がやってきた。息も荒く、頬が少し上気している。「こちらです…」ともごもご口ごもる侍女をその場に残し、一族の長は何も知らないままに母親になった正妻の元へと向かった。自らの第一子がどんな子であるのか、早く顔を見たい気持ちが空回りしていた。早くこの腕で抱き上げたい、その気持ちだけでその部屋へと向かっていた。バタバタと音を立てながら、上質な絨毯のしきつめられた渡り廊下をかけぬけてゆく。衣擦れの音がやけに大きく響いていた。途中ですれ違った産婆は何事か呪いのように喚いていたが、今はそれよりも娘の姿を一目見たいという気持ちの方が勝っている。目的のドアの前に付けば、ただその一心で少しだけ寂れたノブを回して押し開けた。ギシ、ときしむ音がして、ドアが開く。どくん、という心音とともに、ぞわりと背筋に悪寒が走った。

 まず、男の目に入ってきたのは妻が横たわっている姿だった。顔には死人のように白い布がかぶせられている。
 慌てて駆け寄った男が妻の顔にかかる白い布を取り払った時に見たのは凄惨たる光景だった。妻は既に息を引き取っており、瞳に光さえ宿さない。まだ完全に冷たくはなっておらず、わずかな体温と、死後硬直のはじまりかけた、やわらかな陶器のような褐色の桃色かかった頬が、その現実を物語っていた。あぁ、と男のうめき声がこぼれる。瞳からはぽたりぽたりと零れ落ちた涙は、シーツに真新しい透明の染みをつくっていた。そこで、その様子にぴくりともせず、赤子らしからぬ様子でこちらを凝視する存在に気付いた。妻の傍ら、何やらその場にあったような布で乱雑にくるまれたその存在。男は恐る恐るそれに近づいた。

絹のような白い肌、ふっくらとした頬、真っ赤な唇。そして紅い瞳、白銀にきらめく髪、切れ長の眉。それは両親共に黒髪で少し地黒の褐色の肌を持っている遺伝子から生まれてきた子だというにも関わらず、その両親には似ても似つかぬような正反対とも捉えられる容姿をしていた。(目の前にいるものは本当に自分の子なのだろうか、どうしてこのような子が生まれてきたのか。)そう考えた長は、妻の傍らに寝かされている、まだ小さな体のいきものをうつろな瞳で眺めていた。何も考える気が起こらない。病と言う可能性以前に言い伝えを信じた産婆は、子を見た瞬間に青ざめ、わあわあと何事か呪詛のようなものを喚きながら出て行ったのだと、その時の様子を見ていた侍女たちは後に語る。子どもと産婆と、果たしてどちらが恐ろしかったのか。


「……何という事だ」その子供は幼いころから言い聞かされてきた言い伝えに、よく似ていた。「この子が……あぁ、神様」

 (母親の命を吸い取って、自らの色を全て大地にささげ、その代償として永久の命を持つ事を悪魔と契約した子供)

 まさしくその通りの子供だった。自らの色は無く、妻の命をも喰らい潰し、そして。
 一族の長は、自らの子を抱き上げる事もなく、服の袂から取り出した折りたたみ式ナイフでその小さな矮躯を切りつけた。切りつけた体の真ん中からは血が噴き出したか、吹き出していないかわからないような瞬間に、時間が巻き戻ったかのような動作により一瞬で塞がってしまった。赤子から流れる血を拭えば、そこには傷一つない、つややかな白い肌があるだけだった。何も知らずにきゃあきゃあとはしゃぐ子供の声と、誰かの息を飲む音が聞こえた。そして長はとうとう目の前のそれが忌み子の類いであると悟ったという。誰も嘘だと言う者は無かった。そして長はその娘を布にくるんで、抱きしめた。男は、もう既に手遅れだった。



 それからというもの、一族の長は自らの娘を堂々と人前に出しながら育てた。産婆はどこかへ行ってしまったらしく、悪いうわさはそれほど立たなかったと言う。しかしながら陰でひそやかにそのやり取りは行われていた。あれから長には再び妻もできた。そしてその後妻にも、子供を授かる時が来た。
 男はドキリとした。しかしそれは、もはやどちらでもよくなっていた。一族の女たちには、皆同じように魅了する血液が流れているからだ。そして、この娘たちにもそれは同じように受け継がれて流れていく。仕方の無い事だった。結果として男は自殺した。そう、耐えられなくなったのだ。自分の娘たちに、欲情を抑えきれなくなっていく自分自身に。





 ふ、と瞼を開ける。随分と懐かしい一番最初のわたしの記憶。なぜ生まれたときのことを覚えているのか、これも『血』の運命なのだろうか。周囲を探索しに行った彼に見つかる可能性は非常に高く、それでいてほかの人に狙われる可能性は高い。それでも、わたしは行かなければならなかった。戻らねばならなかったのだ。本能が呼びかけていた。血が呼んでいる。
 彼との間のものは口約束だけでどうにかなるわけじゃないけれど、一応の信頼は置いていた。

 だから、
 さよなら。そして、ありがとう。そんな書き置きを最後にわたしは姿をくらませた。



(20150107|×|そして世界は呼吸をやめた)