気づけば、糸をほどくよりも簡単に組み敷かれている。油断したわたしに非があった。マグカップにわたしが口をつけて呑んだコーヒーを、そのまま男に奪われたのが敗因だった。コーヒーの入っていたカップはごろりと床に力なく転がっている。無意識のものとはいえ、こういうことに慣れていたわたしはいつも通りの対処をしようと身体をひねったのだけれど、この男はまったくぴくりともしなかった。殺気をとばそうが、なにをしようがぴくりともしてはくれない。どうして、という疑問も一瞬のぎらりとした瞳で何もかもがわかった。わたしは彼に通用しないくらいによわいのだと。否、彼がとんでもなく強すぎる念使いであるのだと。

 「や、…あの!」
 するすると流れていく手つきをとめようと、わたしは男をにらんだ。野蛮な格好をしているくせにこんなにも実力差があるなんて反則だった。人は見かけによらないとは言うけれど、やはりこの人は強い。だからこそ、わたしに止めるすべはない。強いが故によわく、よわいが故に強く絡みつく。だからこそ厄介なもの。わたしの中に流れるものは厄介なことに相手の念が強ければ強いほどに惑わされる。それはまるで媚薬のように甘美で一度入ってしまったら抜け出すのは至極困難なシロモノ。わたし達、一族の生殖を目的とする『血』が誰これかまわず『誘惑』する。これが自由に制御できないのは、わたしが一族である以前に成人ではないからに他ならない。出会ったもの全てを惑わすような魔性の血が、全てのものに働く。
 男の腕は止められず、節くれ立った指がするすると衣服の中に入ってくる。目に生理的な涙が浮かべば、涙をなめとられてしまう。それが更なる至高を生み、悪循環となっているにもかかわらず男はそれを意に介さぬように行為をつづけていく。ごつごつとしてひんやりとした手のひらに、ふれられるたびにぴくりと身体が揺れた。


 滝のように流れ落ちてくる彼の欲望の、その波に身を任せている内に長い夜が明けていた。意識の朦朧とした中でベッドの上で起き上がるわたしの隣には誰もいないわけではなかった。わたしの隣には昨日の男が横たわっている。取り急ぎ服を身につけていれば、背後の気配がむくりとうごいた。常人ならば一日二日、悪ければ一週間は動くのも困難だといわれるこの芳香は今は少し薄らいでいた。それもそうだろうが、理由は野暮なので聞かないで欲しい。わたしはじっとこちらに向けられている視線にくるりと振り返った。もはや既にわたしは着衣であるが、男はそのままの姿でうすっぺらい安そうな布団にくるまっていた。目はこちらをみている。

 「おはようございます」
 「……お前、何者だ?」
 「わたしは
 「そう言うことを聞いてんじゃなくてだな…」
 男は起き上がりながらがしがしと髪の毛をかいた。ごわごわとしたぼさぼさの髪がさらにぼさぼさになる。「あー、どこの生まれでどういう身分かってこと聞きたいんだけどよ…」
 「レテ族の長の娘」

 男は何も身にまとわぬ男はしばしの間腕を組んで、「目的は?」と短く問いかけた。素直に答えてもいいものかどうか、わたしは眉をしかめた。
 「大きな目的としては婚約者を探しに。わたしには、別に興味は無いけれど、長の娘としては当然の定め。わたしがもしダメだったときは、妹が同じことをするだけ」
 「……レテ族といえば、俺に思い当たるのはひとつしかない。要するに俺はまんまとお前につられてひっかかったって訳だな…」
 「通常の人間に対しては無害。どうやらわたしたちの体液は念使いにとっては致命的なものであると聞く。しかし遭遇することそのものが宇宙人と遭遇するレベルの確率ですので警戒などはほぼしない。世間では伝説の生き物に近いなら、そのほうが狙われず何かと都合がいい。もしもあなたの口が堅いのなら、わたしのことは黙っていて。あなたのことも一夜の過ちということで見逃す」
 どうせあなたはわたしについてこない、わたしの気が変わってあなたについていかない限り。そう続けてにこりと笑えば、男ははぁ、と長いため息をついた。ため息をつきたいのはこちらのほうだった。確実にこれでみごもるのはわたしだ。あの男ではない。

 「それとも、付いてきてわたしの仲間でも娼婦として根こそぎ売り払う? 高価なんでしょ?」
 「馬鹿なこといってんじゃねーよ。お前、冗談でもそういうことは言うんじゃない」



(20120412|×|不確定な愛してる)