どうしたら、この気持ち悪い気持ちがなくなるのか途方も無く考えてみたが結論は出なかった。いまだかつて経験した事のないような焦燥感。そして集中力の途切れ。自分が自分で無いような、今にもこの世界から取り残されて消えてしまいそうな不安感。何が原因か、全くもってわからない。心当たりすら、みあたらない。私がのんびりといつも通り公園のベンチでくつろぎながら暇を持て余していると、いつものように彼は私の隣に腰掛けてきた。名前は知らない。しかし最近妙に会う変な人だ。背格好を見ると、どうやら同じ年のようでもありもう少し年上のようにも見える。しかし年下のようにも見える。今年でようやく上忍になることの出来た私だけれども、同年代の子はもうほとんど殉職してしまったようだった。後に残っているのは、私を含めてもう十本の指で数えられるほどしかいない。忍の世の中など薄情なもので、依頼主からの扱いは上級任務になるにつれて一層酷く過酷な仕打ちになることが多い。それも仕事。これも仕事。唯の任務に過ぎない。そして私たちなど、一国の駒に過ぎない。


 「今日は、非番か?」
 「うん、」私は頷く。「君も?」
 「ああ」

 どことなくそよ風がなびいてきて、彼の銀髪がゆらゆらと揺れる。気持ちのよい午後の日差し。…というのは冗談で若干太陽の日差しは眩しく厳しいけれども、この空気が私は好きだ。のんびりと平穏に流れていく時間。そしてその流れている時と風と太陽と空気と自然と温度を肌で感じる事が出来るこの時間こそが私の気分転換の一環となっている。これがなければ、私は任務の疲労で押しつぶされてしまうに違いない。

 「そういえば、名前聞いてないけど」
 彼が、おもむろに口を開く。
 「今さらだ、」クスクスと私は思わず笑ってしまう。でも名前を聞かれたからには名乗らねばならない。「私は。…君は?」
 「はたけカカシ」
 「そうか、君が後輩か」
 噂の新人ルーキーと言われて名前だけは聞かされていたがまさかこんなところにいたとは思いもしなかった。灯台下暗しという言葉がよく分かる。意外と近くにいたものだと感心して彼の事をまじまじと眺めていると、べしっと彼に軽く額をたたかれた。

 「いつまで見てるんですか」
 「あう、」意外と額にダメージが来ていたので、手で額をさする。「注意されるまで見てた」
 「変わった人だ…」
 やれやれ、といった表情でため息をつく彼は少し大人びて見えた。

 「君も十分変わってるよカカシ君」
 私が言ってやると、彼はまた私の額を小突いた。「あう、」と私はまた悲鳴を上げる。
 「痛いよ」私がまた手で額をさすっていると、彼は突き放すように一蹴。
 「自業自得です」
 「殺生だな!」ふくれっつらをしてそっぽを向いたら、くいくいっとシャツの袖を引っ張られる。
 「何用?」もうしょうがないな、と彼のほうを向くとさっきの事はどこへやら。彼は普通に普通の表情に戻っていた。むしろちょっと真剣な顔つきのようなそうでないような気がした。けれどまあそんな些細な変化はきっと、あまり関係はないのだろう。
 「、また、ここに来るか?」
 「あ、うん。来る」
 「そうか、分かった」
 彼は一人合点すると、「じゃあな!」と言って去っていってしまった。なんだったんだ。とても嵐のような奴だな、と思っていると、何だか胸の奥にぽっかりと穴が開いたような、そんな消失感を覚える。まさか、ね。私はその可能性に蓋をして、家路に着いた。



























 





 恋愛沙汰に、興味など無かった。
 色恋沙汰に、まさか自分が染まっていくなんて思ってもみなかった。
 忍たるもの、感情を表に出してはいけない。そんな事くらい、分かっていたはずなのに。俺は、どうしようもなく、あの人に恋をしてしまっていた。
 全く、情けないと自分でも思っている。そんな事に現を抜かしている場合ではないと言うのに、彼女に会うたびに心躍らせている自分がいて反吐が出そうになる。畜生。


 「情けねェな…」


 独り言のように呟いたその言葉は、誰にも聞かれる事も無く消えていくはずだった。
 そう、そのはずだった。




 「本当に情けねェな」


 その声が隣で凛と響いた。
 何者かにこんなところまで接近されて気づかないなんてどうかしてる。そんな事を思って距離をとろうとすれば、右肩にポンと手を置かれた。誰かと思って慌てて顔を見ると、だった。緊張が緩まった後に、また別の意味で緊張する。


 「私、本当に情けない。君にも分かってしまったんだね、後輩にまで言われるとは本当に情けない」
 何やら、彼女は誤解をしているらしい。上の空のようなぼんやりとした表情。そしてそれがいつも異常に艶やかさを増していて、彼女の魅力という魅力を引き立てている。その綺麗でさらさらと靡いている黒髪もその魅力を引き立てている。兎に角今日の彼女は何時もよりも綺麗、と言うよりも美しいと言う形容詞が似合う人になっていた。

 「そうなんだよ、何をしても上の空。何をしても失敗ばかり。何をしても足を引っ張ってばかり。何をしても何をしても何をしても集中力が続かないんだよ。本当に情けない」
 おかげで小隊にとても迷惑をかけてしまった。しかし運の良いことに私よりも出来る奴が小隊にいたから何とかなった。と彼女はしょんぼりと俯いた。
 何を言っているのか、最初は理解が出来なかったが徐々に彼女が何を言わんとしているか分かってきた。どうやら彼女は任務でちょっとした失敗をしたようだ。いつも気丈で失敗とは無縁そうな人なのに、珍しい。彼女の事だから何か心配事があるのか、はたまた何か思い悩んでいる事があるのか。


 「どうして、またそんな事に」
 「さあ、分からないけれど」彼女は本当に分からないらしく、考えるポーズをしてうんうんと必死に考えている。「得体の知れない何かに心臓を蝕まれている気分だ」
 「え」
 心臓の病気か、何かかと心配したが彼女は俺の考えている事に気づいたのか「心臓の病ではないらしい」と、仏頂面になって腕を組んだ。「だから悩んでるんだよ、意味が分からない」
 「そっ、か」
 もしかして、もしかしなくても悪い方向に思考が働く。
 彼女も、俺と同じなのかもしれない。相手はわからないけれど。
 そうなれば可能性は、薄くなる。

 「カカシ君に会うと、毎回落ち着くんだけどね」
 「何が?」
 「心臓病?」
 「って、分かんないな」
 「私にも分からないんだから、君に分かってたまるか!」
 「言ったな!」
 べしっという音とともに、の額を小突くと「あう、」といつも通りの奇声を発した。「痛い! …やったなカカシ君!」
 そしてべちっという反逆音。
 「うっ」
 額に軽い衝撃が走る。軽くたたかれたという事が、体に伝わってくる。しかも地味に痛い。

 「この地味な痛さが分かったならもうやっちゃ駄目だよ!」
 俺は地味にジンジンと痛む額をさすりながら、の額にもう一発くれてやった。あう、という奇声があがる。




























 





 そう、これだと気づいた時にはもう遅かったりした。例えるならば、バーゲンとかバーゲンとかバーゲンである。可愛い洋服を見つけてその場で買わないとなくなっている。そんな事件がよくあると聞くけれど、私にとってそれが遅いのか遅くないのか良く分からなくて、そういう意味でこれはどうにかなる問題なのかと友達に聞くことも出来ずに私は家で恋愛関係の本と映画を読み漁り見漁りしながら自分の感情について整理し始めていた。恋愛に関する書籍を何冊か読んだ結果、私のこのもやもやっとしたよくわからない悶々とした胸が締め付けられるような気持ちは「恋」と言う名の初々しい病気らしい。恋煩いとか俗に言うようだけれども、私にそんなそのような世間一般のかわいらしい女の子のような言葉が似合うとも思えない。さらにその書籍によるとこの「恋煩い」と言うのは、ぼーっとしたり、気合が入らなかったり、何をやるにも上の空だったり、集中力を途切れさせたり…と、厄介な事ばかり引き起こしていく面倒なものらしい。でも一つだけ、「恋煩いしている女の子は可愛くなる」という利点があった。そこだけはちょっと嬉しい。映画については、何だかストーリーと人間ばかり見ていて肝心の恋愛要素がこれっぽっちも頭に入らなかった。これは全く役に立っていないのと同じだった。普通に楽しんで見れたので私は何にも気にはとめない事にしたけれど。と、まあ前振りが長くなってしまったが、要するに私はどうやら恋に落ちてしまったらしい。
 しかし、肝心の相手が分からない。恋に恋していると、単純に言ってしまえば簡単なのだろうが、これはどう考えてもおかしい。まさかあの人な訳はないだろうし、あの人に恋してるわけもなさそうだし、あの人は全く関係ないし…と身近にいる同僚を片っ端から思い出してみても何の変哲も無い唯の同僚な訳で、全く恋愛対象としてみていない事に気づく。だとしたら、この想いの先には誰がいるのか。全く分からない。
 先程も話したように、話し相手になってくれる女友達が、ここぞとばかりに殉職してしまったために私には男友達しかいない。そんなガサツな連中にこの乙女心が理解できるだろうか。いや、理解できるはずが無い。それこそ、軽く似合わないと一蹴されるのがオチだろう。そこで、友人に助言を求めるという一番手っ取り早い手段が消えてしまう。訳が分からない。
 悶々とした気持ちを抱えながら、レンタルビデオの山を返しに行こうと全部鞄に詰め込んで外に出た。何かまだ悶々とした気持ちが胸の中で渦巻いているけれども、とりあえずビデオが確か今日までに返却だった気がするので兎に角ビデオを返すのが第一だと町のレンタルビデオ屋に急ぐ。


 「こんにちは、ちゃん」
 「あ、こんにちは」すっかり顔なじみになってしまったビデオ屋のアルバイトのお姉さんにビデオを返す。
 「今回は恋愛系借りたんだね」呑気にタイトルを眺めながら、にやにやとしてこちらを向くお姉さん。「誰か気になってる人でもいるとか?」


 私は苦笑交じりに答える。


 「いるといったらいるような気もするんですけど、よくわかりません」
 「若いって複雑ねえ…」お姉さんは物憂げに何かに思いを馳せた後、「私もあったなあ…ちょっとしたドラマみたいな恋愛話」と一人呟きながら華麗な手さばきでビデオのバーコードを機械で読み取っていく。そして言葉を続ける。
 「私ね、ちゃんくらいの時好きな人がいたんだけど…その人、結構皆に人気があってね」
 「アイドルみたいな感じですか」私が首を傾げる。
 「そうそう、それで皆その人のこと好きだから皆が恋敵になって周りとギスギスしてきたの。それこそ昼ドラみたいになっちゃって。…だからやっぱりその時の私は友達と仲良くしたくて違う人が好きなの、って言っちゃったのよ。それで今の旦那がそいつなんだけど」くすくすと自嘲気味に笑うお姉さん。と、そこでお姉さんは奥さんだったらしい。と気づく私。お姉さん…いや奥さんは続ける。「でもね、後から聞いた話なんだけど実は私が一番好きだった人が私を好きだったみたいでさ。…今考えるとちょっと惜しい事したかも、って思うわけ」
 まるでドラマの恋愛劇のようで、とても複雑である。私は頭に疑問符がたくさん浮かんでは死んでいく気分を味わった。でも奥さんは綺麗だから今も昔も異性からものすごくモテるだろうと思う。むしろ奥さんのほうがアイドルだと私は一人勝手に考えて頷いた。



 「だからね、ちゃん。好きな人が分かったらとりあえず告白しなさい」
 「え」
 「チャンスは、絶対に逃しちゃ駄目よ」
 その奥さんの真剣な気持ちに私は思わず頷いてしまった。
 たまには、色恋沙汰も悪くないかもしれない。




























 





 レンタルビデオ屋から出た後に、結局奥さんに嵌められてまた新作を借りてきてしまった。確かにおもしろいと評判の映画なので見ようとは思うが、なんだか奥さんは強いと思う。あんな奥さんを見習って私も美人で綺麗な奥さんになろうと思ったが生憎のところ相手なんて見つかるはずも無く。誰が意中の人かもわからないままに私はぼんやりと帰り道を歩いていく。ふと、いのいちさん宅の花に眼を奪われる。しばらくぼーっと突っ立って見ていると、いのいちさんに声を掛けられた。まあ、当然と言えば当然で当たり前だ。


 「お、ちゃんじゃないか」
 「あ、いのいちさん…お久しぶりです」
 「誰かにプレゼントでもするのかい?」
 いのいちさんが華麗に営業スマイルで対応してくれる。「いのいちさん所の花が綺麗だな、と思ってぼーっと見てました」
 私はぼーっとしていたので気が付けばついつい口を滑らせてしまっていた。正直に答えてしまってから後悔する。何を言っているんだ自分は。いのいちさんはハハハ、と笑って「やっぱりちゃんはちゃんだ」と言った。私としては訳が分からないが、私は私に変わりないのは事実だと思う。むしろ私が私じゃなかったらいったい誰なんだろうと思うけれども、今の私は私じゃない気がする。やっぱりこれは恋煩いのせいだろう。まったくもって傍迷惑な病気である。


 「そういえば、最近元気がないらしいけど悩み事でもあるのかい?」


 そんな噂が立っていたのか。いのいちさんにまで話が伝わっているなんて自分は相当じゃないか。ああもう私の馬鹿、恋煩いの馬鹿。なんて思いながら言葉を返す。


 「ちょっと悩んでたんです」
 「悩み事か…女の子だなあ」にこりと笑ういのいちさん。
 「ははあ、まあ女の子ですね」えへへ、と笑いながら頭をかく私。
 「女の子は悩みがあったほうが綺麗になれるんだよ」
 「うーん…そうですか。さっきもビデオ屋の奥さんに同じような事を言われました」


 一瞬きょとん、としたいのいちさんだったが、私が左手に持っていたビデオレンタル屋の袋をみると意味を把握したようで「それじゃあ、これはサービスだ」といって一輪の綺麗な花を私に差し出した。私は「いいんですか」と首を傾げる。いのいちさんが頷いたのを見て、私はありがたくそれを頂戴する。売り物を貰ってしまって少し申し訳ない気分になったけれど、いのいちさんのご好意なので私はちょっと嬉しい気分になった。

 「その花は、ネモフィラ。花言葉は、『華麗なる成功』」
 「華麗なる成功…」小さなかわいらしい一輪の花だ。これで華麗に成功できたらならどれだけ幸せだろうか。私はまじまじと花を見つめる。かわいらしいラッピングまで施してくれたいのいちさんを見ると、にこりと笑顔を見せてくれた。


 「だから、頑張れよちゃん」
 「…はい! えっと、応援ありがとうございます」
 だから私もいのいちさんの笑顔に負けないように精一杯の営業スマイル。
 「さようなら! あ、ネモフィラもありがとうございます」御礼を言って手を振りながら別れを告げると「おう、じゃあな!」と言ってにこやかに手を振ってくれた。


 左手にビデオレンタル屋の袋。そして右手には一輪のネモフィラを持って私はぼんやりと帰り道を歩く。 それでも、この恋煩いは誰のせいでかかってしまったのか今だに全く分からなかった。
 「ネモフィラ、君はどう思うよ」
 もちろんの事、ネモフィラは答えようとはしてくれないが『華麗なる成功』の言葉を信じてこの恋煩いを何とかしなくてはと考える。考えて考えて考えて見たけれど、相手も分からないのに華麗に成功するのだろうかという疑問が浮かんできたので振り払った。前途多難である。今だ進展を見せないとは、何事だろうか。私は泣きたい気持ちをこらえてため息をついた。






()(20090729:ソザイそざい素材























 





 家について、ぼんやりとしながら夢うつつの状態で花を花瓶に活けた。

 自分が何をしたいのか、どこにたどり着こうとしているのか分からない。けれど分かってしまったと仮定して、もしそれが報われない恋だとしたら私はどうすれば良いのかすら分からない。多分そんな事になったとき、私は私の性格からして潔く身を引くのだろうと思った。


 報われない恋だっていい、ただ、相手が幸せにさえなってくれればいい。


 そこまで考えて、ふと我に返って考え直して見る。
 そもそも相手が分からないのに恋に落ちているとはどういうことだろうか。恋に落ちたという自覚症状があるにも関わらず、相手が分からないとは。ただ恋に恋しているだけではないか。
 しかし誰かが好きだと言う自覚症状が自分の中にあるせいで、よけいに意味が分からない。私はいったい何がしたいのか、何が目的なのか、なぜこんなにも不安と焦燥感に駆られなければいけないのか、なぜこんなにも集中力が途切れて上の空になってしまうのか。


 そしてなぜこんなにも胸が苦しいのか。
 いったい恋の病は何を目的として私の中に巣食っているのだろう。


 「分かんないな、ほんと」


 ぼんやりと花を眺めて苦笑しながら、華麗なる成功は私に訪れてくれるのか考える。おそらく自分自身で行動しない限りそれは無理だろう。しかし行動を起こす事すらままならないのでは話が別かもしれない。普段色恋沙汰に疎い私のかわいそうな頭が許容量を超えてパンクしそうだった。 ふと、妙にそわそわして来ていてもたってもいられなくなった私は、いつものベンチへと向かう事にする。いつも通りの公園。しかしいつもと違う私がそのベンチに腰掛けて項垂れていた。緩やかな、穏やかな公園の空気が私を包んでいく。しかし、いっこうに私を取り巻く空気は変わらない。変わろうともしていない。


 「こんにちは」
 ふと掛けられてしまった声に反応して顔を勢いよく上げれば、そこにいたのはカカシ君だった。
 「ああ…カカシ君」
 私は力なく微笑んで、ベンチの隣をぽんぽんと叩く。彼は失礼します、と言って隣に腰を下ろした。いつもとは違う私に、若干気を使ってくれているのか心配そうな表情が伺える。「大丈夫、か」カカシ君は首を傾げる。
 「健康なのに重病なんだよ、私は」


 恋煩いとは辛いものだとのんびりと考える。しかし私が、いったい誰を好きなのか歴然としない。どうしたら、分かることが出来るのだろう。 どうしたら、知ることが出来るのだろう。どうしたら、把握する術が見つかるのだろう。どうしたら、熟知する鍵が見つかるのだろう。それは判然とせず見つからず、漠然として見つけている。

 「自分でも、分からないんだ。君に話すべきではないかもしれないし、話すべきかもしれない。私にも判断が付かなくて、収拾も付かなくて、結論付ける事もできなくて、どうしたらいいかもう分らないから私には手の施しようが無いことに気が付いてしまったんだけれど」彼は黙って聞いている。「答えが出ない事がこんなにも苦しいなんて、思ってもみなかったよ」
 私は、自分の中身を吐露し続ける。「カカシ君、君は私の事をどう思う?」
 「…分からない、…でも」
 「でも?」私は彼の右眼を見つめる。
 「嫌いじゃない」
 「そっか、良かった」
 『良かった』…まあ嫌われていない事は良いことだけれど。自分の言動に少し引っかかりを感じたが、私に限ってそんな事はない。いやありえてはならない話だ。それに彼にもきっと好きな人がいるのだろう。その恋路を潰してしまうような私ではない。


 「私も君の事は嫌いじゃないよ」そして社交辞令のように私は彼の頭をくしゃくしゃと撫でる。
 「…どーも」
 「じゃーね、カカシ君」
 私は礼を述べる彼を背にして、いつもの公園を後にした。



(君はすてきな恋をしている)
(だから、誰にも負けない想いだけれど、今はひとりでしまっておこう)



























 





 叫びだしたい気持ちと、叫び出せない臆病な私が葛藤していた。今だかつて無いほどに、事態は急速に展開しているように思える。聞いてしまったけれど、聞かなかったフリをして気丈にいつも通りに振舞う事なんて不器用な私には出来ず。すぐにアラがバレてしまうに違いなかった。そう、私は聞いてしまったのだ。彼の言葉を。彼の気持ちを。
 事態は数分前までさかのぼる。いのいちさんがくれた花はとうに頭をたらして情けなく俯いていて、あれから随分と行動もせず毎日を上の空で過ごしてきたきたことを如実に表している。しかしながら上忍としての任務は一流とはいかずともそれなりに場数を踏んで経験でこなしてきたし、仕事とプライベートは別と踏ん切りをつけたおかげで何とか支障をきたさずに頑張ってきた…つもりだ。そんな私が、Aランク任務から帰ってきたときのことである。ふと、話し声が聞こえた。私は何も無かったように通り過ぎれば、事は何もなかったように収まったのだろうが、その話の中で私の名前が何度も出ているものだから少し気になって好奇心により足を止めてしまったのが間違いだったのである。そもそもの始まりがここからだった。何人かの声が入り乱れている事から、数人のグループで話し合っているように思える。きっとアレだ、私が最近怠惰にふけっているから格下げが起こるんだ。あんな奴がなぜ上忍なんだ、とののしられているに違いない、なんて思っていると特に別段そういう話でもないらしい。


 『、あいつ無駄に美人だよな』
 どこがだ、と突っ込んでやりたかったが、生憎盗み聞きなので物音を立てるわけにはいかない。気配を無意味に消してドアの向こうの会話に耳を済ませ、神経を集中させる。
 『わかるぜ、任務中も色気でやられそうだ』『最近、特にオーラがでてきたっつーかよ』『ま、恋でもしてんじゃねーの?』『マジかよ、相手は絶対俺じゃん』
 お前に会ったことなんて一度も無いぞ、と思いながら動こうにも動けなくなってしまったその場を離れるわけにはいかない。

 『くだらない事、話してる暇があるなら少しは修行でもしたらどうです?』この声は聞き覚えがある。気づけばそれはカカシ君の声だった。『なんだ、はたけ。お前喧嘩でもふっかけようっていうのか』『そんなつもりはありません』『ハッ、お前こそ少しモテるからってのろけてるんじゃねえぞ』『それは単なる負け惜しみにしか、聞こえませんけれど』『っんだと!』派手な音が響く、相手が勢いよく立ち上がったのだろう。いかにも頭の悪そうな、すぐに任務で死んでしまいそうな阿保だ。『テメェ、調子に乗りやがって』


 『彼女はあなたみたいな阿呆は相手にもしませんよ』


 よくわかっているじゃないか、と少し感心して、これは相手を挑発しているんじゃないかと焦りを感じる。これは人騒動起こりそうだがとめに入るべきだろうか。しかしそれでは私が立ち聞きしていたのがバレてしまう。そもそもさっきの音がなった時に部屋に入れば何とかごまかせたかもしれないのに私がぐだぐだと悩んでいたせいで出遅れてしまった。
 情けない。とため息をついてはっと後悔したが中の連中が周りのことを気にする以上にカカシ君に気を取られていたようなので私のため息には気づかなかったようだった。

 『本格的に、痛めつけられてぇようだな』
 『争う気は無いですけれど』
 緊迫感。緊張感。シャキン、という金属音が響くかと思いきや、どん、と鈍い音が響いた。何事かとドアの隙間から中の様子を見る。


 『くそっ』
 どうやら、男が繰り出したパンチをカカシ君が変わり身の術で避け、そのかわりに机が被害をこうむったらしい。先程の鈍い音は、カカシ君が殴られて骨が折れてしまったわけではなく机が破損した音のようだった。よし、頑張れ、じゃなくて止めないと。でもどのタイミングで入っていったら良いのか全く分らない。さっきの鈍い音のタイミングも逃してしまったので次の鈍い音のタイミングで入ろうと思っていたらもう既に二撃目は男の強靭な腕から繰り出されていた。また出そびれて頭を強かに壁に打ちつけてしまった。しかしこの壁にぶつかったにもかかわらず音が出ない。幸か不幸か、痛さに悶絶しながら床にしゃがみこんだ。

 『彼女はアナタのような阿呆には渡しません』
それはまさしく、痛さに悶絶する私の脳裏に響いていた。夢ではない。その証拠にこの頭の痛さは本物だ。頬をつねったけれどその痛みも本物だ。どうやら彼が、私をかばってくれているらしい。


 『ならお前がふさわしいとでも…』男が何か言っているがそんな事は頭には入ってこなかった。
 『俺以外に誰がふさわしいと言うんですか』
 それは、当たり前のように。必然だと言わんばかりの口調で、ああこれほどにも私は彼の事が大好きなんだと自覚するまでに、何秒何分何時間何日何ヶ月かかったのだろうか。願わくば神様、これが本当に現実でありますようにと、私はもう一度頬をつねった。痛みが襲ってきて、こみ上げてきた涙をこらえる。






()(20090729:ソザイそざい素材)私の思考回路は全て、アナタで埋め尽くされているの。























 





 「俺以外に誰がふさわしいと言うんですか」

 その言葉を言った瞬間に、男が激昂するのが見えた。感情を押し殺す様子も見せず、本当にコイツは忍びなのだろうかと眼を疑うような言動、そして行動が目立つ。俺の安い挑発に、即座に手を出すのも怪しい。しかしながら、俺のこの挑発の言葉には嘘は無い。
 それに俺が何よりも許せなかったのが、この薄汚い考えしか持っていない輩が彼女の話を持ち出した事だった。こんな奴に、彼女が惚れる訳が無い。こんな奴なんて目にも留めないはずだ。俺の知っている彼女ならば、もう少し上品で礼儀のある男に惚れるはずだ。こんな奴では、断じてない。


 「貴様ァ…この岩隱の鬼才と呼ばれる……俺様を…コケにしやがって…」
 「…!!」
 …コイツ、木の葉の格好をしているくせに木の葉の忍じゃないだと…!? 面倒な事になってきたみたいじゃないか…それに俺の前で堂々とスパイを名乗るとは良い度胸だ。おそらくあいつがリーダーだとするなら、他の奴らも全員敵と考えたほうが良さそうだな。返り討ちに、してやるよ。


 「馬鹿、お前何正体ばらしてんだ。ズラかるぞ」細身の男が、先程の男を止めて窓を指差している。しかし、男は聞く耳を持たずに戦闘する気満々といった所だろう。こちらを見る目がギラギラと光っている。肉食獣のような、獰猛な瞳だが俺には敵わないだろう。
 「こんなチビ一人に何が出来るって言うんだ」
 「何のために変装してまで忍び込んだと思ってる、状況をよく把握しろ」
 「ハッ、こんな奴一ひねりにしてやれば情報なんて漏れやしねぇよ」
 「お前、置いていくぞ」
 「勝手にしろ」
 男は余裕の表情で構えている。痩身の男は男のほうを睨む。ここで大きな物音が立てば、しばらくして不審に思った奴らの増援が来るだろう。しばらく、相手の出方を待つ。下手に手を出して自分の手札を見せるのは、得策じゃない。内輪で揉めているのならば尚更だ、もし奴らが俺よりも強かったと仮定するならば俺は最悪の場合死ぬだろう。相手は自分たちがスパイに来たという事実を、俺を殺して揉み消そうとしている。死ぬ気でかからないと、俺が死ぬ。相手に情けなど、かける必要は無い。相手が印を組もうと手を合わせようとする。来るか…。身構えたその刹那、目の前をクナイが横切った。これは、と思って身を引けば案の定起爆札が爆発する。爆発音が部屋の中に木霊して、あたりを煙がつつむ。しまった、と思って相手から距離をとると目の前を人影が横切った。しかしこちらに攻撃してくる様子は無い。


 「くそっ、覚えてろよ!」
 そんな捨て台詞が聞こえて、窓ガラスが割れる音がする。

 「行ったぞ、とっとと捕まえて取り調べておけ!」
 この声はだろう、うっすらと彼女らしき影が煙の中に見えた。どうやら外にいる援軍は彼女が呼んでくれたらしい。
 「畜生! 挟み撃ちかよ」
 「残念だったな」
 男は声にならない声を上げながら木の葉の忍に捕まってしまい、あっけなく御用となったようだった。なんとも情けない奴らだ。そもそもあいつ等は何でスパイに来たのだろうか。普通ならスパイ活動にはもっと優秀な忍をあてるものではないのだろうか。
 頭の中で浮かんでは消えるその疑問を頭の片隅に転がして、事態が収束した現場を確認する。先程の机は起爆札の爆発のおかげで無残なほどに砕け散っているし、床も黒く焦げ付いている。
 全く、無茶するよな…の奴。


 「カカシ君、怪我は?」
 ぼんやりと焼け跡に見入っていた俺は、の声で現実に引き戻された。
 「無い」
 「それを聞いて安心した」彼女は胸をなでおろして、にっこりと笑う。「凄く大きな音がしたから敵の襲来かと思ってびっくりして、皆で見に着たらホントに敵が来てたみたいで大変な事になってたから思わずクナイに起爆札つけて投げたんだけど」
 「おひとよしだな、
 「それが私だから」
 俺が言うと、彼女はクスクスと笑った。





()(20090729:ソザイそざい素材)彼女といる事が出来るだけで、幸せだからそれで良い。























 





 それはあらかじめ仕組まれていた事だったことなんて夢にも思うはずも無く、私はまんまと敵中へ飛び込んでいった。飛んで火にいる夏の虫とはよく言ったものだと私は思う。まさにその言葉が今の私を表現するにふさわしい一言にちがいない。ベスト一言賞とか賞がもらえるに違いない。と考えたところで、私を拘束している連中の一人が私の喉元にクナイを突きつけていた。私は術で木に縛り付けられているので動けない。絶体絶命、崖っぷち。


 「さん、いい加減に吐いたらどうです」
 「嫌です、私は人前で嘔吐できません」
 汚いじゃないですか、と真面目な顔をして言ったらそんなんじゃないですよと凄まれた。目の前には近所の村に攻め込んでいた干柿鬼鮫。信じられるか、いやまさかこんな大物がこんな小さな里に攻め込んでいるなんて思いもしないだろう。そんな事ならもう少しまともな人員と小隊を組んで任務にやってきたに違いない。全くなんて運の無い女なのかとため息をついた。
 応援はしばらく期待できない。私が帰ってこないと心配した里の上忍である数人が駆けつけてくれればいいほうだ。ちなみに小隊のメンバーである私以外の二人は帰らぬ人となり、計四つの語らぬ肉片に変わり果てて横たわっている。それほどまでに実力差があった。嘗めきってかかっていった二人も悪いが援護の遅れた私も悪い。どっちにしろメンバーに謝ろうにも謝る事はもう出来ない。死人に話すための口がなければ、死人には聴くための耳もないことは百も承知である。
 さて、どう時間稼ぎをしたものか。彼をじっと見つめて首をかしげたところで私の色気など紅には敵わず、そんな物にやすやすと騙されてしまう干柿鬼鮫でもないだろう。そんな奴は素人ならぬ一般人である。忍と戦うにあたって、妖術幻術の類をいとも簡単に相手にかけることができるのはあの写輪眼ぐらいのものだろう。面倒だ。本当に面倒なことになってしまった。


 「吐く気が無いなら、力づくで吐かせるまでですがね」
 「つわりですか」
 「そんなネタを引きずらないでください、冗談ですませたくないならお望みどおりに」
 「冗談です」
 私はぐいっと体を寄せてきた彼に対して首を振る。彼は「じゃあ、」と言うと「木ノ葉の内部事情、教えてくださるんですね」と残酷なまでに、にっこり笑った。やはりS級犯罪者というところだろうか、殺意の貫禄がかつてないほどに伝わってくる。こんな笑顔で微笑まれたところで、木ノ葉の内部事情を『はいそうですか』と教えるわけにはいかないのが私の事情。残念ながら、そんな一筋縄でいく女じゃないんですよ。クナイはぴったりと私の首筋にへばりついて食い込んでいる。仲間は二人とも肉の塊となり果てている。目の前にいるのはS級犯罪者である干柿鬼鮫だ。正直、一般人なら洗いざらい喋りそうな雰囲気だが私は一般人じゃない。木ノ葉の里の上忍である。こんなことでへこたれていては駄目だ、と自分にムチを打って気合を入れる。気合を入れたところでどうにかなる相手じゃない事は分かっているけれど、気休めにはなるのだ。私は気休めを二回ほど繰り返し、干柿鬼鮫の眼をじっと見つめた。誤解を招かないようにあえて言うならば、私に眼力は無い。写輪眼や白眼のような、特別な血継限界も持っていない。

 「嫌です。私は忍なので、あなたに漏らすような情報はないです」
 「そうですか、綺麗な状態で五体満足のアナタを見納めにするかと思うと胸が痛みますよ」
 「私の、四肢をもいでいくつもりね」

 複雑な心境の中、私が彼に言う。
 彼は、肯定ととれるニコリと残虐な笑顔を私に向ける。つまり、私の推測は図星。

 「気が向いて、話してくださるなら話は別ですけれど」
 「黙って拷問されて殺されるのは、私の性に合わない」
 「だからアナタが話してくれさえすれば、わざわざ拷問する必要もなくなるんですよ」
 「では逆に質問するけれど、あなたはなぜ里の内情が知りたいの?」あっけに盗られたような干柿鬼鮫の表情。
 「そうですねぇ、任務だからですかね」
 「そう、他には?」と聞いてみたが、時間稼ぎだと気づかれてしまったようで「もういいですかね、時間も押してますし」と言われた。彼は私の首元からクナイをはずすと布でぐるぐるまきにされている鮫肌に手をかけると、私の左腕にそれをぴたりとひっつけてきた。鮫肌と呼ばれるだけあってとても痛い。洗濯してたわしみたいになったごわごわのセーターを着ている気分だ。背筋がぞっとする。私は術で木に縛り付けられているので動けない。


 「じゃあいきますよ、左腕に別れを告げておくんですね」

 ああ、左腕さようなら。そう思った刹那、私と干柿鬼鮫の間に割って入るようにして彼は正義のヒーローさながらに格好よく参上した。






()(20090729)























 





 土壇場になってまさか自分にこんな幸運が訪れるとは思ってもいなかった。信じられるだろうか。否、そんな呑気な事は言っていられない。一瞬の判断が生死を分けると思って私はこの身動きの取れない状況をどうにかしようと目論み、手始めに鬼鮫が私を木にくっつけていた水術を私のチャクラを流し込んで解除することに何とか成功した。干柿鬼鮫の居た場所に向かって派手な爆発音が響く。


 「やっぱり」
 しかし、そんな簡単な手に干柿鬼鮫がやすやすと引っかかるはずも無く、その爆発の後には黒いすすが少量残っているだけでその姿はその場にはもう無かった。助けに来てくれたカカシ君は舌打ちすると、私の無事を確認するかのように話しかけてくる。実際確認もかねているのだろう。

 「大丈夫か、


 カカシ君の言葉に私は頷く。「どうしてここに?」
 私が尋ねると、カカシ君の後ろから不知火がひょっこりと顔を出す。黒煙に紛れて姿は見えなかったものの、気配だけはなんとなく察しがついていた。なぜなら彼が、腐れ縁の幼馴染だからである。私は久しぶりに不知火に会ったな、なんてそんな事を思った。
 「簡単な任務のくせにあまりにも達の小隊の帰りが遅いから、火影様からオレ達二人に様子を見て来いと命令が下ったんだ」そこで不知火は言葉を濁し、黒装束に身を包んだ彼らを見て眉間にしわを寄せた。「しかし相手がアレじゃ仕方ないみたいだな」
 私は、ため息をついた。敵陣の様子を探りながら言葉を紡ぐ。
 「まあね…私は大丈夫だけど他の二人は即死。任務は終わったのに厄介なのに会ってしまった」
 カカシ君と不知火は、干柿鬼鮫の水遁らしき何か変な術で見る影もなく無残な肉塊と化してしまっている故仲間達により相手の力量を大方把握したようだ。いつも通りの仏頂面で相手を睨んでいる。取り敢えず彼らは、私のような上忍一人で太刀打ちできるような相手ではない。そういう実力差が目に見えて分かる死体だった。戦うとなれば、相打ちもしくは自爆も考えなければ勝てる見込みすらない相手だ。どうしようもなく崖っぷちで絶体絶命。二人来たところで、干柿鬼鮫の後ろに居る謎の黒装束の力量も計り知れないのだから彼らが二人掛かりになって本気でかかってきたならば私たちは既に先立ってしまった仲間の後を追いかけることになりかねない。それくらいに、実力差がある。それくらいに、絶望感がある。いま死んだら、心残りがある。…私情を挟んでしまった。失礼。確実に戦闘になって命を落とすようなことがあるなどと覚悟を決めていた私だが、しかし幸か不幸か予想外の事態が起こった。黒煙が風邪に流されて見通しが良くなったところで干柿鬼鮫が早々に白旗を揚げたのである。要約すると、敗北宣言…いや、まさかの敗走宣言をしはじめた。…思わず耳を疑った。

 「今日のところはこのあたりで引き上げましょう、今日は戦うつもりではありませんから。しかし次に会ったら確実にアナタの命はないと思っていてくださいね」
 「逃げるのか」カカシ君がボソリと呟くようにして追いかけようと一歩前へ踏み出すのを私は見逃さなかった。腕を掴んで踏みとどまらせる。私は振り返って追わせろと目配せする彼に対して「深追いはするな」と目線で合図する。どうやらその意図が彼に伝わったらしく、おとなしくその場で踏みとどまった。私は干柿鬼鮫を睨みつける。


 「それでは」
 こういうところまで礼儀正しく去っていくのは何か意図があるのか、それとも彼の流儀なのか。彼はよく分からない人だと異常なまでに冷静になって考えながら彼が去っていくのを黙って見送っていた。そもそも彼の登場は予想外なので全く任務とは関係の無い事だ。私は報告書を書くのが面倒だと思いながら、地面に転がる仲間たちだった肉塊を眺める。ぼんやりと感慨にふけっていた時、ふいに任務は既に完了している事に気が付いた。そういえば後は帰るだけだ。


 「用も済んだから、火影様に報告した後で死体遺棄しにこないと」
 「後で誰か手配するか」と、不知火。
 「放置はよくないから」と、私。
 「ああ」と、カカシ君。
 生返事しか返さない彼に、私は問いかけてみる。「カカシ君?」
 「何だよ」仏頂面のまま彼はこちらを睨む。
 「大丈夫?」首をかしげると、そのまま彼に一蹴された。
 「それはこっちの台詞だ。左腕、血が滲んでるだろ」
 「ああ」そこで私は気づく。
 本当だ血が滲んでいる。きっと先程、左腕に『鮫肌』を押し付けられていたときに負った傷だろう。大して痛くも無いので気づかなかったがどうやら相当の出血だったようで、左腕が鮮血で真っ赤に染まっているのが視界に入った。


 「ああ」ため息のようにその言葉をもう一度吐き出した私は、持っていた白いハンカチでぐるぐると患部を巻いて応急処置をする。「これでよし」
 「後で医療班に診てもらえよ」
 「分かってるよ、不知火」
 「じゃあ帰るぞ」
 「そうだね」
 なんだかんだで彼に助けられてしまった私は、待っている報告書に怯えながら里への帰路を進んでいた。こうしている間にも、思いは募るばかりで心臓がはちきれるんじゃないかとひやひやしている。





()(20090812)























 





 その一言が言えたのならば、どれほど楽になれるのだろうかと考えてみた。しかしそんな事ばかり考えていても仕事はいっこうに減る様子も見せない。下手に死亡事故が起こってしまったうえに、それが暁と呼ばれる犯罪集団が絡んできているものだから報告書と詰問の嵐だ。休んでいる暇など私には無かった。洗いざらい知っていることと状況について話していた結果、私にはその日の事が忘れようの無い決定的な事実として頭の中にこびりついた。ありがた迷惑にもほどがある。

 「ああなんと現実の無慈悲な事よ」
 私はぼんやりと呟いてみる。窓の外に広がる空はうっとうしいほどに晴れ上がっており、どうでもいいくらいに私の気持ちは滅入っていく。どうしてこう、現実というものは面倒なのだろうか。私はぼんやりと文学的な感傷に浸った。目の前に居る不知火が、報告書の山を一つ手伝ってくれているのを傍目に見ながら持つべきものは優秀な幼馴染だと思った。

 「相当精神的に参ってんだろ、
 「ああ、やっぱり君には分かるんだね」私は感心する。「さすが幼馴染だ」
 「お前なぁ…誰でも分かるような反応してその発言はどうかと思うぞ」
 「どうすれば良いと思う」私が手を動かしながら彼に問いかけると彼は当たり前のように答えた。
 「取り敢えずこの山を何とかしろ」
 「了解した」
 私たちはもくもくと作業を進めていた。沈黙の中、カリカリと書類に文字を埋める音だけが響く。ひたすら描き続けていたおかげで、手が腱鞘炎を起こしそうなくらいに疲労困憊していた。多分私だけではなくかれも同じだろう。顔には疲れの色がうっすらと見える。何だか申し訳ない気分に浸りながら、意識朦朧のままに文字を書いていると、もう既に手の筋肉は何もしたくないと硬直して痙攣を起こし始めた。

 「…痙攣した、手が麻痺してる」
 「お前…大丈夫か、休憩してろ」
 「言われなくとも書ける状況じゃない。それより不知火は大丈夫?」
 「俺まで休憩したら誰がこの山を終わらせるんだ」
 「でも随分と量は減ったから、この際だし休憩したほうがいい」
 じゃないとこうなるよ、と痙攣してぴくぴくと歪な動きをしている私の右手を見せる。彼は怪訝そうな顔をしていたが、しぶしぶ私の意見を了承した。手が使い物にならなくなると言うのはこういうことを言うらしい。私は使える左手で缶コーヒーを二本鞄の中から取り出すとそのうちの一本を彼に投げる。ぱしっと受け取った彼は、「ありがとな」と短く礼を言って缶コーヒーを開け飲み始めた。
 私は左手で缶コーヒーを器用に開けると左手で缶を持ってコーヒーを啜る。コーヒーのほのかな苦味が喉を刺激する。集中力を切らさないためにも、コーヒーは欠かせない飲み物の一つだと思う。コーヒーを開発した人は偉大だと思った。コーヒーを急いで飲み終わると私は痙攣したままの右手を上下に振ってみる。


 「で、どうなんだ」
 「何が」不知火の唐突な振りに私の思考は追いつかない。
 「俺は何でもお見通しだ」
 「だから何が」主語を言え、と言うと彼は社長のように腕を組んだ。
 「好きな奴が出来たらしいじゃないか」ニヤニヤと悪戯な笑みをうかべながら問いかけてくる不知火。
 「あ、あう」
 何故ばれた、と言う顔をしていたのだろう私は感情を表に出さないように勤めたつもりだったが、それにしても何故ばれた。そんな疑問も彼は早々に吹き飛ばしていく。
 「ビデオ屋の奥さん、あの人は口が軽いから注意しとくべきだったな」
 「あ、奥さんやってくれたなもう」
 エスパーか、超能力か、第六感か、なんて思っていた私が馬鹿だった。全くやってくれる奥さんである。しかしながらまあ奥さんらしいと言うか何と言うか奥さんは奥さんだったというか。

 「俺には何でもお見通しだ」
 「何だか悔しいが認めざるを得ない屈辱を味わった気分だよ」
 「ほら、行くなら今だぞ」
 「どういうこと?」
 私が首をかしげると、彼は「うしろ」と声に出さずに指で私の背後を指差して合図する。どういうことだと後ろを振り返れば開けっ放しのドアの向こうを歩いていた彼と目が合った。…まさかエスパーか。と、不知火を見れば、彼はそ知らぬそぶりをして報告書と睨めっこしていた。
 「どういうことですか不知火ゲンマ氏」ぐいっと身を乗り出して抗議の声を上げたが、「俺には何でもお見通しだ」とまた同じ台詞を繰り返されてしまった。
 ち、畜生。完敗だぜ。どこぞの主人公クラスの恥ずかしい台詞を頭に思い浮かべながら、このイライラがどうしたら収まるのかちょっと考えて気休め程度の憂さ晴らしに私のところにある未記入の報告書を彼の陣地にどんと全部乗せた。「なっ」と彼がいかにもな悲鳴を上げたのを尻目に、私は廊下へと出た。




 どん、と意気込んで廊下まで来たのはいいが、それからどうすればいいのかと問われればどうしようもなくただ隣を歩きながら世間話をするのが精一杯だった。どこのうら若き乙女だ、と自分で突っ込みを入れたくなるような言動は身の程知らずにも程があるのではないだろうか。それは私の戦意を削ぐには十分の効果を発揮していた。ああ私はこの距離でもいいのかもしれないと諦めが入ってくる。それは一度諦めたら抜け出せないような底なし沼のようにずるずると私の足を絡めとって、足場の無い地底へと誘っていく。気づいたら死んでいました、というオチだ。そんな事になるくらいなら私は当たって砕けて死んでやる。
 しかし残念な事に、今の私にその勇気は、まずない。切り出し方も、上手く出来ない。やらない、できない、と来たら他に手の施しようが無いと神様がそっぽを向いてしまうくらいに私は行動力に欠けていた。アクティブという言葉は今の私にはまったく似合わないに違いない。行動力のある他の女の子が羨ましくて仕方がない。胸の鼓動が徐々に早くなっていく。もう信じられないくらいに私はうら若き恋する乙女だ。


 「そういえばさ、
 「うん」
 若干話題が変わったようなので私が首を傾げれば、カカシ君が至極真面目な表情をしているのに気づいた。いや、いつも通りだったけれども。ただ私の見方が変わってしまって無性に格好よくて頼りがいのあるカッコいい人になっているだけなのかもしれない。彼なら私よりも可愛くて愛らしくてプリティーでキュアキュアなおしとやかで大人しい大和撫子みたいな美人が似合うのだろうななんて早くも失恋前提の考えが頭をよぎる。そうだ、それに彼は噂によるとよくモテると聞いてしまったからにはもう後に引き下がるしかない。私はなんて間抜けなんだろう死ねばいいわ。私が被害妄想にふけっている瞬間に彼の口から私の何という短い質問に対する回答が紡ぎだされていた。

 「前々からずっとベンチに座っている人が気になって仕方なくて、オレはずっとその人に話しかけてたけれど、その人は別に好きな人がいるみたいで」
 「うん」訳も分からず、私は頷く。
 「どうすればいいか分からなくなった。だから、今オレはとても悪い事をするけれど」
 悪い事は良くないと、言おうとして口を開いた瞬間に彼の口から思いもよらぬ言葉が出てきた。


 「オレと付き合ってもらえませんか」


 私は時が止まったかのように、気が付けば歩みを止めていた。 彼は、私の前に立ちはだかるようにして通路をふさいでいる。
 「それは」まさかそんなこういう形で、「恋人としてという話でとって正解だよね」
 彼の気持ちに気づかなかったと言えば今までの経験上嘘になる。黙っていたんだから私のほうが数倍タチの悪い女だ。でも正直な気持ち、私の好きな人はカカシ君だけで。実際のところ、もう彼しか見えていなくて。


 「そうです」
 彼の真剣な眼差しが、なんだか恥ずかしくて正面から彼を見られなかったけれど。それでもやっぱり彼の眼を見て言わないと、気持ちが伝わらない気がしたから。


 「私が大好きなのは、ずっとカカシ君だけだよ」
 馬鹿、もう言わせないでと思いながら俯いた私の顔は人に見せられないくらいに赤くて。ああもう自分はなんてうら若き乙女なんだろうと思わざるを得なかった。こんなに恥ずかしいなんてもうこりごりだと思ったけれども、まんざらでもない。寧ろ幸せだ。そうだ、幸せだ。


 「え、」と拍子抜けしたような声と共に「もう一回言って」と小悪魔のような囁き。
 「あ、人の勇気を振り絞った、あの、あ……」
 私は、どうしたら良いか分からず恥ずかしくて口ごもる。
 「だって、オレじゃないって……」目をぱちぱちと瞬きながら彼は、動揺している。「……夢じゃないのか」
 「現実だから頬を抓ったら痛いのが分かる、よって現実だという事は了承済み」
 私は既に頬を抓った。彼も同じようにぐっと右頬を抓っている。「夢じゃ、ない」
 「だから、」私は改めて佇まいを直す。「不束者ですが、よろしくお願いします」
 そして彼は、目を見開いた後にとろけそうな微笑を浮かべて止めの一言。


 「こちらこそ」






(それは愛かと問うてみれば、それは私と肯いた。)
そんな事を言われてしまえば、肯定せざるを得ない。
()(20090812)