「八雲君、君の中途半端な靴下はどうにかならないのかッ!」 「うん?」と首をかしげる彼女は全く何も分かってはいないらしい。彼女は片方だけみっともなくずり落ちて長さの違う靴下を履いていて何とも思わないのだろうか。そしてなによりスカートが短い。それにカーディガンを着るなら着るでボタンをきちんと止めたらどうなのだろうか。そういえばブラウスのボタンもきちんと止まっていない箇所が見受けられて風紀の乱れだ、と憤らずにはいられない。例えあんな放送があって体育館で話されたような事態が起こった後でも、だ。 「君は著しく風紀を乱しているッ!」 「そうだね、そういえば君は風紀委員だった」 初日の言動といい、彼女は僕の理解の範疇を超えていた。常識では考えられないようなこの空間にいて平然としていられるような彼女の言動はいささか奇妙にも映る。自己紹介もしていない(と僕は思っている)状況で僕の名前を知っていたのも少しおかしい気がする。だからといって彼女を黒幕ではないかと疑うのはなにか間違っている気がするが、この意味のわからない状況がそうさせているのかもしれない。それでも僕は彼女に対してなにか本能的な敵対心を抱いていた。しかしながらこんな事を思うのは風紀委員として正しくない。全てに平等である、それが風紀を守るということだ。そのためにもまずは身だしなみから取り締まるのが必要だった。 彼女の身だしなみに対する関心のなさは自己紹介以前から知っている。あれは僕がこの学園の教室で目覚めた時のことだ。 教室で思わず居眠りをしている事に気づいた僕は「僕という者が授業中に机で居眠りなど…!」と声を上げてしまったが、その教壇には誰も立ってはおらず、教師らしき人物も見当たらない。ふわぁ、と呑気なあくびが聞こえてきて振り返れば横には見知らぬ少女の姿があった。前髪に寝癖のついた彼女は前髪をくるくるといじりながらまたふわあ、とあくびをする。ごしごしと口や目をを着ている服の袖で擦りきょろきょろとあたりを見回しているのを見ればどうやら彼女もこの学園の生徒らしい。ふと時計を見ればもうすぐ集合時間であった。そういえば窓の光も、と思い窓を見ればそこには異様な光景が広がっている。 窓には鉄板、天井からは監視カメラ、壁には液晶テレビのようなモニターが設置されており奇怪な壁紙が教室を覆っている。こんな教室は今まで見たことがなかった 「信じられない…」 僕がそう言ったと同じようなタイミングで隣に座る彼女は僕に話しかけてきた。「やぁ、石丸くん?」 右手を軽く上げながら話しかけてくる彼女は、急に顔を顰めたと思えば頭を抑えて呻き始める。僕は何がなんだかわからず表情をこわばらせた。 「だ、大丈夫か?」と心配して声をかけたがどうやら何事か考え込んでいるようで僕のかけた声には気づいていないらしい。少しばかり心配だったがしばらくしすれば彼女はすっと席を立ち上がりあたりを調べ始めたので、僕としても負けずに怪しげな雰囲気の漂う教室の中を少しばかり調べてみることにした。窓の鉄板は叩いても引っ張っても合言葉を探して言ってみても開かなかった。どうやって取り付けたのか、そこもわからないのでは開けようがない。彼女もコンコンと僕の隣で確かめているらしいが至って鉄板からの反応はなかった。その後も色々と探索したものの、手がかりになりそうなものは無い。妙な紙が一枚置いてあるだけだった。 ふと時計を見ればもうすでに七時半を回っていた。八雲君はどこから持ち出したのか、枕から備え付けの紐を取り出してぶらんと手首にぶら下げる。またしても彼女はふわあ、とあくびを一つして椅子から立ち上がると扉に向かって歩を進め、その取っ手に手をかけた。「さて私は行くとするが君はどうする?」 「…むむむ…、非常に納得がいかないがご一緒させていただくとしよう」 「…それにしても八雲君」 ドアを出たところでふと疑問に思った僕は口を開く。「何だね?」と奇怪な廊下を観察しながら歩く彼女は至る所にある監視カメラに手を振ったり、立ち入ることのできなさそうな部屋にぺったりと耳を張り付けて中の物音を聴こうとしたり貼られているテープをびりびりとはがしてみたりとやることなすことがいかにも子供じみている。 「君はなぜそんなに平然としていられるのだ? …何か妙な違和感があるとは思わないか」 「ああ」彼女は一度は頷いたが、すぐに興味を別のものに奪われたらしく「…ん? あれは改造だな!」と嬉々として壁に近づきボンボンと叩いた。思わず「やめたまえ!」と彼女の両手を掴んで行動を静止に入る。ぷらぷらと手首にぶら下がる枕が間の抜けたように揺れた。しばしの沈黙が流れた後、僕は自分の行動の不甲斐なさに「すまない!」と彼女の手を解放する。思わず掴んでしまったものの、いきなり女性である八雲君の手を握るなど風紀に反する。だがしかしそれで彼女は壁を叩くことを諦めたらしく、その後は壁を恨めしそうに見ながら廊下を進んだ。 「そういえば気になっていたんだが、その前髪はなんともならないのか」 「…君が直してくれるのか?」と言ってうんうんと頷く彼女に、僕は慌ててそれを否定する。 「君は自分で直そうとする気はないのか! か、仮にも女性だろう!!」 「身の回りはメイドや執事たちが全てやっていたから私は料理くらいしかできないのだよ」 「…身の回りの事は、料理よりも大事なことだろう! 料理は二の次ではないのか!」 そう言えば、「ふむ」と急に彼女は立ち止まるので僕も次に何が待ち受けているのかヒヤヒヤしながら立ち止まる。わからないものはわからないと彼女は至って真面目そうな表情で言った。彼女はくるくると先ほど指摘した前髪をいじりながら平然と周囲の状況を確認していた。「そ、そうか」僕は、一瞬ひるんだが彼女が言っていることは同じだ。八雲君、と言い返そうとしたところで彼女がまたしても口を開く。 「ところで石丸君」 僕は次は何だと身構える。へらりと笑う八雲君を見て僕の内側からなにかふつふつとした感情が湧き上がってくることに、後から気づいたがこれが何かはまだわからない。「君と話しているうちに着いたようだね」 ひょい彼女が右手の人差し指で玄関ホールを指さした。そして着いたところはあの封鎖された玄関ホールであったというわけだ。そしてかくかくしかじかあり、今に至る。 「これでいいかな?」 「八雲君のそのボタンはきちんと留めるようにしたほうがいいぞッ! そしてリボンもそのようにひん曲がっていては校内の学生としての風紀を乱す事になる。早急に直したまえ!」 「善処はしているんだけれどうまく留められないのだよ、このボタンいまひとつ留めにくいような作りになっているからね。いつもは使用人がやってくれるのだけれどここにはそういう人もいないみたいだし君がそう言うのなら困ったところだね」 ため息をつく彼女はボタンをひとつ留めようとして下のボタンを外していた。そんなことをしてはし、下着が見えてしまうではないか! 「なんだと…! それは…困ったな…、じゃない! 少しは自分自身ですることを覚えたらどうなんだッ!? ふざけていないできちんと留めたまえ」 「そうか、ではできなければ君が直してくれるのか?」 「こら、八雲君! 自分でやりたまえッ…そんな目で見ても僕は君の…やらないぞッ!」そうは言ったもののやってくれることを前提に話を進められては僕はどうしたらいいのかわからなくなる。しかしボタンと格闘しながら上から二番目のボタンを一番上の穴に留めようとする彼女に、八雲君は一体どうやってボタンを留めずにここまで生活ができていたのか疑問に思った。今時、健康な幼稚園やら保育園に預けられているような子供もできるような事ができない彼女はおそらく僕の目以外から見ても少し世間からずれているのかもしれない。必死に格闘するたびにボタンが穴から外れていくのを見てられなくなった訳ではないが、これ以上彼女に続けさせては僕が風紀委員として風紀を乱す事になりかねない。仕方なくここで折れることになった。 「……う、仕方がない、い、一度だけ僕が直す所を見てそれをよく見て覚えたまえ…!」 「ふむ」 僕は仕方なくボタンを留めるが彼女の言うようにこのボタンが留めづらいというわけではない。おそらく彼女自身に何らかの理由があるのだろうと僕はひとりで納得する。一番上のボタンをきちんと留めてリボンを真っ直ぐに直せば、そこには完璧な着こなしの八雲君が立っている。我ながら見事に風紀を守ったといえよう。 「そうだな! これで風紀は守られた! ということで、ここで僕は失礼するぞッ!」 「ありがと、石丸くん」 「礼には及ばないぞ! 僕は風紀を守るため正しいことをしているだけだからな!」 それでは失礼する、と彼女と別れ廊下を歩く。ボタンを留めた手が、こんなにもあつい。 (▲)(20121015:お題ソザイそざい素材) |