十神の部屋の前まで来て気づいたことが一つある。大誤算だった。扉を開ける事が出来ないのだ。私は皿で戸を叩くか足で戸を蹴るか悩んだ結果に足で戸を蹴ってノックすることした。非常にお行儀の悪い行為だが、致し方ない。かちゃりと音がした後に、少し扉を開けて、十神が「誰だ」と声をかけてくる。「八雲だよ」と言えば、扉がガチャリと大きく開いた。



 「何をしていたんだお前は」心配してくれていたのだろうか。十神は妙なところで過保護だ。これもDVDの恩恵かも知れないので私は貴重な十神だなとへらへらと心の中で笑う。「遅いぞ」
 「サンドイッチ食べる?」
 「いらん」
 私がずかずかと中に入るのを確認して、彼は内側から鍵をかける。テーブルの上にサンドウィッチを置いてカップを置く。手が空いたところで一つつまめば、十神が紅茶を私にぐいっと差し出してきた。ちょっと飲め、という事だろうか。毒見しろという事らしい。私が一口飲んだのを確認すれば、十神は私が飲んだところから紅茶を啜った。紅茶のカップに毒がついているという事を心配しているらしい。十神らしいと言うか、なんというか。私は右手にホットミルクを手に取る。一口飲めばはちみつの甘い味が口の中に広がった。しまった、はちみつをお部屋に持ってこればよかったかもしれない。はちみつ一気飲みができる。ボトルからの糖分接種、と考えるだけで胸が躍った。
 私が一口サンドイッチを頬張ってもぐもぐと咀嚼する。おいしいなぁ、ともう一口食べようとしたところで腕が固定されていることに気付いた。十神が掴んでいるのだ。本当にこの人は何をしているのか分からないと思いながら、十神を見れば彼は私の手からサンドイッチをその口で奪い取っていた。十神のお坊ちゃんがこんな事をするなんて珍しい。私は思わず、十神がもぐもぐと残りのサンドイッチを頬張っているのを見守っていた。ごくり、とそれが飲み干されると十神が口を開く。



 「お前で毒が入っているか確かめただけだ」
 「八雲の掟を破れば私の命は無いよ。もしそれが『十神』だったとしたなら、私は姓をはく奪された後に一族の前で公開処刑だ。私は八雲に生まれた時から直接的にも間接的にも人を殺してはいけないし汚れ仕事は八雲である私の仕事じゃあない。それにここには食料も年の近い人も私の世話もしてくれる人もいる。この環境を捨てて私は出ていく理由が見つからないし、私は少なくともここでは自由な時間がある。それに毒殺は毒を見つけてからだよ、十神」
 「フン、そんな事は元々分かっている。八雲が俺に手を出すことなど出来ないのは当たり前だ。お前が殺すはずがないとしても、他の奴が毒を見つけて仕込ませているかもしれん。そういう可能性を考えろ、お前の頭はそんなに何も考えられないような無能だったか? ましてやあの胸糞悪いDVDを見せられた後だ。作りものにしても、あの映像に煽られる奴は出てくるかもしれん。その可能性を考えられないほどにお前は無能じゃないだろう、
 十神の目線に頷きながらサンドイッチを頬張る。もっちりとしたモッツァレラチーズがオリーブオイルの香りとパリジャンの固さとマッチして絶妙な味を醸し出している。野菜のしゃきしゃきとした食感が、その新鮮さを物語っていた。果たしてこの野菜はどこから調達しているのだろうか。とても美味である。
 「お前が引きこもってこの難解なのを何とかしたのは誉めてやろう。だが、あまりにも分からなさすぎる。ごっそりと抜け落ちたという記憶しか能がないお前の記憶と、俺の記憶のどこに共通点がある? お前はいつから記憶が無い、俺はお前と出会った時から記憶がある。ここ数年の事は俺の記憶にあるつもりだ。お前はいつの記憶が抜けているか、分かるか」
 「十神と、中学時代に起きた記憶がほとんどない。私が最後に十神にあったのは、中学に入学する前に十神の家に行ったときの記憶かもしれない。十神は私の書いた文字だと一発で分かったと言ったけれど、十神と私が文通を始めたのはお互いが中学を卒業した後だった。入学する前に、私は入学当日に十神の部屋に届くように手紙を出したんだ。私が初めて十神に向けてあてたものだから間違いはない。でも考えてみてくれないか、私たちは入学式当日にここに連れてこられてしまったし、そんなに一瞬で分かるほどに特徴的な字はしていないはずなんだけれど」
 「お前の手紙…これか」
 「随分と、ボロボロになっているみたいだけど宅配事故だろうか」
 「俺が見た時には既にこうなっていた。開封もされていたところから黒幕が目を通したのかもしれん」
 「ほう、それは興味深い」
 「別に人に見られても差し障りない内容だろう」 
 こくんと頷く。「私が気になっているのは、黒幕がなぜ執拗に殺しを迫るのかという事なのだよ。これが、どうしてそんなにも面白い余興なのか分からない。これは一般的な犯罪者の心理学として、こう言う事を考える類の人間は娯楽的要素を好む傾向が強い。現にモノクマちゃんは『ゲーム』と称している。これが一つのショーだとすれば、一人で楽しむというのはいささか腑に落ちない。このカメラの向こうに、大勢いると仮定しよう。観客を煽ればギャンブルが発生する、誰が生き残るか誰が死ぬかにレートがかかる。一人だけで殺し合わせているのを楽しんでいるホラーはあまり聞いたことが無い。金儲けも同じだ。複数犯ならこれだけの人数を隔離してから追い込むまで可能だと思わないか? 私はそんな小説や映画を見たことがある」



 『ピンポンパンポーン。もう、八雲ちゃん勘がよすぎ! それ以上考えちゃオシオキしちゃうよ!』
 モノクマちゃんがどこからともなく降ってきた。いつみてもこの子はキュートだ。「あっ、モノクマちゃん今日もかわいいね」
 「出たな、モノクマ。何の用だ」
 『もう、せっかく用意したDVDも割っちゃうし、二枚目も見てくれないし! プンプン!』皆が混乱をしていたアレの事を言っているのだろうか。だいたい予想はつく。
 「最初に言った通り私のお家がめちゃめちゃになってる、というのも一族が惨殺されているような事も最悪の事態の予想はついているよ。どうなっているのか不安をあおり脱出を企ませて殺し合わせるのが君の目的なんだろう? あくまでも推測でしかないが、まあ私の家はおそらく爆破くらいされていてもおかしくはないだろうな」
 『ショボーン。もう八雲ちゃんってばエスパーなんだから……』
 「エスパーは舞園ちゃんの特権だよ」
 「……いいから俺の問いに答えろ、何の用だ」
 しびれを切らした十神がサンドイッチを頬張りながら腕を組む。紅茶は既に無くなっていたけれど、カップを持つ姿がこんなにも絵になるのは私の知っている中では十神くらいだ。モノクマちゃんは、うーんと唸りながらいじけたようなポーズをする。これが機械仕掛けで動いているのだから世の中も発展したものである。とってもかわいいロボットなんだから売り出したら大ヒットするのではないだろうか。



 『正直八雲ちゃんの頭のよさにはボクちゃん完璧に裏を突かれちゃったけど、あのヒントでここまで推察しちゃうっていう、その頭脳を殺しちゃうのはちょっともったいないなぁっておもっちゃったりなんかして』
 「は?」
 間の抜けた表情をしたのは私だけではなく十神も同じだ。「残念だけど私の中に八雲の血が流れている限り誰も殺せはしないよ」
 『…八雲ちゃんがそれ以上詮索して出ようとするならボクにも策があるんだからね! うぷぷぷぷ! じゃあね、楽しみに待っててね!』
 「じゃあね」



 「おい、」十神が私の襟首を掴んだ。突然の事にビックリする。「お前は…」
 「ちょっと深呼吸したほうがいい。白夜もそう慌てちゃいけない。これは……多分長期戦になるよ」
 ぽすん、と私は解放された。皿にはまだいくつかサンドイッチが残っている。



 「……シャワーを浴びてくる」
 「そうした方がいい」
 ふいと視線を逸らした十神に、私はへらりと笑いかけた。一人になった部屋の中で、私は少し冷めてしまったミルクを飲み干す。はちみつが喉に痛かった。残ったサンドイッチを喉に詰め込めば、それはもうあまり味をなさないモノになっていて、残りのそれを残らずに平らげる。ふらふらとした足取りでソファに沈み込めば、十神の部屋のそれはふんわりと私を受け入れてくれて少しだけ安堵する。モノクマが運んでくれたらしい私の私物は、十神の部屋に微妙なアンバランスさを醸し出していて、ちょっと笑いがこみあげてくる。ファンシーな熊に枕にふわふわの羽布団。そういえば十神の部屋のベッドはすこし大きい。これなら私はソファで寝る意味もないのではないかというくらいには。



 『帰ったと思った?』ぴょっこりとソファの裏側から出てきたそれに私は寝返りをうって体制を整える。彼女の表情はくるくると変わる。思い出せそうで、思い出せない矛盾。
 「うに? モノクマちゃんまだいたの?」
 『もーつまんなーい! 八雲ちゃんあんなゴミの山から謎はもう解けちゃったんでしょ?? せっかくこんな楽しいことしてるのに……ボク呆れて悲しくなっちゃう』
 「いくつかの可能性はあるけど五分五分ってところだから推理ショーはまだ早いのだよ、モノクマちゃん。『八雲』は常に『十神』の裏方だ」
 『もーーーう! つれないんだから! 八雲ちゃんったらそんな所も絶望なんだから、きゃは! せいぜい殺されないように頑張ってね!』
 「モノクマちゃん、ちょっと感情的なんじゃない? 核心を突かれてもう焦っているのかい?」
 『つーんだ、そんなことないんだからね!』
 「さっきの、ホント?」
 『ふーんだ、八雲ちゃんには教えてあげない! クマー!』
 「私のために新しい策を作るの? 君が私を殺す?」
 『だからナ・イ・シ・ョ! じゃあねーん!』



 どろん、と不都合な点を残したままにモノクマちゃんは入口の方へ逃げて行ってしまった。一体あれはなんなのだろうか。まだまだもやのかかった部分は戻らない。どうしてモノクマちゃんは、私にこんなことを伝えたのか。それが個人的な感情だとでもいうのだろうか。だとしたら、何故こんな大規模な事を仕組んだというのだろう。ガチャリとドアが開いてぱたんと閉まる。私は鍵をかけに行こうと布団を頭からかぶってのろのろと立ち上がった。施錠を忘れては、きっと十神が黙ってはいない。なによりも、多分今日は危ない気がした。かちゃり、と無機質な音がする。
 みんなは、ほんとうに忘れてしまったのだろうか。私のクラスメイトだった『トモダチ』なのに。
















()(20120818:お題ソザイそざい素材)江ノ島ちゃんこんなとこにいたかどうかはご愛嬌。