気づけば、大和田君が傍らに座っていた。私はベンチの上でむくりと起き上がれば案の定体が言う事を聞かないらしく、立とうとしたところでふらふらとふらついた。何時間がたったのだろうと時計を見れば二時間程度しか経っておらず、時刻は午前七時を指していた。なんというスピード決算。ま、いいか。私はロッカーの方へとよたよた歩き黒トレンカをそこから取り出してずるずるとそれを引きずりながらベンチの方へと歩く。足元がふらついているのを見た大和田君が、慌てて手を差し伸べてきたので大きくふらつきそうになった私はその手をありがたくつかんだ。



 「…おいおいおい、いきなり立って大丈夫か」
 「一応行動はできる範囲内だよ」
 そういったはいいものの、私は脱衣所にある近くのベンチ(ベンチという形容であっているのかわからないが)にぐったりと座る。体は正直がたがたである。あんなに短い時間でここまでくるとは正直思いもしなかった。乱れてしまった制服は大和田君がなんとか整えてくれたらしく、このまま歩いても問題はない程度にまでなっている。スカーフも結ばれていてありがたい、と私は思った。私はタイツをぐにぐにと履く。
 「…すまねぇな、女には手を上げるつもりはなかったんだ…」
 「私にも非はあるだろうから何も言わないでおく」
 「…俺はテメーに酷いことをしちまった…」
 謝るくらいならやらなければいいのに、と言う言葉は彼の反省の色をくみ取って黙って飲み込む。俯いてうなだれた様子の大和田君を傍目に、私は私はタイツをぐいっと上まで上げて履く。スカートのしわを伸ばしながらまたベンチに腰を下ろした。まあ今回のところは仕方ないから慰めてやろう。



 「大和田君、私、もっと酷い行為をいっぱいされてきたから君の行為が酷いことだとは思ってない。多分、君の見た私の体にある痣と傷と縫合痕。『八雲』の家系を継ぐ第一子っていうのは、君の行為なんてわけないくらいに大変なんだよ、寧ろこんなこと日常茶飯事だから体も慣れちゃうし、だからこそ危機感も薄れる。君に嫌な思いをさせてしまったのは悪いと思ってる。けど私には『普通の人の感覚』は希薄だ。だって世間一般から見た常識なんて通用しない極悪非道な世界に身を置いているから、そんな通常人の『普通の感覚』は私の『普通の感覚』とは天と地ほどの差があるくらいにかけ離れている。いわば別次元のものに近い、かなぁ」
 私はううん、と考える。
 「『八雲』っていうのは、君の考えている次元をはるかに超えたものなんだ。一言で世界も動くし十神と合わせれば世界だって滅ぶ。それくらい行動に責任が伴うんだよ。小さいころからそうやって教育されてきているんだ。親の言う事に刃向って生きるなんて『八雲』の中では言語道断。だからこそ偉い政治家も大統領も『御十家』にはひれ伏す。そういった世界で生きているとだんだん私を嫁にめとりたいという輩も増えてくるんだ。…言わなくてもわかるだろう、騙されて貶められてそういう事もされた。だんだん人が信頼できなくなる。人に対してだんだん感情がなくなっていく。だから行動するという事自体が面倒になってしまう。考えても思ったことが思うようにできない、家に縛られているから自由が無い、常に大人に気を使って生きていかなければいけない、自分の考えの自由さえも束縛されている。こんな風に育てられてきたんだ、同世代の友達だって十神くらい。他の奴らなんて私が『八雲』だという事だけで私を避けているくらいだ。所詮、普通の人はそんなものなんだよ」


 「八雲…テメーはそんな中で…」
 「君が羨ましいよ、私は。バイクで風を切りながら何にも縛られずに自由に走り回れる君が…」私はふぅ、とため息をつく。話しすぎてしまったかもしれない。「悪いね、話しすぎてしまったみたいだ。こんなに重苦しい空気にするつもりではなかったんだが」
 「…俺はテメーに何もしてやれねェのか?」不安げな瞳が私の眼をとらえる。同情なのか、だとすればそんなものは『八雲』にはいらない。
 「友達になってくれればいい。また、こうして悩みを聞いてくれ」
 「おう! …けどよ、そんな事でいいのか?」
 「友達というものが無いんだ、君が責任を取ってなってくれ。…だから今回の件、私は君の面目を守るために黙ってる君さえ言わなければ君の体裁は守られる」
 「おう、男の約束だ! はぁ…ったく…テメーはいっつもお人よしだよなァ……いや、待て。そういえばよ、さっきから何だか引っかかるんだが」
 「ん?」
 「八雲、俺はテメーにどっかで会ったことがあるよーな…」
 「…正確にはいつ頃?」
 私は、大和田君の隣にぐいぐいと近づいた。そういえば監視カメラはここにはないのである。私はほっと胸をなでおろした。いろいろと監視カメラがあってはまずいことをしてしまったので何というかアレでアレな気分だったのだ。大和田君は、うーん、と考えるようにして「そういえばよォ…」と口を開く。
 「ここでお前に会った気がするんだよなァ、さっき…の最中に、思い出したんだけどよ」大和田君は少し気まずそうに俯くが、言葉を切ってまたつづける。「って名前、そんな名前を俺は忘れるはずがねぇと思ってたんだ。何だか見覚えがあると思ってたらよ、…ここ、見てみろ」
 大和田君に指を刺されたところを見れば、彼の学ランの裏地に金字の刺繍でこんな文字が入っている。
 「…ん? 『』に友情を捧ぐ?」
 「お前の名前だろ。おかしいと思わねェか、俺はお前に三日前に初めて会ったはずだ、それ以前の面識はねェ。だとしたらこの名前の説明はつかねぇッてことになるだろ、俺には『』なんて言う名前の知り合いはテメー以外にいねーんだ。そもそも俺は『』なんて名前のヤツお前以外にしらねーんだよ」
 「大和田君も矛盾に気づいたか。私はもう矛盾はこの二日間で完璧に完膚なきまでに解いてしまったが、しかし君以外には話さないから心して聞いてくれ」
 「それって、どういう意味だァ? 倒れた時にはそんな事一言も言ってなかったじゃねーか…」
 「私の部屋には、先日十神に渡した紙以外にも暗号が書いてあった紙が存在していた。アイツは別に黒幕じゃないという事は分かり切っていたからあれを渡したところで大丈夫だとは分かっている。だから問題はないことは先に話しておく。で、私の部屋はそもそも入学時点ではありえないような膨大な計算式の紙の束によって部屋が埋め尽くされていた。これを処分しなかったのは黒幕の誤算だろうと思う。しかしもしかしたら誤算ではなく、私を殺すか罠にはめる策略なのかもしれない。だが私はこの自分で書いたと思われる自筆の暗号文を解くのにまる二日も要してしまった」
 「…だからテメーは二日も部屋から出てこなかったっつーワケか?」
 「その通り、で、私は重大な事を発見した。それは私たちはここに閉じ込められているわけではなく自ら進んでここにいるという事実だ」
 「はぁ!? テメー何言ってんだよ、じゃあ何であんな厳重に鉄板が…」
 「君も絶望的事件が起こったのは知っているだろう、あれは一年前つまり私たちが『高校生』の時の話。空白の記憶の部分、…私の記憶力も衰えたものだ。君たちは以前から皆クラスメイトだった。私も含めてね。鉄板は外の事件から私たちを守るためのいわば防壁。要するにこの学校は『ノアの箱舟』というわけ」
 「ちょ、ちょっと待てよ、クラスメイトって…そもそもここは海に浮かんでねーってのに何で舟なんだ?」


 「キリスト教の有名な神話である『箱舟』も知らない君にも分かりやすく言うなら、保護施設もしくはちょっと大きな防空壕。私たちは現在進行形で保護されてる」
 「…おいおいおいおいおいおいおいおい、それってマジかよ…もしかしたら黒幕が仕組んだウソって事も…。もし本当ならよ、他の連中に…」
 「まあそれも可能性としてはあるが、君の耳は馬の耳か? 念仏か?」私は立ち上がろうとした大和田君の腕を両手で掴む。「右から左へ抜けているというなら私は怒るぞ」
 「あぁん!? 何だとゴルァ…! 誰が馬の耳だッつってんだ…あぁ!?」
 「落ち着いて聞いてほしいが、さっきも言ったように内通者の可能性がある。疑うことは好きじゃないけどモノクマに『ゲーム』と呼ばれているこれをスムーズに進めるには確実に内部からの内通者が必要。もし内通者がいるとするなら一番初めに犠牲になるのはおそらく一番目障りな私だ。もし内通者以外の誰かが誰かを殺すような真似を働かない限り、確実に黒幕は私を殺そうとしてくると推測している。なんといってもあの紙の束をほとんど処分しなかったは黒幕の意図的なものだ。そもそもこのような閉鎖空間の心理状況として、第一の犠牲者が出れば全員の疑心暗鬼は強くなり殺さなければならないという感覚を周りに埋め込む。しかしわあくまでも私が狙われると言うのは推測で確実性はない。黒幕にとっては喜ばしいことは、説明で分かったと思うが万が一何らかの理由でこのゲームに乗る奴がいた場合。これは誰が殺されてもおかしくはない…クラスメイトだったのにも関わらずそもそも記憶の操作をされているらしく見ず知らずだと思っていて情も薄い。言い方は悪いが殺人にはもってこいの環境になってしまっている。これも黒幕の狙いなら、そうとう歪んでいる…」
 大和田君は言葉を詰まらせて、私の隣へとまた座った。
 「私は内側からそれを阻止しようと思う、だから出来るだけそれに協力してほしいんだけど」
 「…どーやって協力すりゃいいんだよ?」
 「殺さなければいい、ってのが第一条件」
 「ったりめーだ、そんなもんする奴がいるたぁ思えねーし、見つけたらぶっ殺す!!」
 「殺してはいけないよ、せめて一発殴るだけ。そして次にこの話は他言無用。誰が内通者か察しがつかない今、むやみやたらに人に話すのは得策じゃない。ああ、十神はああ見えて不用意に人を殺す様な奴ではない。恐らく石丸も無害だ。不二咲ちゃんはそういうのができるタイプではない。この後の黒幕の出方にもよるけど、私はみんな信じたいんだ…」
 「…おう」
 「ま、じめじめした話はこのくらいかなぁーっと」



 じゃ戻るね、と私はふらふらとした足取りで下駄を履く。からんからん、とおふろセットを手に持ってお風呂場を後にし、石丸君の部屋へあくびをしながら戻る。















()(20100212-20120818:お題ソザイそざい素材