石丸君が気になっていない、と言えば嘘になるもので。曲げようもない事実だということに変わりない。ふわあ、と呑気に空気の読めないような大きな欠伸をする。それは毎朝ブラッシングをしてくれる主人を頼りに行くようでもあるし、餌をくれる主人に甘えに行くのと同じような行為に思える。そうか、私は猫と同じサイクルで行動しているのか、と思い至るまでに約二秒間。学園一の天才と称されるが故に、ただの自堕落でもある。天才となんとかは紙一重。手入れをしなければ輝かないというのは全く私にあてはまるもので、身だしなみなんてものはすべてお手伝いのメイドやら執事達が一から十までしてくれていたものだから何をすればきちんと着こなせるのか分からなかった。だがここに来てからというもの、私の身だしなみはすべて石丸君がきちんと正してくれる(適当に止めたボタンも留めてくれる)のだから助かることこの上ない。学生生活において、石丸君という存在は私にとってなくてはならない人だ。だから何があっても彼から離れるわけにはいかないのである。 私は今日も石丸君の部屋に住んでいた。それは夜時間前からべったりということでそれ以降のアリバイ作りにも役に立つどころか、一緒に行動することで怖さ半減というなんともプライスレスな時間となるのである。素敵だ。当の石丸君(本人)の意向は無視である。彼の意向を聞いていれば今頃私はお部屋からつまみ出されていても仕方ない。私のお部屋はとんでもないくらいに計算式のスプラッタが激しく、それを全部読み解いていた一日目であらかた学園の謎が解けてしまった。徹夜をして調べたというのに、なんとつまらない学園だろうか。やるならもう少し徹底的にやるべきだ。私のお部屋の計算式を処分しなかったのは犯人側の誤算だろうか、もしくは犯人側の策略なのだろうか。私はすべての謎を解くために二日目になっても部屋にこもりきりで床に散らばる計算式を纏め上げる。 以下は私の学園生活二日目の記憶である。 「ふーむふむふむ」 なるほどなるほど、と私は新しい紙を一枚取り出して計算式を解き始める。解いた計算式は壁や鉄板に張り付ける。その作業を繰り返しているうちに鉄板は紙で埋まって殆ど姿を消していく。壁や鉄板に残されていた、うっすらとした私の計算式や常人には何が書いてあるか分からないだろうと思われる暗号は全て私が解き明かした。回答だけを書いた紙(もちろんこれも暗号になっている)をにやにやとしながら眺め、そして最後の暗号の束に差し掛かる。 「はは、これは傑作だな…」 なんと、何という事だろう! 感情のない声で棒読みのように笑ってみる。私は何だか気がふれたようにおかしくなってきたようだ。自堕落な私がこんなにも真面目に計算式を解いているなんてすばらしいではないかと思い始める。紙でいっぱいに埋め尽くされていく壁を見ながら私は何だか愉快な気分で仕方がなかった。ページの最後にこっそりページが破られた跡がある。犯人の名前は、というところで切れているらしい。文字を鉛筆でこすればうっすらとそんな文字が見えた。まさか、あんなに面倒を見てくれた人が。次の文字、おそらく推測はここまで来たら簡単だ。小学生が連立方程式を解くくらいに簡単だ。《絶望》、そう彼女しかいないのである。分かった、でもしばらくは表には出さないでおこう。 「っ…わーっかんなーい。あー、やーめた」 私はおそらくこの様子を見ているだろう黒幕を混乱させるためにあえて自然に自堕落を演じる。ごろん、と私はベッドに転がる。床は一日目と打って変わってピッカピカのクリーンな状態だ。他のところも必死に暗号を隠せそうなところは探したが、あまりいいものは見つからなかった。見つかったのと言えば、謎のカギくらいだろうか。これはこっそりと裏ポケットに隠してあるモノクマちゃんに見つかっては困るものだと思われるからだ。 「あーめんどくさい、この気持ちを文字にしよう」 最後の暗号ノートを机の上に放り投げる。私は解き終わった暗号のメモ帳の紙をポケットに入れる。あ、これってもしかしたら転写できるだろうからこの一個下のメモ帳の紙を十神にでもあげよう、と私は考える。ポケットにそれも突っ込む。ダミーで一つ暗号が解けなかった分も作って、あとは破って捨てよう、と私はメモ帳をさらに三枚ほど引きちぎってしゅるしゅるーと言いながら破っていく。「いでよ、冷やしソーメン!」 誤解を招かないようにあえて言うが、我ながらアホだと自覚はしているのだ。そして一枚にさらさらと文字を書く。 「さってと、石丸君のお部屋にいこうかなー」 私は何かの役に立ちそうな暗号ノート最終章を手に持ってぽてぽてと部屋を出る。真っ赤な廊下を進んで石丸君の部屋のチャイムを鳴らした。ぴんぽーんと間抜けな音が響く。まだ時刻は夜の7時。閉じ込められて二日にして謎を解いてしまうなんてなんと天才少女なのだろうか、私はぼんやりと石丸君が出てくるのを待つ。出てこない。そのままぼけーっと突っ立っていると桑田くんが幽霊でも見たかのように私を見て驚いた。 「ありえねー、八雲ちゃんだよな。今まで一体どこにいたんだよ…っていうか何してたんだよ二日間も」 「お部屋の掃除」 「はぁ!? ってかそんなに汚かったのかよ、入学したばっかなんじゃねーのかよ」 「うーむ、それは違う」 「ますます意味わかんねーし…。あ、そういやぁ石丸のヤローなら食堂だぜ? 場所分かんねーなら俺が案内してやるよ」 「おお、ありがとう」私は方向音痴なのでとても助かる。 「っつってもすぐそこなんだけどよ」 桑田くんの後についてぽてぽてと歩く。二日間いろいろとありすぎて寝癖は落ち着いてきたがやっぱり少しぎしぎしと髪の毛が軋む。どうやら乾燥しているらしい。椿油はないのか、と私はうねうねとうねる髪の毛をゆびでくるくると弄んだ。お家に帰れば椿油のひとつやふたつ瓶詰になってあるはずなのだけれど、部屋を探した限り数式しか落ちてはいなかった。私め、馬鹿野郎…椿油くらい持ってきておけばよかった…髪は一生のお友達なのに。 そういえば二日間飲まず食わずで頭を酷使していたせいか、どうも頭が重たくてふらふらしてしまう。視界が少しだけぐらりとゆがんだ。その瞬間ぱっと光るフラッシュバックの記憶。ぐるんぐるんとうずまいて私は一瞬倒れそうになって桑田くんに思いきりぶつかった。「うぉっ! ったくビックリさせんじゃねーよ」「…すまん、しかし…お腹がすいたのだ」 開いている扉から食堂に入れば、案の定視線は集中した。どうやらやっぱり原因は私らしい。いや、私と桑田くんらしい。 「いいかね諸君、遅刻はよくないぞ!」と私たちが食堂に入るや否や石丸君が大きな声を出す。ごうんごうん、と頭の中で言葉が反響してきもちわるい。いや、一つだけ言っておくとするならば石丸君はかっこいい。胸筋も腹筋もたまらない…おいしそう。…じゃなくて! 「わりーわりー、途中で八雲ちゃん拾ってきたら遅くなっちまって」 それは私のせいか! 責任転嫁か! という言葉は何だかむなしくなるのでやめておいた。みんなの視線が痛い。どうやら私が部屋で狂喜乱舞の数学三昧している間に、学園から出る出口を探していたらしい。そうなのか。しかしぐうぐうと鳴るお腹は止められない。そんなものはどうでもいい、とにかく私はお腹が空いたのだ。皆一様に顔を顰めているのは、どうやら脱出する必要性を感じており閉鎖空間におけるストレスを感じているせいもあるのかもしれないけれど一番の理由的には依然として『進展なし』ということのようだ。私は大進展だ。だからどうして彼らが外に出たがっているのかが理解できない。とりあえず、ご飯が食べたい。 「顔を見せなかったのはすまないと思うが、」私は少し首をかしげる。「私のご飯はどこだい? なんでもいい、ご飯をくれ」 「ふん、そんな事を言うからにはここから脱出できるくらいの手がかりでも見つけたんだろうな」 朝比奈ちゃんが十神にわあわあと文句を言っている。私は何かの役に立つかもしれないと持ってきた、『部屋に存在していた暗号の最終章ノート』を不機嫌そうな十神に差しだす。彼は解けるはずもないだろうけれども、十神はあからさまにノートを受け取って顔をしかめた。あれは、こんなものがヒントだとでもいうのかという人を見下した目だ。大ヒントじゃないか、と私はやる気のない目で彼を見る。やばい、視界がぶれてきているようだ。十神がふたりさんにんに見える。 「なんだこれは、ただのお前の字の落書きの寄せ集めじゃ…」 「十神、それはなぜ言い切れる? あとご飯を持ってきてほしい」 「…何をふざけた事を…誰でもお前の字だと一目見ればわかるだろう…そんな事もわからないのか」 「十神は私の筆跡を見ていないんだ、いや見たことが無いはずなんだ」 「…き、貴様こそ何故そうだと言い切れるんだ」 十神がうな重をもった板前さんに見える。とてもおいしそうだ。お腹がすくと人は幻覚でも恐ろしいものをみるものなんだと私は何となく察した。 「十神家にはパソコンの文字データしか…あと…お腹…すいた…」 「どういうことだ! おい!!」 十神が私の肩を掴んでぐらぐらと揺らす。私の使われすぎてちょっと使い物にならなくなっている脳みそがほどよくシェイクされて私の頭はオーバーヒートした。熱暴走もびっくりの暗転ぶりである。十神の怒鳴り声が聞こえて刹那、私の視界がぐらりと暗転し、どさりと彼にもたれかかる。どういうこともこういうことも、お腹が空いたと言っているのに。 「うぅ…うな重」 最後にそうつぶやいたような、そんな記憶を残して私の意識はフェードアウトした。 (▲)(20100213-20120818:お題ソザイそざい素材)そんなかんじのシリーズ3話。 |