そうだ、きっかけはピアノの音だった。俺はいつも通り屋上でぼんやりと授業をフケている。うっとうしいセンコーの眼を潜り抜けるのは面倒だが、慣れてしまったものは仕方ねェ。出たくはない授業も、出たくない気分の時も、大抵フケる時はここでぼんやりと雲を眺めるのが日課となっていた。そう、その日も確かそうだった筈だ。俺が屋上のタンクの上でぼんやりと空を眺めていると、ピアノの音が聞こえてくる。ピアノなんて今まで一度も聞こえてきたことなんてなかったもんだから、俺は気になってタンクから降りて音楽室をこっそりとのぞきに行くことにした。外からちょっと見るだけだ、問題はないだろうと思って俺はこっそりと階段を下りて音楽室に忍び寄る。まだ授業のはずだ。見つかったら面倒なので、こっそりと窓からのぞき見れば黒いピアノを演奏している女がいた。 学年は分からない。しかし恐らくピアノを弾いているところから見て、超高校級のピアニストか何かそのあたりの奴なのだろうなと考える。制服から見える真っ白な肌が彼女の存在の儚さを際立たせているかのようで先ほど演奏していた曲と合わせれば何だか今にも消えそうな存在の女だと思った。 曲の名前も分からねェのは俺が音楽とかそういうのに疎いからだが、そもそもあの女の名前すら知らねェ。女はその細い指で美しい旋律を奏でながら、時に儚く、時に力強く鍵盤を叩く。その時、悔しいことに俺は、確かにその女に見惚れていた。 *** 数日後、俺は日課になってしまった音楽室へと足を運ぶ。なんとなくあの女が来るタイミングも分かってしまうようになったのが何だか癪に障るが、またあの演奏が聴きたいという衝動に負けてしまう。音楽室の前まで来て扉の前でいつものように座り込む。さりげなく定位置になってしまったここも少しだけ何だか愛着がわいてくる。ぼんやりと、いつもと同じ曲の演奏を聴いていると一曲が終わったらしく沈黙が訪れる。と同時にパタパタという足音がこちらに近づいてきているのが分かった。 今日のところもいつものように立ち去ろう、と思って立ち上がった瞬間、ガチャリと音楽室の扉の片方が勢いよくパアンと開く。 「…ま、待ってください!」 「うお、」 そこからまるで弾丸のように勢いよく飛び出してきたその女は、俺の背中から腹のほうへ両腕をまわしてぎゅうっと(!)抱き着き「やっとつかまえた!」と嬉々とした声を上げた。 「おいおい…な、何してんだオメーはよォ!」 「う、ぁ…! すいません、つい癖で」 俺が声を荒げてしまうと、女は少し照れたように俯いて、顔を赤らめながら頭をぽりぽりと掻く。その仕草が一瞬かわいいとか思っちまって俺も女から視線を外す。 「うっ…、俺も怒鳴っちまって悪かったな」 「…わああああ気にしないでください! 私がいきなり抱きついちゃったのが悪いんだしっ」 ぶんぶん、と女は白い両手を胸の前で振る。その肌は見れば見るほど白い。 「…お、おぅ、まあいいけどよ。…つーか、オメーは俺が怖いとかそういうのねーのか?」 「…怖い? …うーん、人間はみんな怖いけど外面だけじゃあ人間はわかんないから、私はそういうのじゃ判断できないよ」 「ハハハ、変な奴だな。オメーはよォ」 「そんなことないよ? 作曲家は見た目によらないからちゃんと人生から性格まで考えて弾かないと心が伝わらないからね」 「…!! そんなことまで考えて弾いてんのかよ」 「うん。こんなでも一応ピアニストなので!」 そういうのは話すと長いので割愛するんだけど、と彼女は照れ臭そうに笑った。 「やっぱり、聴いてくれてる人のことも気になるし」 「…それってどういう意味だ?」 あ、と彼女が墓穴をほったと言わんばかりに口を手でふさぐ。握ったら折れちまいそうなくらいに細い指だ。女ってのはこんなにも細い体でどうやって生きているのか謎に包まれているとか、こんなんでよく体がもつなとか思う。そんなことを考えている俺の前で、「はぁー、またやっちゃった」とため息をつきながら彼女はぽつりぽつりと話し始める。 「あ、あのね、…実をいうと君がちょっと前からずっと私のピアノ聴きに来てくれてるのが嬉しかったから、ついどんな人か話してみたくて。でも学年も名前も分からないから探しようもないでしょ? …だから、ずっと気になってたというか話しかけてみたかったんだけど、ピアノが終わるとすぐ帰っちゃうからタイミング逃しちゃって話しかけられなくって…ちょっと強硬手段に出てしまったというか、なんというか」 女は、ぎゅっと俺の右腕の袖をつかむ。 「だ、だから、せっかく私みたいなのの演奏を聴きに来てくれるから、どうせだし中で聞いていきませんか?」
(20110211)あとで桑田君とかに「それって脈ありじゃねーか!」とか言われるといい。そんな話も書きたいなあ。 お題:LUMP |