(イソップの心境)







 どおん、と何かにぶつかった。
 自転車が目の前で横転したのが分かる。いってぇ、なんて不快感のあからさまな声。私のカゴの中にある、ホワイトデー限定販売のドーナツが揺れる。あーやっちゃったかもしれない賠償金払うの嫌だなあと思いながら私は自転車で逃げるようにその人の後ろを通り過ぎようとした。


 「何よそ見して運転してんだよ」
 「すいません」


 どん、と先ほど倒れた人が起き上がって自転車に跨る私の肩にいちいちぶつかってくる。私が謝ったにも関わらず、その人は私をキッと恐ろしい顔で睨みつけて怒声をあげる。眉間に皺がより、これくらいのことで怒るなんてカルシウム足がりてないんじゃないんですかと思うほどだ。周りを行く人は見て見ぬフリをしながら我関せずといった様に目をあわさないようにして、そそくさと立ち去っていく。人間は何て薄情な生き物なのだと私は思った。まあ私もこういうのには進んで首を突っ込むような立場ではないので人の事は責められない。お互い様だった。


 「ぶつかってきてんじゃねェよ」
 「すいません」


 こうして絡んでくる奴は結局の所、こうして人に当たる事で日頃のストレスを発散させているに過ぎない。私は男に詰め寄られてふらふらとバランスを崩しながらも自転車に跨ったまま耐える。なんなの、謝ってんじゃない。私はわざと肩を竦めてもう一度「すいません」と呟く。演劇部なめんなよ、と私は少しだけ思う。


 「うぜえんだよ、テメェみたいな奴がよォ」
 「すいません」


 私は壊れた何かのようにすいませんすいませんと繰り返す。ああもういい加減に諦めてどっかにいけよ暇人。なんて思ったらうっとうしいんだよと突き飛ばされた。どんと道路に突き飛ばされて私が、あっと思う暇も無く自転車から体が転がり落ちる。信号は赤信号なので車が来る。ああ、このまま車に轢かれて死んじゃうのかな、なんて思ったらキキッと車が止まって中から運転手の人が降りてきた。「何してんだよ」


 「コイツがぶつかってきたのが悪いんだろ、俺は別に関係ねェからな」


 私を突き飛ばしてきた男は自分が不利な立場になるのがわかったらしく、そそくさと横転していた自転車に跨って逃げていった。全く人間って奴はかくも汚い人種がいるのだろうか。きっとあの人は年を取ったらイヤーなジジイになることだろう。私が言葉汚く思うことを少しだけ許して、神様、謝ります。ごめん。


 「あ、大丈夫ですか?」
 車から降りてきた男の人に唐突に声をかけられて私はしどろもどろになりながら答える。「え、はい」
 「怪我、してない?」
 「ええっと、」私は自分の手を見る。腕からだらだらっと血液が滴っていた。気づいたら擦りむいている。軽症だが出血量が酷い。「ちょっとだけ」
 彼は私の腕を見るとびっくりして目を丸くする。


 「ちょ、ちょっと待ってて」
 彼は車に戻ると、しばらくして消毒液を持ってきた。何で持ってるのかは分からなかったけれど、単純にいい人だなって思った。見ず知らずの人にこんな事出来るなんて、私なら出来ないかなって思う。だって、まあ人間だし。


 「手、出して」彼は言う。
 私は無言で出血している方の手を出した。消毒液がかかってしみる。チリチリっと痛みが走って体がこわばる。彼はぎゅっと私の手首を握ってくれて、どことなく私はその顔に見覚えのある事に気づいた。


 「あ、小堤君?」
 「え」
 彼は倒れた私を助ける事で精一杯だったみたいで、私が彼の名前を覚えていた事に対してなのか私が彼の名前を突然思い出した事に対してなのか、その両者でもあるのか分からないけれども、目を丸くして驚いた。


 「もしかして、その……、なのか?」
 「そう、」私は、こんな偶然あるんだとぼんやりと考える。「久しぶり」
 私は笑えていただろうか、力なく微笑んだ。


 ぱあっと、と言わずとも小堤君の表情が明るくなる。私の腕に手際よく大きめの絆創膏を貼って彼はにぱっと笑った。あ、良かった。


 「久しぶり、だな!」
 中学校以来だろうか。男子の中でも比較的よく話した小堤は何だかとてもたくましくて男らしい人になっていた。なんだよ、ちょっとときめいちゃったじゃない。


 「まさか、こんなとこで会うなんて思わなかった」
 「俺も」
 「元気してる?」
 「まあな」
 「サッカーは?」
 「プロ入りしたよ」
 「さすが小堤。将来大きくなる男」
 私はクスクスと笑いながら、彼の頭を小突いた。
 彼は家まで送ってこうか、と優しい台詞を吐いた。「自転車、載せてこうか。折り畳みだろ?」
 「ありがと、頼む」






 私は知っている。だから、きっと甘えてしまうんだ。
 自転車を手際よく折りたたんで、トランクに入れる彼を見ながら私は助手席へと乗り込んだ。















(20100318)社会人(プロリーガー)設定、夢じゃ珍しい小堤君。あれホントは学生設定でもう少し違う話でした、いつ話逸れたし。実は前半3割今日の実話で過剰表現は多々ありますがこのヒロインちゃんは心の中で怒る感じ。あの手の人は怖いですがネタになって万々歳とか言う辺り人生が終了している気がしますしかし怖かった。