(バレンシアと君と) 家にバレンシアオレンジのダンボールが届いた。 親戚からの差し入れだ。と私は胸躍らせながらダンボールを開けるためにガムテープをぴいっと剥がす。ぱかっとダンボールのフタを開ければ、そこにはいっぱいのオレンジが綺麗に並んでいた。わあっと感嘆の声を上げると、母が飛んでくる。同じように感嘆の声を上げる。 「美恵子おばさんに電話しなきゃ」 「こんなに沢山ある」 私はリビングで広げたダンボールの中身を指差した。母は覗き込んでわっと驚く。5列×8個でざっと見て40個。それがどうやら二段になって入っているらしく80個。家が四人家族で一日一つづつ食べたとしても単純計算で20日はかかる。こんなことをしていては全部食べきる前に腐らせてしまうのが目に見えて分かった。 「そうねえ」母はううんと考える。「あ、ほら桜庭さんのトコにおすそ分けしに行きなよ」 「え、桜庭さん?」私は一瞬分からずに首をかしげる。 「ほら、斜め向かいの道路の先にある桜庭さん。いっつも会合でお世話になってるから」 「あ、ぎっちょのサッカー友達の住んでる家?」 ぎっちょとは兄さんの俗称だ、名前とは何の関係も無い。ぎっちょと桜庭さんとこの人は年は違うものの仲良くボールを蹴って遊ぶ仲らしい。ぎっちょはどこかのサッカーチームでプロデビューしたとか何とか言っていてテレビでたまに見るけれど、私はイマイチサッカーのルールが分からないので見ていても点を入れた方が勝ちってくらいの認識しかない。インタビューで妹さんどうですかとか何とか聞かれるたびにサッカー興味ないんですよ俺の妹、でもかわいいですよと爽快に笑い飛ばしている兄さんは人柄もよく信頼も厚い。らしい。それは本人談だからなんとも言えない。 「そうそう、」母は肯定の返事をした。「一人で行けるよね?」 「え、母さんが行くんじゃないの」 「だめ、これから会合だもん」 「その時に渡せばいいでしょ」 「だめ、荷物になるもん」母はぷうっとふくれた。「仕事できないじゃん」 母は持ち前の可愛らしい容姿でぷりぷりという表現の似合うようなかわいい怒り方をする。それがまた似合っているものだから、また困りものだ。こんな風に怒られたら逆らう気も消えてなくなる。あまりにもそのまますぎて、笑いのほうが先走ってしまうのだ。 「わかった、じゃあ今から行くから」 「うん、紙袋これね」 よろしく、と言ってまさにお出かけルックといった彼女は早々に部屋を出て行ってしまった。なるほど、だから少し余所行きの服を着ていたのかなんて今更ながらに思う。それにしても余所行きの服を着て会合で仕事といっても一体何をするのかは全くもって不明だった。母に一杯食わされた気がしてならない。 私は紙袋にオレンジを入るだけつめた。丁度15個入った。まあ上々だろう、と思って紙袋を持ち上げてみる、少し重いけれどまあいいか。私は袋をもって自分の格好を全身鏡で確認して、まあ大丈夫かなとか適当な事を思って外へ出た。今日は丁度外から帰ってきたところだから、私は余所行きの格好をしているのだ。例え初めて訪れるところだろうがなんだろうが何とかなると思いたい。 家から出て斜め向かいにある道路へ向かって進む。角を曲がって表札を確認し、私はのろのろと桜庭さんちの前で立ち止まる。ここだ、と思ってインターホンを鳴らそうとしたら、中から桜庭さんが出てきた。母の友人だ。 「あ、こんにちは」 私は挨拶する。 「あら、こんにちは!」 桜庭さんも挨拶する。人の良さそうな彼女は、「さんとこのちゃんよね、すっかり綺麗になって。お話したいのに残念だわー、今から会合なのよ」と捲くし立てると、門を開けて私の横を通り過ぎながら、「ゆういちろう―!」と中にいる人を呼んだ。 「よし、じゃあ二人でお茶でも飲んで待っててね。一時間で戻るから」 「え?」 「はいはい、じゃあ中に入って」そして門の中に私を入れて、彼女は外へと出た。そして中に向かって叫ぶ。「ゆういちろーう、お客さんの相手よろしくー!」 「はあ?」中からの怒号。「どうして俺が相手するんだよ!」 そしてどたどたと廊下を走ってくる音がして、私の横を桜庭さんちのゆういちろうくんが通り過ぎて門にがしゃんと手をつく。 「いいじゃん、私が話したいんだもん一時間くらい。」 「意味わかんねえ!」 どこの母も身勝手だった。 「じゃ、私急ぐからよろしくね! バーイ」 「ちょ、おい! 待てっておふくろ!」 ゆういちろうくんの言葉も待たずに桜庭奥さんは立ち去っていく。私はぽつんとゆういちろうくんと二人で残された。沈黙がしばらく続いて、二人何となく目を合わせて気まずい雰囲気になったので私が耐え切れずに口を開く。 「あ、あの」 「な、何だよ」 「オレンジ、おすそ分けにきたんです」 私は、紙袋をくいっと少し上に上げる。紙袋一杯のオレンジを見てゆういちろうくんは「おう」と一言答えてちょっと考えた後に私を置いてすたすたとドアの方へ向かう。どうしようと私が戸惑っていると、ドアノブに手をかけてゆういちろうくんが待っていた。 「ま、入って待ってろ」 「え」私はきょとんと立ちすくむ。 「後でこえーんだよ、おふくろ」 「あ、ありがとう」 「別にいいって」 お言葉に甘えて私は桜庭さんちで待つ事になった。私はゆういちろうくんの待つドアからお邪魔しますと部屋に入る。 麦茶を出してもらって、私はダイニングの長いソファに腰掛けた。ふわっとした感覚があり、ぬっと体が沈む。ふかふかだった。ゆういちろうくんは、たびたび会うけれど話すのは初めてだったのでちょこちょこ会話が途切れる。いつもいて間を取り持っているぎっちょは今はいない。オレンジは机の上にぽいっと袋を乗せた。ゆういちろうくんは向かいの一人掛けソファに座っている。 「ホント、悪いなおふくろの都合で待たせて」 「大丈夫、予定も無いし。それに私の母さんも会合に行って留守だし」 「そういえば、」ゆういちろうくんは言う。「一緒に行かなかったんだな、おふくろたち」 「あ」私はホントだと気づく。「そういえばそうだね、いつもだいたい一緒なのに今日は別々に出ていったみたい」 「何か仕組んでんじゃねェの」 「母さんの事だし」 顔を見合わせる。1拍間があって「ありうる」と二人でハモる。くすくすと笑いがこぼれる。ちょっと打ち解けられたかもしれない、なんて思う私。まんざらでもない。 「ま、俺も今日は何の予定も無いからいいんだけどな」 ゆういちろうくんはケラケラと笑った。 「そっか、」私は少し安堵する。「ならいいんだ」 「なんでだよ」 「私のせいで遊びにいけなかったとかそういうの嫌だから」 「そんな日に留守番なんてさせねーだろ、普通」 はー、とため息をついて「あいっかわらず、そういう所全然変わってねーな」と彼はいう。 「そうかな」と私は首をかしげた。幼馴染に近いような存在ではあるけれどやはり私はこれが初めての会話だと思っている。彼とタイマンで話したことなんていまだかつてない。いつも間にはぎっちょがいた。そうか、犯人はぎっちょか。 「そーだよ」彼は短く切り捨てる。 「そっか」私はオレンジに視線を向ける。鮮やかな色がこちらを睨み返しているように見えた。 「なあ、」 「うん?」 私は名前を呼ばれて反射的にオレンジから視線を上げる。 「好きだ」 「え」 「だーかーらー、」ゆういちろうくんは声を荒げて立ち上がる。「好きだって言ってんの」 「はい」思わず頷く私。告白されたのだろうか。受けた答えになったのだろうか。あれ。 状況が二転三転しすぎて、頭が真っ白になってしまった。ゆういちろうくんは、ぽすっと座り心地のいいソファに沈む。 「ずっと前からお前にカッコいい所見せたい一心でサッカーしてたけど」 「そうなの?」予想外だった。そういえば、兄の存在は偉大だった。確かに小さいときはお兄ちゃん子だった憶えはあるのでそれに張り合っている彼は、とても印象的で。 「お前鈍感だし」 「うん、よく言われる」みんなに言われる。ッテナンカ人トワンテンポズレテル。 「ここでいわねぇと、タイミングも」 ――タイミングも、? 「あ」私は思いついて勢いで立ち上がる。「これだ」 「は?」ゆういちろうくんがあっけに取られた。 「これだよ、タイミング」私はテーブルを回りこんでゆういちろうくんの座る一人掛けソファの前にくる。「母さん、これを謀ったんだよ」 「ちょ、ちょっと待てよ」ゆういちろうくんは、しどろもどろになりながら状況を理解しようとする。「どういう事だよ」 「全部お見通し、ってこと!」 「嘘だろ!」ゆういちろうくんが叫ぶけれどそれも空しく響くばかり。 それでも、私の心にはちゃんと届いたんだよ。 ずっともやもやしてたこの想いの名前。 いま、分かった。 「きっと母さん達どっかで見てるかもしれないけど、まいっか」 そして、私は口を開く。 「私もゆういちろうくんが、大好きです」 ▲ (20100316)ながながとおつきあいくださり、ありがとうございました!もうホワイトデー関係ない\(^o^)/ |