(君へ林檎雨) 岩清水工大付属中学校。それがあの人の通っている学校の名前だった。私の兄が通っているその学校に通っている、兄のクラスメイトであり仲の良い友達でもある。そんな尾形さんはとても素敵な人だと意識し始めたのは、私が中学に上がってからのこと。そう、ほんの一年前のことだ。尾形さんも兄も中学二年生だった。 玄関ドアがガチャリと開く音がして、兄が帰ってきたからホットケーキあげようかなと思って、ちょうどキッチンから廊下へ出た私は尾形さんの姿が玄関にあるのに気がついた。 「ちゃん、」尾形さんは私の事をそう呼ぶ。「お邪魔するよ」 「あ、尾形さん! こんにちは」 ぱあっと私の表情は明るくなったはずだ。声のトーンも自然と一段高くなる。尾形さんの隣に立っている兄は私の尾形さんに対する気持ちに気づいているらしく、とてとてっと玄関口に駆け寄っていった私の頭をくしゃくしゃと撫でて私がせっかく尾形さんが来るからという理由で整えた髪形を一瞬で無造作ヘアに変えた。 「お前はそっちのが似合ってるぞ」 「いやだよそんなの」むうっと兄に向かってむくれると、隣の尾形さんの手がひよっとこちらに伸びてきて私の髪を手櫛でとかしてくれた。私はどきっとする。兄は気に食わなさそうな顔でこっちを見ている。 「ほら、直してあげるからじっとしててね」 私は、うん、と小さく頷いて尾形さんの手のあたたかさを感じた。おおきな手だ。同じ大きな手でも兄とは比べ物にならないくらい、暖かい手だった。その手が好きだと思った。 「直った」 ふわりと笑う彼の笑顔がとても眩しかった。 どきっとして、私は彼の顔を正面から見られなくて少しだけ目線を下に逸らした。 「あ、ありがとうございます」 「いいよ」 彼の声はとても素敵だった。惚れた弱みなんていうやつだと思った。私が呆けている間に、いい匂いに痺れを切らしたのか兄がすねたように口を尖らせる。 「ホットケーキ」 「あ、ごめんね」私は忘れていたとばかりに、ぽんと手を打った。「忘れてた」 「後で持って来いよな」 「はいはい、――あ、尾形さんも一緒にどうぞ」 私は尾形さんににこっと微笑むと尾形さんもにこっと笑ってくれた。素敵だ。 「じゃ、俺ら上にいるから」 「うん、後で持ってく」 兄と尾形さんがパタパタとスリッパで二階に上がっていく。私は一階のキッチンに戻り、テーブルの上にホットケーキを二枚づつ皿にのせてはちみつとバターをその上にかける。見本通りだ。私はうっとりとホットケーキを眺めて、とりあえず余分に創ったホットケーキを一口、バターをつけて頬張る。まあまあかな、と思ってコップを二つ用意してお茶を入れる。あれ、こういうときは牛乳とかのがいいのかな。なんて思ったけれど無難なお茶でいこうと思い直す。もう注いじゃったし、いいよね。 私はお盆にそれを乗せると、ぱたぱたと二階に上がった。兄の部屋の前で片手にお盆を持ちながらトントンとドアを叩く。「お兄ちゃん、入るよ」 おう、と短い返事が返ってくる。入ってもいいようなので、私はどこかのバーテンのように片手にお盆を持ちながらドアノブを捻る。重たいので一苦労だった。もう、開けてくれたっていいのに。 ドアを開ければ尾形さんとおにいちゃんが机を囲んで参考書を広げているのが分かった。電気機械工学とかなんとかそういうのが転がっている。初級システムアドミニストレータ、と言う本を見つけて難しそうな名前だと思った。まるでアドレス帳みたいな変な名前だ。 「いい匂いだね」なんて尾形さんが言ってくれて、私は照れくさくてありがとうございます、と言いながら空いているところに腰を下ろした。お盆を脇において兄を見る。 「どこに置けばいい?」 「あー、まあいいや。その辺」 「ここでいいの?」 「ついでにお前も座っとけ」 「え」 そっけなく言う兄だが何か意図でもあるのだろうか。いつもならば早々に出て行けと部屋から出すはずなのに。 「ほらよ」 「なに」 「ホワイトデー」 私にくれるの、と私は袋と兄を見比べた。無愛想な兄に似ても似つかないような白いレースの可愛いラッピングの箱で思わず笑いそうになって笑いをこらえる。 「ありがと」 えへへ、とやっぱり緩む頬をおさえられず兄からそれを受け取るとにやにやすんなよと兄から一蹴される。おいおいお前もにやにやしてるよと言ってやったほうがいいのだろうか。でも幸せだからいいか、今日はお菓子も貰った事だし大目に見てあげよう。いつの間にかホットケーキを食べている兄はやはり私と目が合う前についっとそっぽを向いてしまった。 尾形さんと目があって、尾形さんがはっとしておもむろに「俺もあるんだけどさ、」と言いながら鞄から箱を取り出す。 私が目を丸くして驚く。 「はい」 「あ、ありがとうございます!」 わあ、幸せ。思わず緩む頬を押さえきれず、えへへと笑う。尾形さんもやっぱりにこにこと微笑んでくれる。社交辞令でも何でもいいけれど貰えたという事実がもう嬉しい。林檎柄のポップな箱を抱きしめて、私は幸せな気分に浸る。 ねえ、ちょっとだけ 期待してもいいですか。 ▲ (20100316)尾形くんはもう無条件でかっこいいですこんな礼儀のある出来た人間そうそういないよ! |