(少し酸味のある感情)





 彼女は、相も変わらずふんふんと屋上で上機嫌に歌を口ずさんでいた。綺麗な声で、俺はその歌声にぼうっと聞きほれる。ぴゅうっと風が吹いて可愛らしい日本人らしい肩までの黒髪が揺らしている。それを可愛いと表現せずにどう表現しろと言うのだろうか、俺は屋上のドアを開けて、妙な知り合いになった彼女の隣でぼんやりと空を眺めていた。


 「みちにたおれて誰かの名を、よびつづけたことがありますか」
 彼女が歌っているのは何の歌か、俺には分からないけれどそんな俺に関わらず彼女はその綺麗な歌声でその歌を歌っている。歌謡曲なのだろうか、分からないけれど教室では口数の少ない彼女がこうして綺麗な声を披露している時に野暮ったく声をかける俺じゃない。


 可愛くて、少し変わっている。
 それが第一印象だった。


 クラスでも一風変わっている彼女は、人付き合いはそこそこにあるものの人を寄せ付けないオーラのようなものを持っていて、俺みたいに場に本格的になじめていない人間とはちょっと違うタイプの人間だった。休み時間は、ずっと本を読んでいるし授業中も進んで発言をするわけではないが手を上げる人がいなければ大体が彼女のところに白羽の矢がたつ。別にサボっているわけではなく、ただ単に頭がいいからすぐに答えられる。だから教師がを当てる、それだけだ。


 「わたしはわかれを忘れたくて、あなたのめをみずに戸を開けた」
 彼女はそういう立場にいる事が多い。そして俺と出席番号も近い。そして偶然が重なり席も比較的近い。今は前後だ。彼女は、しばらく付き合っていた人がいたみたいだけれど今はどうだか分からない。そんなのはウワサだよ、とコロコロと笑いながら言っていた彼女はとても可愛かった。俺は可愛いしかいえないわけじゃない、彼女が可愛いから可愛いしか言う事がないんだ。決して語威力が無いとか、そんなんじゃない。
 実際に彼女は可愛い。
 容姿はもちろん、その長いまつげも可愛らしいく少し大きい瞳もさらさらとした髪も全部可愛い。そしてなによりも、綺麗な心をしていた。お世辞なんて安いものじゃない。素直に人に感動してドラマの中の話の人物の表情からこういうことが読み取れて、こういうことを思っているからこの人が好き。とか具体的な事を言うのだ。


 「別れはいつもついてくる、幸せのうしろをついてくる」
 そんなことねえよ、と俺は彼女に言ってやろうと思ったけれど、そういえば彼女が歌っているのは歌だと言う事を思い出す。それが表情に出ていたのか、ふっと目があった彼女が一瞬だけぴくりと驚いたような反応してくすくすと笑った。


 「わかれうた」
 「え」
 「わたし、好きなの」
 俺が状況を理解するのに、ちょっとかかる。どうやらそれが歌の名前らしい。でも誰が歌っているのかは彼女の声からは全く推測が出来なかった。けれど、好きという単語を彼女から聞いて俺は少しドキッとする。俺は気づいたら俯いて考え込んでいて、はっと気づいてのほうを見るために顔を上げれば彼女はくすくすと小動物のように笑っていた。
 「歌の話よ」


 「彼女の声ってとても魅力的なの」
 うっとりとした瞳をして、はあと感慨深く彼女はため息をついた。それがなんとも色っぽくて、俺はまた少しドキッとする。反則だと言ったところで、彼女にそういう他意がないことは目に見えてわかった。少し寂しい、って何考えてんだ俺。


 「俺は、の歌も好きだけど」
 「ありがと、真田」
 そしてまた、彼女はくすくすと笑う。
 そして、少し間が空いた。ぶおおん、と音を立てて飛行機が飛行機雲を引いて飛んでいく。「わあ!」と目をきらきらとさせる彼女がとても新鮮な反応をするので、俺は彼女に向けていた視線を慌てて彼女から飛行機へと戻した。






 「わたし、あんまり人と話さないから忘れてたけれど」
 ぽつりと呟くように彼女の声が静寂を割る。


 「何だよ、急に」
 俺だって、人と話さない。お互い様だろう、と言うのが顔に出てしまったのか彼女は微妙な反応をした。それでも自らの意思を俺に伝えようとして、口を開く。
 「今日、俗に言うホワイトデーなんだって」
 「そうだな」
 「真田知ってたの?」
 心底驚いた、というような表情で俺を見てくるものだから俺の方が驚いた。
 「な、知らなかったのかよ」
 「知らなかった、昨日まで」
 「相変わらず何か抜けてるよな、お前」
 「そんなことない、普通」彼女はそう言うと、ポケットから何か取り出す。「で、これ」
 「何だよ、これ」
 俺は差し出された可愛らしい袋を受け取る。中にはハート型のクッキーが三枚ほど入っているようだった。


 「クッキー」彼女は短く答えた。「斉藤が、好きな人にクッキー渡す日って言うから作ったの」
 「な、」俺は何かを言おうとして、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりするけれど、言葉が出てこない。
 きっと俺の顔は真っ赤なんだろう。さっきからずっと恥ずかしくて顔が熱いのが分かる。
 「だから、真田にあげるために作ってきたの」


 「が、作ったのか?」
 本当は聞きたいのはそこじゃないけれど、俺の口を飛び出してきた言葉はそれだった。
 「そう、普通な味だって言われたけどそれでよかったら」
 「いや、そうじゃなくて、あの…」
 もごもごとくちごもると、彼女は俺の意図を察したようにふわりと笑って言った。




 「真田が好きです、付き合ってください」


 俺は、驚いて目をぱちぱち瞬きして、ごくりと唾を飲み込んだ。


 「俺も、俺も…が好きだ」




 彼女は、良かった。と言うと俺の背にぎゅっと手を回して抱きついてくる。俺はどきどきして止まらない心臓が、さらに早鐘を打つように鳴るのを何となく感じた。俺も、ぎゅっと彼女の可愛い背中に手を回す。

















(20100314)ホワイトデー記念日、そしてなかじまみゆき大好きなのはわたしです。