(おぼろげ朝月夜)





 その日の明け方の月を見るためだけに屋根の上で徹夜をしてみることにした。夜空を見上げると、いつも通りの星空が広がっている。ごろりとシートの上に寝そべるとひんやりとした屋根の冷たさが背中に伝わってきた。これでは朝まで持つわけがないので、毛布を三枚家から屋根へと引っ張りあげた。毛布に包まって座布団を敷いたピクニックシートの上に座る。まるでどこかの引きこもりか家出少女のようだが、外へ出ているので引きこもりではないし、家を出ているが屋根にいるので家出少女というのも何かしっくり来ない。
 私がなぜ今日この静寂の中、朝月夜を楽しみに明け方まで待っているのか。理由はただひとつ。今日は空気が澄んでいるのだ。だから月もきれいに見えるに違いないという私の根拠で待っている。月が見たいという理由はちゃんとあるが今はまだ言わない。



 「何してんだよ、風邪引くぞ」
 「小姑みたいな言い回ししてると、小姑になるぞ」
 なんだと、と安い挑発を軽々しく受ける彼に対してケラケラと笑い声を出して笑ってみる。彼はむっとした様子で私の隣に座った。

 「で、何してんだよ」
 「私が何してるか、そんなに気になるのか」
 クスクスと笑いながら彼のほうを向けば、彼はこんなところでそんな格好で座ってる奴見たら誰だってそう声をかけたくなるだろうと言いながら私の頭を小突いた。私は、彼のその様子が面白くてまた笑う。


 「月を見るんだ」


 私が本来の目的を言うと、彼はあっけに取られたようなぽかんとした表情になる。私は月を眺めながら言う。
 「明け方の月はとても綺麗だということが、私が読んだ文学小説に書いてあったから実際にそれを見て綺麗かどうか判断してやろうと思ってな」
 だから見るんだ、と私は視線を彼へと戻す。彼はいつも被っている帽子もしておらず、フェイスペインティングもしていなかった。会ってからすぐの頃は誰か判断しそびれることもあったが、今はようやく区別ができるようになっている。これは快挙なんじゃないかと思うこともあるが、誰にも言ったことがないので褒めてもらった覚えはない。むしろ話したらそれは普通だろうと言われそうなので、これから誰かに言うという予定はない。そんな可哀想な人になる予定は今の所ないからである。
 「やっぱりお前って変わってるよな」
 「そんな事はない、文学的な嗜(たしな)みだ」
 君には理解されなくてもいいと思っている、と言うと、彼はオレだって理解してるさ、と強がって言った。


 「ハハハ、君は面白いねカンクロウ」
 私が彼を笑うと彼はむっとしたような表情でこちらを睨んだが、私はそ知らぬふりをして月を見る。
 「じゃあ、聞くけどよ。何でこんな時間から見てるんだよ」
 朝方の月なんだろ、今から見る必要ねえじゃんと言った彼を、分かってないな、と一蹴。
 「今から見てるのがオツってものなんて言っても、文学の分からない君には分からないかもしれないね」
 「はぁ」
 ため息に似たような息を吐き出している彼は、そんなことを言いながらも私の言い合いに付き合っているところを見ると一緒に月を見ていてくれるらしい。私は嬉しいようで悲しいような何やら複雑な気分になったが、取り敢えず時間は潰せそうなのでよしとしておこうか。


 「月の模様って見たことあるだろ、ウサギが餅つきしてる奴とかそういうの」
 「ああ、聞いたことはあるな」
 「ほら、あの色が黒ずんでるところがあるだろう。それがクレーターといって隕石がぶつかってできたりした月にある窪みなんだ」

 私は月を指差す。
 「あの黒ずみを先人が模様に例えたことから、後世の私たちがその黒ずみを見てお月見をするようになったとかならなかったとか」

 「どっちだよ」
 「まあとにかく、先人たちは偉かったということだよ」
 「お前っていつも肝心なとこ曖昧だよな」
 「そういうのはお茶を濁すと言うんだ」
 「意味が違う気がするぜ?」
 「多少の意味の違いなんて気にしてたら人間生きてはいけないだろう」
 それがポジティブシンキングだ、と私が言うと、彼は意味わかんねえと笑った。


 「ま、今日はお前の言う月見にでも付き合ってやるよ」
 彼が、なんだか良いこと言ったのに対しての私の反撃開始。
 「ふうん、初めからそのつもりだったのだろうお見通しだ」
 「なんだと!」
 「別に義理チョコあげたからって明日になっても何もしなくていいんだぞ」
 私は三倍返しと見返りについては要求しないつもりだ、と言うと彼はギクリという効果音を付けて固まった。
 …用意していたらしい。
 「あー、そうかよ」
 「別に受け取らないこともないぞ、用意してるならありがたく受け取ってやろうじゃないか」
 「そういうところ可愛くねえよな、
 「そうだな、それは認めてやろう私は可愛くない里一番で世界一の不細工だ」
 「いやそこまで言ってねぇだろ」
 「じゃあ普通でいい」
 「普通よりは上だろ、ってお前それは里の女に対しての嫌味か。…それに俺が言ってるのは容姿じゃなくて性格の話だ」


 「それでもお前が好きだっていう気持ちは世界一だと胸を張って言ってやろう」
 「人の話聞いてんのか…って、どういう意味だよそれ」
 疑問符を浮かべて固まるカンクロウに視線を戻しながら私は首をかしげながら問いかける。
 「義理チョコが義理チョコでなかったという話だが何か文句でもあるのか?」
 「話変わってんじゃんかよ、っていうかホントかよ」
 「本当だが何か問題があったか、三倍返しのほうがよかったのか」
 「うっ、…いやそれは三倍じゃねぇけど用意したぜ!」


 「ほら、用意してるじゃないか」
 「今のはカマかけただけなのかよ!」
 「そういうわけでもない、面白かったぞ」
 ケラケラと笑うと、笑い声が広がった。
 夜明けまでこの調子では彼の体力が持たないだろうが、頬の赤い彼をからかって遊ぶのは思いのほか楽しいので、これは思いのほか楽しい暇つぶしができそうだと考える。朝月夜まで、あと4時間ぐらいだろうか、彼をからかって笑ってやることにする。










()(20090314)