(卵とインプリンティング)




 バレンタインにチョコレートを送ったらホワイトデーまで待てと言われた場合の対応策について、私はその心得を知らなかった。まさかそんな古典的な方法をとるなんて人がいるとは思わなかったからだ。よく人からずれているとかマイナーだとか趣味が偏りすぎているとか変だとか悪いとか好きな人の名前を話すと「それはないよ」だとか行動と言動が電波だとか色々と言われる私だが自分ではそう思っていないのが現状で、自分が特別だという感覚はまったくないのだが、それにしても一ヶ月前のあの返答には一瞬言葉を失ってしまった。この私が、である。


 小説におけるバレンタインの定義とホワイトデーの定義は読んだことがあるが、まさかそれを鵜呑みにしているやつがいると思うだろうか。否、いないと思うのが普通である。大体小説に書いてあることなんて嘘と本当が半分半分でちょうど睨み合いの対等で互角な喧嘩、つまりは均衡を保っているようなものだからだ。そんな不確かな事実を信じようとするほうが間違っていると私は思うのだが、人間というものは十人十色。色々な種類の人物像が垣間見えるわけで、人が十人も集まれば私の定義など十分の一の一般理論にしか過ぎなくなってしまう。何が言いたいかというと、私の意見が一般理論ならば、それに反する理論も出てくるということだ。というわけで、本に書いてあることが全てだというやつが一人二人いてもおかしくない。その一人が彼、サイだった。








 で、一ヶ月がたっている今日だがこれはもう信じられないくらい普通に彼は窓から侵入してきた。信じられるだろうか、否、信じられない。玄関を開けてこんにちは、程度に空気を入れ替えるために開けていた窓からやってきてこんにちは、とは何て奴だ。ちなみに、ここは3階だ。お前はドラマの影響をうけたのかと問いただしたかったがやめた。きっと、昨日の昼ドラの再放送をみて恋愛の予習でもしてきたんだろうことは目に見えている。ちなみに主人公の愛人である彼氏はちゃんと靴を脱いで窓から侵入していた。もちろんそれは私も見ていたので、なんとなく元ネタを理解できるが彼が実行に移すとなると不慣れすぎる点がいくつか。まあしかし忍者なので忍び込むのは一流と言ったところか。人のことも言えず私も忍者だからそれぐらいのことはできるが不審者になるのであまりしたいとは思わない。私は食べ終わったプリンのカップを置いた。
 それにしても乙女の暮らす一人部屋に無断で入ってくるなんてなんて無神経で無遠慮なやつなんだと考えていると、彼はホワイトデーの返事だといってかわいらしい小さな包みを渡してきた。なんだろうと思って私は受け取るが、別に窓から入ってきたことは許していない。しかも土足はないだろう。帰れと言いたいが、言ってしまえば彼は本当に帰りそうだ。畜生、惚れた弱みを逆手に取られてしまっているようで何か悔しい。


 「とりあえず靴を脱いでくれないか」


 と、私が言うと、彼は素直に従った。その場で靴を脱いで、ベランダに靴を置きにいくところを見ると、一応礼儀作法は整っているように見えるが窓から入ってきたことは何かもう色々と根本的な理由からして間違っているような気がする。その後に、ちょこんと自分の立っていた場所に無遠慮にも座る彼だが、私が包みを開けていないところを見て「まだ開けてないのか」と言ってくるところを見ると、どうやらこれは彼の前で開けなければならないものらしいということが感じ取れた。私は「今から開ける」と学習椅子の上から答える。
 紙袋から出てきたのは、掌に収まるような小さくてかわいらしい赤と黒のタータンチェックの箱。レースでリボンが結ってあるのを解いてタータンチェックの箱を開けると中には指輪。おいおいおいおい、いや待てドラマの再放送を忠実に表現してどうするんだ…!?



 「サイ、」
 「結婚しましょう」
 早いだろおおおおお! と言う突っ込みをしたいのをこらえながら、その言葉をしぶしぶと飲み込んで他の言葉を捜す。しかし突然プロポーズされたという意味の分からなさから、遠まわしに言えるようないい言葉が見つからない。
 「急ぎすぎじゃないのか?」
 「そうでもありませんよ、一ヶ月待ちました。それに僕はあなたが一目見た瞬間から好きですから問題はないと思います」
 「口説き文句がドラマの台詞で大半を占めているような台詞なのか」
 「そしてさんは美人なので僕からのプロポーズを断る必要性もありません」
 「断ると言う概念ではなく、どちらかというと付き合う云々の話から始めたほうがいいんじゃないのかそういうのは」
 「ドラマのシナリオ通りにいけば今頃は抱き合ってキスしてるはずなんですけれど…」
 私以上の電波キャラである。いつも私の周りの連中はこういう複雑な気持ちなのだろうか。私の意向は無視なのだろうか。悩んでいるサイをみていると私まで悩みたくなって考える。しかし、色々と同時に起こりすぎたせいか何から考えていいのか分からない。

 と、次の瞬間にはサイの顔が目の前にある。
 何をしようとしているのかは明白。私はとっさに背中のクッションで顔面を隠した。まさに間一髪である。


 「何するんですか」
 「ガードするんです」
 うつるんです、と言うノリで言ったら首を傾げられた。どうやら冗談は通じないタチらしい。ここまで私を苦戦させるのは彼くらいだ。しかしそこがまた魅力的である。ないものねだりと人間よく言ったものだと思う、まさに私がその通りだ。私にないものを持ってる彼に今現在とても惹かれている。それこそ友達みんなに退かれるぐらいに。
 「好きなんでしょう、僕のこと」
 「段階ってものがある」私はクッションを顔の前から膝に乗せる。
 「“ダンカイ”?」サイはぐいっと顔を近づけてきたので、掌で彼の額あてをぐいっと押しかえす。
 「順番だよ、物事にはみんな順序があるということを知っているだろう」
 「それで」サイは作り笑いをやめて真顔に戻る。「さんは何がどういう順序だと言うのですか」
 「卵が一つあったとしよう」
 なぜここで卵が出てくるのかとか、そういうことは突っ込まないでくれ。と注意を入れて私は続ける。
 「その卵を使ってプリンを作ろうと思ったとする。それからプリンを作る材料をそろえる」
 「何が言いたいんですか」
 「これはもうすでに段階になる。卵があった時点から作ろうと材料をそろえてプリンを作り終えるまで人間の行動は全てにおいて、それ相応の段階を踏んでからしか結論までたどり着けない。つまり何が言いたいかというと、君はその段階を飛ばして結論まで行き急いでいる。要するに、市販のプリンを買って食べてるようなものなのだよ」
 「…で、それがどうかしたんですか。市販のプリンと僕の行動が何か関係でも?」
 「そう、そこだ。着眼点からして悪くない。そして、ここで市販のプリンと君の行動について考えてみる。市販のプリンは見えないところで製造されてスーパーやコンビニなどの小売店に並んでいる。消費者である私たちは買って食べるだけだ。確かにスーパーやコンビニなどの小売店に自分で出向いていって買うという段階は踏んでいるが、それはプリンを作るという段階を飛ばしたことには変わりない。それは先ほどの君に例えると、『プリンを作るという段階』、つまり付き合うという面倒な過程をすっとばして、『プリンを食べるという段階』、つまり結婚するという思案に至っているということだ」


 「僕に段階を踏めというわけですか」サイは一歩下がって、ちょこんと私が愛用している座椅子のクッションに座りなおした。
 「要約してそういうことになる」私はクッションを背に戻す。
 しばし沈黙。
 私の事を何だと思っているのかどうか知らないが、とりあえず私は彼の私にない部分が好きだと言うことをきちんと伝えてあるつもりだ。しかし常識がない所は好きになれないというのは変えようもなく事実。完璧な人間なんていないことは知っているし、私に男運がないのも知っている。全て熟知した上で彼に私は告白したつもりだ。しかし、彼がどう受け取ったかは定かではない。


 「わかりました、僕とお付き合いしてください」彼は営業スマイルで微笑む。スマイル0円の大安売りだ。
 「わかった」私は答える。「でも指輪はありがたく受け取っておくから」


 「それは、僕と最終的に結婚するということですね」
 「君の行動次第だな」
 頭にクエスチョンマークを浮かべる彼を笑いとばしながら、私は彼が選んだにしては可愛らしい指輪を右手の薬指にはめた。左手にはめる日が来るのかどうかは、定かではない。

















()(20090311)