(初心)



 『初心忘るるべからず』とは誰の言葉だったろうか、誰の言葉でもなかったかもしれない。
 どのようにして諺が伝わってきたのか、というとまあきっと古文書あたりに書いてあったんだろうが別にそういう類の事柄に興味のない私にはどちらにしろ関係のないことだった。そう、私が行動を起こしたところで何もならない。そして初心なんて思い出したところで、ロクなことはない。やる気・気力・精神力どれもが満ち溢れているが、そのどれもは志半ばで途切れて終わってしまうことが多く、初心に帰ってしまえば私の中でそれは初心のままの状態でとどまり続けているだけにすぎないような感覚しかないからである。


 あの人に中忍試験で見かけたときから好きでした、なんて言ったら殺されるだろうか。
 いや、冗談ではなく本気で殺されそうなので何も言わない。あの強さは当時暗部だった私と同等またはそれ以上かもしれない。今は暗部を引退して上忍をしている私だが、それでもまだ未練がましく好きだという感情がぐるぐる渦巻いている。初めてみる技、圧倒的な強さ。そんな強さに惹かれたのだろう。異性に対する憧れや羨望は、次第に淡い恋心へと変化する。そんなアホくさいことを信じる人種ではなかった私なのだが、年月は人を丸くするのだろう。今は完璧のその手のひらの上で踊らされている。
 さて、今年のバレンタインは作ったものの渡せず。というのも、どうしてもサクラやいの、それからヒナタたちの前で名前を入れられなかったというのが大きな理由。彼女たちの中で私には好きな人がいないということになっている。というわけで義理チョコという名の名義のもと、同期の子に型抜きしたものを皆で配る。渡した瞬間にサイがいきなり抱きついてきたのにはびっくりしたが、義理チョコはみんなに配っているというとチョコレートは全部本命じゃないのかと首を傾げられたのでバレンタインについての知識を付け加えてやった。彼は本に書いてあることを鵜呑みにしているので多分バレンタインについての偏った知識についての本でも読んだのだろうと考えてみる。多分聞かなくても分かる、図星だろう。


 さて、本命チョコだが渡せなかったのにはもう一つ理由がある。
 近づけないのだ。サスケのように女の子にもてもてで近づけないなんて単純明快な理由ではなく、威厳と存在感と圧倒的な人気というものによって近づけないのだ。さて、そのお近づきになれない人物の正体だが、現在の風影様こと砂漠の我愛羅様である。
 正直、シカマルたちが砂忍たちとちょくちょく会っているなんて聞くけれどもそれは私に対しての嫌味にしか聞こえなくなってくるところを推測するに、私はどうやら嫉妬という感情を抱いているらしい。男に嫉妬する女の子なんて、なんて惨めで悲しいんだろうと自嘲してみる。悲しくなるだけだったのでやめる。


 遠くから見ているだけで幸せ、なんて思っている私。
 近くへ行って、たくさんお話しできないかしらなんて夢話。
 限りなく妄想上の幻に近い幻想、遠すぎて遠すぎて届かない彼。


 「遠いな…」


 ぼそりと二階のベランダでつぶやいた言葉は誰の耳にも届かないはずだった。
 …はずだった。


 「何がだ?」
 「私と、あの人」
 「あの人?」
 「あ」                       私の独り言に返答を返してくる人がいる。
 「誰だ、それは」
 「え、」                       まさかそんな事が、


 そんな馬鹿な少女漫画読みすぎだろうなんて、少女漫画誰が考えてついているのか(まあ漫画家のお偉いさん方だが)。まさかそんな事こが実際に起こりうることはないと信じている私が耳を疑ってしまうほどに自然な会話をしていたことに気が付いてしまう。その上に当の本人の名前を口にしようとしてしまいそうになってしまったなんて口が裂けても言えない。恥ずかしすぎて死にたくなる。
 音もなく華麗にストンと降りてきた風影様は何を考えているのか分からない無表情で冷静なポーカーフェイス。
 身長は私よりも高い。そしてなによりも綺麗。見間違えるはずも聞き違える筈もない容姿と風貌そして声、砂漠の我愛羅。


 「…風影様?」


 驚きで感情がそのまま出てしまうが、ここはひとまず冷静に考えて「教えませんよー」とそっぽを向いてみる。
 頭が混乱して真っ白に近づきつつあるが、深呼吸で落ち着く。向き合おうかどうか迷って振り返ろうとする前に彼は私の家の白い木のベランダの手すりに腰かけていた。振り返る手間が省けた。じゃなくて、何で彼はここにいるのか。夢だろうか、夢なら少しばかりうまくいきすぎているのにも説明がつく。


 「で、誰なんだ、あの人とやらは」
 「…」
 収集が付きそうにない。私が話さないと帰らない気らしい。きっと今頃彼の護衛が必死になって彼を探していることだろう。そんな中で私の家にいますなんて言ったら何か罪状がきそうである。まあそんな事は言えないので罪状も何もこないが。
 「話さないつもりか」
 「…」
 「もう一度言う、誰だ、そいつは」
 「私の大好きな人です」
 さすがに沈黙はまずいだろうということでもうこれはなるようにしかならないんじゃないかと思ったので、私は意を決して答える。

 彼はまだ満足していない様子でじっとこちらを見ている。そんなに見つめられたら穴があいてなくなるんじゃないかと思うくらいに見てくる。私もそんな中で下手に視線を外せないので見つめ返す。見つめ合いの攻防。なんだろう、これだけ聞くと冷戦のように聞こえるが蛇に睨まれた蛙状態である。
 ぴくりと、彼の表情筋が動いたような気がしたのはきっと気のせいではないはずである。何か癇に障ることでも言ったのか私は。


 「答えになっていないな」
 「人名で答えろと言うのですか」
 また難しいことをおっしゃるなあと考える。嘘をついてもいいような気がしたが、せっかく風影様直々に出向いてくださっているし、たかが上忍の私の家のベランダで私の話を聞いてくださっているのだから嘘なんてつけるわけがない。それにどうせ夢だったとしたら、どうにでもなればいい。でももし夢じゃなかったら。私の中の葛藤は休まることなく続いている。どうすればいい、どうしたらいい、考えろ働け脳細胞共。
 さて、先ほどの返事が返ってこないということ。つまり沈黙は肯定の合図、というお約束の条件のもと私は絶望の淵に立たされている。いや、絶壁の海岸、一歩下がればこの世からさようなら、みたいな! と某彼女風に言えば分っていただけるだろうか、いや、同意を求めてどうする。


 「…俺に言えないのか」
 「そんな目で見ないでくださいよ誰にも言ってません」


 秘密主義者か! と突っ込みが入ることもなく、しばらく風影様は考え込んだ。うーんと考える姿はとてもかわいい。見つめられてるだけでも心臓が口から出そうなほどに脈打っているというのにまだ私は平静を保っているのだから凄い。と、風影様がおもむろに可愛らしい包みを懐から取り出した。私に向かって差し出している。
 …差し出している。


 「これを、やる」
 「え」
 状況が飲み込めない私だが、とりあえず、私に対して何か贈り物をくれるらしい。


 「別にいらなかったらいい」
 「あ」


 じゃあなと、言って立ち去ろうとする風影様。全くこんな所で人生最大のチャンスを逃がしてどうする私、正念場だぞ。


 「待ってください」
 「…何だ」
 おもむろに私はポケットを探ると、昼にここでまさに食べようとしていた袋入りの自作マドレーヌを取り出す。形状は上々。崩れてはいない。
 「これ、別に食べたくなかったら捨ててもいいですけど」
 私が、うやうやしく渡すと彼は少し驚いたような表情になってほほ笑む。


 「…ありがとう」
 その笑顔を見れただけで幸せ。私はあなたが大好きですなんて伝えられる気はしないけど、夢なら覚めないでほしい。でもこれが本当ならずっと続けばいいなんてそれは私の我儘。だけどこの時間、一瞬たりとももう無駄にしたくないから。




 「風影様、」私は言う。「我愛羅くんです」


 「…俺…だと?」
 「一回しか言いません」
 恥ずかしさと何かいろいろな物で何だかどうにかなってしまいそうだが、もう何も言うまい。夢なら覚めてしまう。けどその前に伝えておかなければならなかったんだと思う、意味がないと言われようとなんだろうと私にとっては人生で一度あるかないかの一大事なのだから。今、私、一大事。と頭の中で警報機がカンカンと鳴っている。ふいに手を握られて、驚く。握られた感覚があるのだ。ひんやりとした手の感触が伝わってくる。これで私はこの状況が夢ではないと悟る。まさかこんな事が、実際に起こるなんて信じられない。


 「…俺は、まだ遠いか」風影様は私の目の前で私の両手を、風影様がく出さったプレゼントごとぎゅっと握りしめている。
 もう心臓がはちきれそうだ。私は首を横に振って、近すぎてどうにかなりそうと言いかけて思いとどまる。
 「近い、です。すごく、」もう涙が出そうだ、何だろうこの感極まった思いは。「幸せです」
 「そうか、これが幸せか。…俺もだ」
 風影様は静かに、ほほ笑む。




 こんな両想いでいいのか。
 こんな幸せになってもいいのか。
 こんな幸せ空間があってもいいのか。
 でも実際に存在しているのは確かで、確かにあなたはここにいて。
 もうどうしようもないな、なんて思ってる私はあなたに病んでいる。




 「また、会いに来る」
 短く、そう言った風影様はまるで風のように消えてしまったけれども、私の手の中には確かに彼から贈られたプレゼントが握られているから寂しくはない。私はベランダで立ちつくしたまま、プレゼントの中身を空けてみた。砂時計、なんていかにも風影様らしいとか考えながら可愛らしいデザインの砂時計を部屋のどこに飾ろうかどうか思考にふけっている私がいて苦笑した。どれだけ夢中なんだろうなんて言葉で言えたもんじゃないくらい大好きだ。
 また来てくれるみたいだから楽しみに待っていようとか今度はお茶菓子を用意していようとか妄想をふくらませながら。






 初心、たまには思い出してやってもいいかもしれないと思いながら。

























()(20090311)