今日び、普段街を歩くのに浴衣や着物を着るような者はなく、それぞれにこの暑い中奇抜な日本独特の服装をしている若者達がせかせかと駅前の道路を通り過ぎるのをぼうっと眺める。まあ最近はファッションだかどうだか言ってひらひらとレースのついた着物を着ている邪道な奴もいるが、それは着物とは言わない。

 と、思ったけれども着ている本人たちはそんな事はどうでもいいようだ。裾の短いものなどを平気な顔をしながら着ているのを見ると、こいつらは正気なのかと思うが、そんな事俺には一切関係ない。

 取り敢えず今立っている噴水前から辺りをぐるりと見回してみた。

 そこかしこに黒いものから白いもの、透けて人の形をしている物まで様々な形の、アレがいる。

 どうやらそいつらは俺ぐらいにしか見えないらしく、他の奴らはその存在がまるでない物とでも言うように振舞っている。本当に正気なのかと思ったが傍から見れば俺のほうが正気ではないのだろう。だが見えてしまうものは見えてしまうので仕方がない。少々顔をしかめながらも、そいつらを見過ごす。命拾いしたと思えよ、とそいつらに目で訴えてみたが通じたかどうかは定かではない。先程と同じように、ただうようよと漂っているだけである。何の反応も示さない事に少しばかり苛立ちを感じ、舌打ちをした。

 普段そいつらは人の背中にへばりつき、取り付いた奴の生気を吸い取る事でこの世に生き永らえている。本当に不経済だとは思うのだが、彼らにしてはそうしていないと不安なのだろう。つくづく傍迷惑な奴らだと思う。だが俺は霊媒師として活躍する気もさらさらない上に退治する方法もよく知らないので、そいつらが背中についている不幸な連中を見ては気の毒だなと思って通り過ぎるだけだった。

 …今日までのところは。




 ふと、異様な空気をぴりぴりと感じてそちらを向くと、謎のオーラを纏っている人物が目に入った。最初は変な宗教か何かで、そこに屯しながら募金でもしているのかと思っていたが、どうやら違った様だ。頭の先からつま先までをまるでブラックホールの様な黒いマントで覆ったその性別不明の人物はケケケッと笑いながら(表情が分からないので笑ったかどうか分からないが)、一歩一歩着実にこちらに近づいてきているようだった。

 何だ、一体何者なんだ、あの黒マントは。そんな事を思っているうちに、もうその黒マントは目の前まで迫っていた。

 ソイツはマントの中から、まるでヘリウムガスを吸い過ぎて喉がおかしくなってしまった人のような掠れた甲高い声で、

「ツイテキテ、モラオウカ」

 それだけ言うとさっと身を翻し、まるで本当に俺について来いとでも言うように歩き出した。そんな事をされては、こちらとしてもついて行かなければいけない様な気持ちになって仕方なくその黒マントに続く。黒マントは、人ごみを避けるように…いや、まるで人ごみに避けられているかのように巧みに人ごみの中を歩き続けていた。俺も、そいつを見失わないよう慎重になりながら追いかける。

「何処に行く気だよ、お前」

 しばらく進んで先程の人ごみも疎らになり地面もコンクリートから土に変わった時、俺が奴に問うと、

「ソノウチ、ワカル」

 そう、一蹴された。悲惨だ。

 その後に続く会話も思いつかなかった上に考えるのも面倒臭いので、俺は黙って黙々と歩くことに専念することにした。一方、黒マントは自ら喋ろうとか話そうとかして俺とコミュニュケーションを取ろうとか言う気も起こらないのか、最初に俺に『ついて来い』と話し掛けてきた時から自主的に話し掛けてこない。基本的に無口な性格なのだろう。

 前を行く黒マントを見る。隙間も無く漆黒のマントが全身を覆いつくしている。歩くたびにそれがゆらゆらと揺れたが、足も見えない。もしかしたら、足まで黒いスニーカーを履いているかもしれない。

 ふと、辺りを見れば都会の風景は今や影も形も無く、巨大ビルの群れはとうに後方にあった。こんな短時間にこれだけ移動できるものなのだろうかといった疑問が一瞬脳裏に過ぎったが、そんな事などどうでもいいという思考がその思考を打ち消した。黙々と石段を登る。

 少し離された黒マントとの距離を詰める。と、黒マントが大木の前で止まった。どうやらこの辺りは神社の境内のようだ。使われなくなって赤い色の禿げかかった鳥居のようなものが後ろ斜め四十五度ほどの場所に見える。木々がざわざわと音を立て、俺達の様な侵入者を拒んでいるように思えてきた。被害妄想かもしれないが、実際の所かなり不気味である。

 しかし黒マントはそれを一向に気にする様子も無く何やらブツブツと呪文を唱えた後、何処からか現れたその木の根元の穴の中に入っていく。こんな所に穴など在ったかどうかも記憶に無いが、こんな場所が在ったかどうかすらこの俺の記憶にはない。

 一瞬入るのを躊躇ったが、意を決してその穴の中に足を踏み入れた。ひんやりとした空気が、頬に触れた。もう一歩と踏み入れる。

 その中は階段状になっており、案の定暗かった。黒マントが黒いせいで背景と同化し、今どの辺りにいるのか分からなかったのだが、取り敢えずここを進めばいいようだ。俺は一歩一歩着実に階段を踏みしめながら進んだ。途中で道が途切れていたり、もう一歩先が針山だったり、そんな悲惨な事も無く無事に最後までたどり着けた俺は安堵の溜め息をついて、その場にへたりこみはしなかったものの近くの壁に寄りかかった。実は、この階段とてつもなく長かったのである。まるで高層マンションの二・三十階の所から地上である一階まで階段で降りた時のように息が上がっていた。情けない。

 黒マントは、こんな階段もまともに降りられないのかとでも言うように嘲る様な目で俺を見た。いや、見ていたと思う。そんな黒マントを一睨みすると、それを無視する様に黒マントは更に奥の道へと進みだした。

 まだあるのかよ、と内心ブツブツと不満を漏らしながらそれを外には出さず黒マントに続く。黒マントについて行った先の少しひらけた半球上の洞窟には、なんと同じような黒マントの集団がうじゃうじゃとひしめき合っていた。

 俺は思わず身構えた。よく見れば背丈はまちまちなものの、ざっと百人は居るだろう真っ黒な集団に目をやる。何じゃこりゃーと思わず乗り突っ込みをしそうになって思いとどまった。考えてみれば今こんな所で突っ込んでみても滑る事うけあいだ。俺が悲惨な気分になるだけである。考えるだけで嫌な気分になるので思考回路をシャットアウト。

 その時俺の中で、きっとこれは夢なんだという自己防衛本能の一つ現実逃避能力が力を発揮した。だがしかしそれも空しくその怪奇な黒装束の集団の「オー」という半ば雄叫びに近い例の甲高い声でそれは意味を失くした。畜生。

 先程の黒マントはいつの間にか少し高くなっている舞台の上に立っている。そして言った。

「ナカマガ、アラワレタシ!」

 …『ナカマ』!? それって俺のことか? 何言ってんだよ、俺そんな事言った覚えないぞ。喉まで出かかった言葉の数々を飲み込んだ。うっ、とそれが喉に詰まりそうになって深呼吸をする。たった今俺の顔を鏡か何かで見たとしたらさぞかし間抜け面だったことだろう。

 生憎、ここには鏡が無かったので幸いにもそれを見ないで済んだが。

「…イジョウダ!」

 そう黒マントは叫んだ。どうやら早くも会見は終ったらしい。観客の黒マントが歓声(という名の奇声)を上げる。五月蝿い。

 すると黒マントは壇上から飛び降り、俺の服の袖を引っ張りながら凄く早足で歩き出した。一瞬よろけて転びそうになりつつもその黒マントのペースに合わせる。いや、無理矢理合わせざるを得なかった。そうしなければ無様に転ぶだけである。流石にそんな勇気は俺には無い。

 勿論の事、黒マントとは何の会話も無く嫌な感じの沈黙が続き、洞窟の奥の方にどんどんと進んでいく。果たして大丈夫なのか心配になってきたのだが実験解剖、そして分解されないことを切実に祈るしかない。どうか狂科学者に会いませんように。そう心の中で祈っていたところ、突然黒マントは足を止め、また呪文のようなものを口走って壁に穴を開けた。いや、壁が自ら穴を開けたように見えた。錯覚なのかどうか分からないが、目を瞬く。

 そうか。呪文を唱えると穴が出現するらしい。ようやくその事を理解した俺は穴の中に狂科学者が居ない事を祈りながらおそるおそる、俺とは正反対に堂々と先に穴に入っていく黒マントに続く。

 俺を待っていたのは、狂科学者と手術台とライトではなかった。代わりといっては何だが、黒装束とお揃いの真っ黒な黒マントが一着。ぽつんと場違いのハンガーに引っかかっていた。壁の隅のほうにはベッドらしいものが置いてある。後は刺繍の入ったクッション付きの木製椅子が一脚。

「で、俺にどうしろと」

 黒マントに問いかけてみるとソイツは、なんとその黒いマントのフードを外しながら言った。…そんなに簡単に外してもいいのだろうか。真相は謎である。

「…フー…まあ取り敢えずその辺に座っていろ」

 言いながら黒い仮面を外す。俺はベッドに腰掛けた。ミシッとスプリングが悲鳴を上げる。

 ソイツは黒いマントの下に普通の黒いTシャツに黒い革のズボン、そして同じく黒いスニーカーを履いていた。結局、黒いマントを脱いだ所で服装が黒いのに変わりは無い。けれども髪の毛は透きとおる様に滑らかな、腰まであるブロンド。眼は一点の曇りも無い青空のように綺麗なスカイブルー。ハーフだろうかと一瞬思う。

 しかし驚いた事に、その黒マントを脱いで黒い仮面を外したソイツは普通の女の子だった。男かと思っていたのだがどうやら違っていたらしい。取り敢えず、目の前の奴が人間であることは確かだ。ユウレイでも怪物でもない、普通の女の子。

 ただ一つ…

「今から丁寧に説明してやる」

 口が悪いことを除いては。



 ところかわって半球状のホールのような先程の洞窟では、黒集団がざわざわと騒音を立てながら出口に向かって歩いていた。ところどころ、ガヤガヤと話し声も聞こえる。

「ミタカイ? アノ ショウネン」

『ミタヨ。カセイフノ ヨウニ、ミタヨ』

「ナカマダネ! イイネ!」

『ワレラノ、カツドウノ セイカ ニ…』

「カンパイ!」



 暫時、彼女の回りくどい説明を受けているうちに分かってきたのだが、どうやらこの集団『霊媒師』的な活動をしているようだ。あのうようよと漂っている奴らを退治するのが仕事らしい。だが、最近では奴らの数が恐ろしいほどに増えてしまった。そこで自分達だけでは駆除作業が追いつかないと思い、霊能力のある奴を仲間に引き込んで手伝わせようと思った。そして、俺が仲間に引き込まれた。ということらしい。彼女の説明を要約すると、こうである。が、はっきり言ってこれはどこかの詐欺のように思えて仕方が無い。騙された感じが襲い掛かってくる。俺は否応なしに手伝わされるのか、『霊媒師』の仕事を。

「お前も、奴らが生命にとって有害なことは知っているだろ。ここで退治の仕方を覚えておくと後で色々と得だぞ。金に困った時なんかは、これで仕事になる。…いや、それ以上にこの仕事は人助けになってな、全世界の人類を救えるんだ。ほら、超S級霊媒体質の奴とか助けて世界のヒーローになれるぞ」

 いや、そんないかにも宗教臭い勧誘とかされても俺は困る。この勧誘なら自宅に来るセールスマンのセールストークの方がやはり上のレベルだと思うが、あちらさんはプロ。こっちは素人もいいとこの俺と同い年ぐらいに見える女の子。格が違う、格が。

 しかも今時、超S級霊媒体質の奴がこの地球上に何人居ると思ってんだ。数えるほどしかいないだろ、そんな奴。その他にも色々と突っ込み所はあったのだけれど、キリが無いのでここまでで。

「俺、そーゆーの興味ないし」

 そう一蹴してやると、女の子は「ぐう」と言って固まる。額には冷や汗が流れていた。…苛め過ぎたか。

「そう言わず、やってくれぬか?」

 彼女も彼女で事情と言うものがあるのだろうが、こちらもこちらでこんな怪しい団体に深く関わってしまうのは遠慮したい所だ。そこで俺はいい考えが頭に浮かんだ。今回は変な所で働く脳味噌に感謝しておこう。

「それじゃあ、「やってくれるのか!」

 案の定、俺の言葉に飛びついてきた彼女に「まあ聞けよ」と言って話し始める。俺のアイディアはこうだ。この長いようで実際の所過ごしてみると短い、夏休みの一ヶ月間だけその仕事を手伝う。俺がその間に心変わりしたら、そのまま仕事を続けてもいい。だが心変わりしなければ、その一ヶ月でそちらさんとは縁を切らせてもらう。

 これは一種の賭けで、成功するかどうかは分からなかった。今あっちは躍起になって俺をこの怪しい宗教団体に引き込もうとしているが、今この状態で俺が逃げるために使える最終手段はこれしかないのだ。俺は内心、冷や汗ダラダラだった。

 彼女は俺の言葉を聞いた後に、一瞬きょとんとして考える人のごとく考え込んだ。しばらくの気まずい沈黙が続き、嫌な汗は俺の背中をびっしょりと濡らした。固唾を呑んで彼女の言葉を待つ。

「いいだろう。『一ヶ月』、だな」

 彼女は、座っていた椅子から立ち上がると「マントを持って着いて来い!」と言って入ってきた穴に足を掛けた。いつの間にか彼女はマントを身につけて例の黒い仮面を手に持っている。俺は慌てて壁にかかっていたマントを引っつかんだ。ハンガーが飛んできて避ける。床にハンガーがガラランと音を立てて落ちた。それを無視して、もう外に出て行ってしまった彼女を追いかける。急いで穴を潜ると、彼女はマントのフードを被らずに黒い仮面を左手に持ちながら腕を組んで壁にもたれかかっていた。

 俺が完全に穴から出てくると、彼女は歩き出しながら言った。

「このマントを着ていると『奴ら』が見える者しかこちらの姿を確認する事ができない。この黒い仮面は、まあよく分からないが階級別に支給されているらしい。チェーンソーを持った奴のようであまり好きではないがな。あのムシのようなのに比べればこちらの方が数倍マシだ」

 そのマントにそんな能力があったのか。感心しながら自分の手の中にあるそれを眺める。普通のマントと全く変わり無い様に見えるが…外見だけで判断できる代物でもないという事だな。

 俺は頷きながら無言で納得すると、彼女に問いかけた。

「で、どこに行くんだ?」

「よくぞ聞いた、小僧。私達は今から『心霊街道』に向かう」

 彼女は少し後ろを振り返り、ニヤリと悪魔のように微笑んだ。嫌な予感を第六感が察知して、カンカンカンと警報が頭の中で流れる。思わず謎の単語を彼女に続いて復唱してしまった。

「『シンレイカイドウ』?」





 その場所が出来たのは江戸時代。当時は行商人たちの隠れ通路として使われていた所だったという。だが、その行商人に紛れて殺人鬼が一人その通路のうちに入ってしまった。運の悪い事に、その通路は迷路のように複雑な作りをしていた。行商人たちの中ではその通路の地図が出回っていたが、他の農民達などはその地図の存在も、そこが迷路状になっているという事すらも知らなかった。殺人鬼は迷った。迷って迷って迷って、腹が減っては鼠を焼いて食った。それから何日も過ぎたが、一向に出口に出られる気配はない。殺人鬼は地図がある事を行商人の会話で知った。行商人を脅して引剥した。殺人鬼はその日、行商人の地図を使い無事に洞窟から出ることが出来たが、行商人はそこで飢えて死んだ。その日から、その洞窟に入ったきり戻ってこない者が表れはじめた。殺人鬼は、別の殺人鬼に殺された。村の人は、これは行商人の呪いだと叫んでそこには近寄らない様にと立て札をたてたという。

「まあ、説明としては大体こんな所だ。多分、死んだ行商人は『陰霊』になり他の行商人の背中について生気を吸い取っていたのだろう。村人が何故死んだ行商人を知ったのかは不明だがな」

 自分でした説明に自分で突っ込む彼女。

「……」

「どうした、行く気がしなくなったか?」

 そんなに怖い話が嫌いだったのかと問いかける彼女に対し、呆れて頭を横に振り、

「子供しか怯えないだろ、それ」

 と、思ったことをズバリ言ってやった。言うのも馬鹿馬鹿しかったのだが、言わない事には誤解されたまま話が進んでしまう。

「なんだ、つまらん奴め」

 フン、とそっぽを向いて彼女は立ち止まった。彼女の視線の先には、例の立て札。そして先の見えない、お先真っ暗な洞窟。見るからに「出そう」な所である。

「ほら、ここだ」

「おう、ここか」

「入るぞ」

「おうよ」

 そんな、素っ気なく簡単なやり取りの後にずけずけとその洞窟に入っていく。

「ここには沢山出るからな。特訓するには最適の場所だぞ」

 彼女がそう言った瞬間、黒いのが後ろから襲い掛かってきた。不意を衝かれて前のめりに倒れる。

「…がっ!」

 思わず声が漏れた。くそう、卑怯な奴めと心の中で悪態をつくが、一向に上の黒い奴は動こうとしない。

「どうした?」

「どうしたもこうしたも、ねえよ」

 彼女は後ろを向いて言ったが、こちらとしては思ったほどなんともない。多分掠り傷が少々あるくらいだろう。取り敢えず、今の所の被害は上に乗っかっている糞野郎が重たいぐらいだ。

「『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』!」

 彼女が片手をこちらにかざして叫ぶ。驚いたことに彼女が叫んだ瞬間、その掌から眩い閃光が走った。暗い所に慣れていたので目が眩み、思わず手で光を遮った。「ギャアアア」と、俺の上に乗っている奴の悲鳴が辺りに木霊する。一瞬のうちに体も軽くなり、俺はむくりと起き上がって服についた砂や埃を払った。パラパラとそれらが下に落ちていく。

「…さっきの、何だったんだ?」

「陰霊の事か?」

「ああ、多分それ」

 俺が言うと彼女は、前方の暗闇に向けてもう一度それをやってのけた。またしても「ギャアア」と悲惨に断末魔が響く。彼女は言った。

「お前にこれを覚えてもらう。フン、コツさえ掴めば簡単だと言っているだろ? ほら、黙って見ているだけでは上達しないぞ。早く手をかざして叫べ! 『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』」

 彼女の手からまた閃光が走る。「ギャアアア」という断末魔。俺も真似して手をかざして叫ぶ。

「『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』!」

 パンッと間の抜けた音とピンク色の煙が手から出てシュウウウウと音を立てて上に昇る。呆気にとられて目が点になっている俺に対し、彼女は大声で笑い出した。笑い声が洞窟中に響く。

「なッ…笑うなよ!」

「くくくっ…これを笑うなと言う方が間違って…いるんじゃないのか?」

 笑いすぎて涙目になった彼女は言う。未だに腹を抱えて笑う彼女は、まだ幼い子供のように見えた。笑われたのが悔しくて、もう一度試してみる。

「『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』!!」

 バンッと先程よりも強い爆発音が響き、か細い閃光が走った。…これじゃカメラのフラッシュだ。

 彼女は、いつの間にか笑うのを止めてニヤニヤとしながらこちらを見ている。もう一度彼女の放った閃光を思い浮かべる。そして自分がそれを放っている様子をイメージする。

「『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』!」

 先程のか細い閃光などではない、かなりの威力のある閃光が俺の掌から噴射された。反動で後ろに吹っ飛んで尻餅をつく。彼女はパチパチパチと両手を打ち鳴らしながら近付いてきた。そして尻餅をついたままの俺に片手を差し出した。

「三度目の正直と言う奴だな。私が見た限りでは三度で成功した奴は今までに私ぐらいしかいない。なかなかやるじゃないか、お前」  俺は彼女の手を取り、「まあな」と言いながら立ち上がった。まさか自分が除霊活動をしているなどとは、ほんの数時間前ならば思ってもいなかった。やる筈が無いと思っていたのだが、やってみればなかなか面白いかもしれない。

「よし、それじゃあ次の段階だ」

 まだあるのか、そう思うと体中の力が抜けた。思わず口が滑る。

「じゃあ、これは初歩か?」

「ま、そんな所だろうな。気落ちしたか?」

「まあな」

「取り敢えずだ、雑魚なら先程ので十分だが奴らにも「ピン」から「キリ」までいるのでな。次のは中級編のようなものだ」

 彼女は洞窟を奥へ奥へと進む。そして立ち止まり、下を指差す。

「見ろ、黄色い斑点のあるドロドロしたのが下にへばり付いているだろう。ああいうのに先程の攻撃は効かない。やってみれば分かるが、そこらに飛び散るだけで他の奴らの迷惑だ。だから大抵こういう奴らには、このような呪符を使うといい」

 彼女はそれに呪符を投げつけ、

「『切除』!」

 と唱えた。爆音と共に「キィイイイ」と断末魔が響く。なんて耳障りな音だ、思わず耳を塞ぐ。

「やってみろ」

 彼女の視線の方向に目をやれば、もう一匹そこの壁に濃い紫色のドロドロの物体がへばりついている。彼女に呪符を渡され、それを投げて『切除』と唱える。爆音が響いて、「キイイイ」という断末魔。呆気無かったが、成功したのか?

 疑問に思って不安な表情で彼女を見れば、あちらはニヤリと笑って俺と目が合うと頷いた。どうやら成功したらしい。

「ここまで来ると言葉も無いな、よくやったよ」

「…あ、ありがと」

 まさか素直に褒められるなんて思いもしなかったので唖然とする。言葉が突っかかって出てこない。彼女は言う。

「と、言う訳でだ。これからは実戦練習に入る。内容はここで二週間合宿。以上」

「は? ちょっと待て「時間も無い。この四方八方を敵に囲まれた状態で二週間生き延びながら出口を探せ」

 俺の言い訳も途中で切られ、地獄のような二週間が始まった。

 彼女の方は、身を隠してどこかに行ってしまった。なんて無責任な奴なんだ。俺は腕時計を見る。ただいま八月一日午後三時四十三分三十秒…三十一秒…行動しないことには仕方が無いので、出口らしい方向に向けて歩き始めた。こういう時は、壁に手をつけて進むといいんだよな。そう思って壁を手で辿りながら進む。

 その数日後も、奴らを『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』で撃退しながら進む。例の黄色い斑点の奴は呪符がないので無視する。食べ物の方はマントのポケットから出てきたクラッカーやら乾パンやら栄養調整食品やらペットボトルのお茶で食いつないでいる。どこにこんなに入ったのか分からないが、取り敢えず感謝しておく。俺は食事が終ると昼も夜も構わず進んだ。最初の一週間は寝ていたものの、だんだんと奴らの数が増えて取り付かれやすくなってきたので安々と寝てもいられないのだ。

 後残り三日となった。時計から目を離し、壁に寄りかかって座る。どこまで来たのかも分からなくなってきたが、取り敢えずだんだんと奴らが強くなりつつある。太ももや脹脛に疲れが溜まってきたが諦められない。立ち上がり、ペットボトルのお茶を飲んで乾パンを食べる。俺はまた歩き始めた。しばらく歩いていくと、光の点が見えた。歩いていくたびにそれが大きくなる。出口か、と思った瞬間に目の前に奴らが現れた。数は二匹。俺はすかさず「『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』!」と叫んだ。閃光が走る。一匹がそれに当たり悲鳴をあげて消えた。もう一匹が上に飛んで、こちらに向かってきた。ぎりぎりまで引き寄せて叫ぶ。

「『闇に取り付かれた魂よ、闇路へ導かれたまえ』!」

 閃光が奴らの後頭部の辺りに当たって、「ギャアアア」という声が響く。出口まで走った。





 出口から出ると、眩しい太陽がきらりと光って目が眩み手で目を覆う。一瞬視界が真っ白になった後、徐々に目が慣れてきて手を目から離して周りを見渡す。一瞬の沈黙の後に俺が見たのは、都会の雑踏。あそこに行く前に俺が立っていた噴水の近くだった。確か、この辺りから黒マントが現れて俺は…どうなったのだろうか、思い出せない。

 ふと気がついて服装を見れば、黒いマントを着ていた。訳が分からない、そう思って家へと続く道を進む。マントのポケットに何気なく手を入れると、かさかさと音がする。それを掴んで取り出せば、紙だった。どうやら封筒らしい。ビリビリと封を切り、中の紙を取り出す。開いてその紙をみれば、何やら細く綺麗な文字で文章が書いてある。手紙らしい、しかも俺宛の。内容はこうだ。

「二週間ご苦労だったな、多分覚えていないだろうが。予定では一ヶ月の所だったが、それでは夏休みの宿題が出来ないと総長に言われたのでさっさと家に帰してやる。近々、また会える筈だろう」

 手紙の最後を見れば、差出人の名前だろう単語が書いてあった。一体何なのか理解できなかったのだが、取り敢えず家のドアを開けた。「ただいま」と、自分が家に帰ったことを告げて二階にある部屋に上がろうとした。が、

「ほら、親戚の子が来てるから挨拶していきなさいよ」

 母さんに強引に連れられて(引っ張られて)、リビングに向かう。目の前には、ブロンドの少女がいた。親戚の集まりでは見たことが無いが、見覚えのある顔だと少女の顔をまじまじと見て悩んでいた所、

「久しぶりだな」

「あ」



 思い出した。黒マントの、あの彼女だ。

「さあ、新たな仲間に乾杯!」

「乾杯!」

 母さんと少女が言った。状況が状況もあって脳内が混乱したが一つだけ確実に言える事がある。

 グルだったのか、こいつら。

 全く、何て奴らだろうと、呆れて溜息も出ない。寧ろ馬鹿馬鹿しい。しかし、やることも無いので仕方なく溜息をついて俺は乾杯の宴に加わった。







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高校1年の時に文芸コンクールに出した作品。