桜の季節、あの人を必ず思い出した。どうしても、あの人の事が頭から離れずにいる。そんな自分がたまらなく虚しくなって家を飛び出し、あの場所へと向かった。 あの人は、今どうしているのだろうか。気になるが、当然のごとく音信不通である。中学時代の友人…もとい初恋の人などと連絡など取れる筈は無い。もともと連絡先もろくに知らないのでは、まるで駄目だ。 桜がひらひらと一片舞った。 地下鉄に乗り、市バスに乗り継いで、また地下鉄に乗る。一番近い駅に降りて徒歩数分。そうしてようやく着いたのが、この公園だった。――故郷の公園、と言うと何だか懐かしい気もするが、ここには苦い思い出しかない。何故かとても胸が切なくなった。何年前だったろうか、あの人にここで出会ったのは。この、桜並木の美しい小道で… 突風が吹いてきた。 スカートがめくれ上がらないように手で押さえる。ただでさえ動きにくい制服の襞付きスカートは、履き慣れない者にとって拷問と言っていい程に苦痛だった。初めて履いた時など、足がスースーして寒かった。最低だ、スカートなど消えてしまえばいい。と何度思ったことか。何故こんな物を履かなければ為らないのか。日本の制服制度を恨みに恨んだ。その忌々しい制服を一刻も早く着替えるために、私はその公園を通って自宅に急いでいた。桜がうっとうしい程咲いていた。ひらひらと花弁が舞い上がり、顔にかかる。それを手でサッと払った。元々桜は嫌いだ。集団で群れて咲くのがどうも気に食わなかった。無性に腹が立って足を速める。その瞬間だった。丁度死角になっていた桜の木の陰から突如として人が飛び出してくる。避けられずに、その人と正面衝突してしまう。そして、後ろへしりもちをついた。どうやら相手の方も、しりもちをついたらしい。 「痛ってー!」「痛ッ!」見事に台詞が重なる。 「すいません」「ごめんなさい」と、また重なる。 ふと互いを見やれば、どうも同い年の異性らしいという事が解った。お互いに笑みがこぼれる。その日は、それで何事も無かった様に「さようなら」と言って普通に別れた。 次の日、学校に登校して行くとクラス全体が騒がしい。どうしたのかと近くにいた奴に聞いてみると、どうやらこのクラスに転入生が来るようだ。どうも女子の騒ぎようから見ると男らしい。どうやら“どこぞのアイドル歌手”の様だやら何やら。私の方は、その類の話にはめっぽう弱い。何ちゃらのグループの誰々君といわれてもピンと来ないのだ。男子の方は男と聞いて少しふてくされている様で、全体的にしらけている。私は話に夢中になっている友人たちの間をすり抜けて、自分の座席へと向かった。座席に鞄を置いて、教科書類を机の中に突っ込む。筆箱を机の上に置いた。用意をし終えたところで鐘が鳴る。と、同時に教師が入ってくる。 「今日は転入生がこのクラスに来るぞ」 女子のひそひそ声が大きくなる。囁き声でざわつく教室。「静かにしろよ」と、教師は一蹴する。教室が静まった。それを確認した後で教師は「入って来い、小沢!」と言って、ドアに向かって手招きをした。ガラガラと扉が開き、学ランを着た男子生徒が教室に入って来る。入ってきた瞬間息を呑んだ。クラスのほぼ全員が驚いていたが、私は別の意味で驚いた。偶然にしては出来すぎている。こんな事が有り得るのだろうか。いや、でも実際に起こっている。 昨日あの公園でぶつかった少年が、この教室の中にいる。 「小沢隆です。よろしくお願いします」 「小沢はあの一番後ろの席な」 「解りました」 小沢隆が席に移動する。女子の目線が彼に釘付けになった。どうやらクリーンヒットらしい。私は恐らく女子でただ一人、俯いて机を見つめていた。去年辺りに掘り込まれたらしい落書きが目に入る。ローマ字で人の名前が彫られていた。それをぼうっと見つめる。 「昨日の子?」ふと、小声で声をかけられた。周りに配慮しての事らしい。その質問にコクリと頷く。隆は満足げに微笑んだ。 「昨日さ、俺あの桜に見とれてたんだ。で、帰ろうと思って急いで角を曲がったら…君にぶつかった、って訳。…悪かったな」 「いや、いいよ。別に…昨日謝ってくれたし」机に頬杖をつき、そっけなく答える。いつもの癖だった。 「次は国語だぞー、ちゃんと準備しとけよー」 そう言い残して担任の教師が立ち去る。私は上の空だった。そして『小沢隆』は毎時間、放課になると話しかけてきた。何故かは解らないが、無視する訳にもいかないので相手になってやる。意外と奴の話題は豊富だった。聞いていて飽きない。男友達作れよ、そう思って口に出そうとして…やめた。面倒臭い…という理由もあった。だが、それ以上に自分自身どこかでコイツの話を楽しんでいる面もあったからだ。そんな訳で、奴の話を真剣に聞いている。勿論、そんな素振りは一瞬たりとも見せない。そんな事をすれば、自分のプライドに傷を負う羽目になる。そんな真似だけはしたくなかった。噂の転校生と話していると言う事もあり、女子からの視線はそこそこあったが私自身男っぽいらしいので、あまり気にされていないらしい。こんな顔を今まで恨めしく思っていたが、この時だけ…男顔は得だと思った。 帰り道。家が近いという事もあり、結局奴と一緒に帰る事になった。あまり周りには冷たい目で見られなかった。寧ろ周りはこの状態を楽しんでいる様にも見えた。なぜか解らないが、それはそれでまあいいと思う。私自身、何故か解らないが幸せな気分だった。隆が口を開く。 「一目惚れってさ、信じるか?」唐突過ぎて言葉が喉につかえた。いきなり何を言い出すのだ、こいつは。 「はぁ…」間抜けな声が口から出た。 「いや、何となく気になっただけ」 「あぁ、そう」一体何なのか、その時の私には理解できなかった。 それから毎日、奴と話し続けた。その話の中で、奴には妹と兄が一人ずつ居る事が解った。…五人家族らしい。そして奴がかなりの話上手だと解った。私が人見知りなせいか、少し奴が羨ましかった。どうせ私は口下手ですよ。心の奥底で呟く。それから自然と奴と一緒に居る事が多くなった。それに伴い、周りの視線が期待と好奇心で輝いてくる。正直、嫌だと思った。けれども私は奴と一緒に居るだけで心が落ち着いた。 「もうじき卒業だな」 「もうそんな時期か…早いな」 桜の蕾も徐々に膨らみ始め、春の訪れを告げていた。およそ一年前、奴が転入してきてから桜の花が少しだけ好きになれた。あまり好きじゃなかった筈だった、けれども… 「そうだな」奴が言った。…コイツのお陰なのかもしれなかった。なぜか少し、悔しかった。何故か負けたような気がして、胸にどっと敗北感が押し寄せて来る。悔しい。 桜は、まだ咲いていない。 卒業式、そう…これでもう奴に会うことも無い。ふと、そう思った。胸の奥が、じわりと痛む。奴は違う県の高校に行くらしい。全く、何を考えているんだ。アイツは。私は、制服を整えて家を出た。玄関前にアイツが立っていた。 「おはよう」 「…おはよう」奴が挨拶なんぞしてきたもんだから、返してやる。それより今は、 「何故、此処にいる?」これが気になって仕方が無かった。奴は此処に居て当然だとでも言う様に、言った。 「ああ、何となく最後だからな。お姫様のエスコートとでも思っとけよ」 「ぬかせ、この野郎」冗談言って笑いあうのも、これが最後だと思うと無性に悲しかった。横に並び学校に向かって両者無言で歩きだす。…沈黙を破ったのは奴のほうだった。 「いやあ、ホント最後だな。こういうの」 「あー、まあね」適当にさらりと答える。けれども頭の中では、今この瞬間この時間を失いたくないと思っていた。この時が止まってしまえばいい。と、奴と話している最中に何度も何度も繰り返し感じる。奴と離れる事を体全体が拒否しているように思えた。忌々しい感情だと、取り払ってやりたいとそう感じながら、奴と話を続けていた。離れたくない、離れられない。そんな感情が渦を巻いて脳内を駆け巡る。私は病気にでも繋っているに違いない。そう、感じた。 校門に着いた所で、造花のブローチを胸につけられた。桜色の花弁が可愛らしい。 「おめでとうございます」後輩が言った。「ありがとう」と、素直に受け取る。にこりと笑ってやると後輩が顔を赤らめた。教室まで奴とまた並んで歩く。隣のクラスの教師が袴を履いているのが見えた。 「馬子にも晴れ着…だったか?」奴が言う。 「いや、『晴れ着』じゃなくて『衣装』」 「そうだったっけ?」アハハハと奴が笑って誤魔化す。その一つ一つの仕草が今更になって愛しく感じられた。そうか。私は、やっと自覚したらしい。そう、今更になって……いや、今更じゃない。私はもっと前から気づいていた筈だ。ただ気づくのを躊躇していただけ。馬鹿みたいだ、と自己嫌悪に陥る。 「ほら、何ボケッと突っ立ってんだよ。教室行ってから体育館に移動だろ?」 「ああ、ごめん」声をかけられて、自己嫌悪から目覚める。 ――『一目惚れってさ、信じるか?』 奴の言った言葉が脳裏を掠めた。私は、コイツに一目惚れしていたのだろうか。 今となっては解らなくなった。だが…… 「卒業生が入場します。一組」 まるでテレビのニュースキャスターが喋る様に自然と耳に馴染んでくる声だった。一組の生徒が入場する。二年生の拍手の音が聞えてきた。カメラのフラッシュが光る。しばらくしてそれらも収まる。 「二組」 また声がした。先頭の人が動き出す。私も、勿論その後ろにいる人達もそれに続いた。同じく拍手の音が聞こえ、フラッシュが光った。席の前まで行き、着席する。拍手が収まる。 「三組」 以後も、同じ事が続いた。拍手とフラッシュ音。座っていて疲れる、そう思った。それから校長、PTA会長、地域の代表の人が順に話し、そして壇上から降りていく。卒業証書の授与が終る。在校生が、蛍の光を歌った。感動はしなかった。何故かは解らないが、周りの女子は泣いていた。しきりに肩が上下している。 卒業式はあっけなく終った。 帰りに一緒に帰ろうかと思って奴の姿を探した。三十分粘ってみたが、結局見つけられずあの桜並木の公園に向かう。そこになら、居る様な気がした。そう思うと自然と足取りも速くなる。しばらく走った。桜色の花弁が見えてきた。加速して、またしばらく走る。案の定、奴はそこに居た。だが、一人では無かった。見知らぬ男と女と一緒だった。両親だろうか、そんな事を思う。歩調を少し緩めた。会話が聞こえてくる。気付かれないように、そっと木の陰に隠れた。盗み聞きはいけないなどと思いつつ耳を傾ける。 「覚悟は決まったのね、隆くん」女の声が言う。 「うん」 「本当にいいんだな」男の声が言う。 「うん」 「アメリカなんて遠い所、一人で行くのよ?」 「構わないよ」 凛とした声だった。迷いは感じられなかった。 私は苦虫を噛んだ様な気分になった。…あいつは私を置いて行くのだ。そう思うと無性に気が沈む。先程までの清々しかった高揚感は消えた。思わず歯軋りが漏れた。悔しかった。ただ、単純に、何も言われずに置いていかれてしまう事が悔しかったのだ。そして私はそのまま引き返した。引き返して、違う道から家に帰った。家に着いても「ただいま」とも言わず自室に入りバタンとドアを閉めた。鍵もかけた。ドアの前でしゃがみこんで泣いた。……悔しい、悔しい、悔しい悔しいくやいしいくやしいくやしい…! 涙が頬を伝う。 風に吹かれて涙の後がひんやりとした。いつの間にか泣いていたようだ。私は、桜を見上げて思う。あの時以来伸ばしていた髪が、風に吹かれて揺れた。最初に言ったことを訂正しよう。思い返せば『苦い思い出』ばかり此処にあった訳ではない。ただ人間の記憶と言うものはあまりにも曖昧で、嫌な事があれば大体の場合自然とトラウマになる。私の場合もそれだったのかもしれない。そのパターンに易々と嵌ってしまっていたのかもしれない。本当に馬鹿だ、私は。セメントで固められた川の流れに身を任せて流れていく桜の花弁が目に留まった。私もああなれたらいいのに、そう思う。精一杯美しく咲き誇り、そしてそれが終れば潔く散っていく。 川を挟んだ向こうの道に、見慣れた影が手を振って私の名を呼んでいた。 (桜並木の木の下で) ひらひらと一枚、花弁が舞う。 僕はそれをぼんやりと眺めながら通学路を進む。僕の家から学校までは徒歩十分。家から近いことで選んだこの高校とも、あと少しで別れることとなった。そう思うと少し哀しくもなるが、新しい世界がまた広がっていくと思うとそれでもいいかな、という気分にもなる。そう、僕は卒業するのだ。卒業して、まあ取り合えず大学に行くつもりだ。夢はまだ無い。 センター試験も終わり、何となく受かったような受かってないような不安な気持ちに駆られながらも、取り合えず試験が終わってすっきりした気分になる。そして結果も来た。結果は取り合えず合格らしい。 何事も終わってしまえば楽なものだ。僕は、のそのそと一歩ずつ歩を進めながら桜の木を見上げる。 ここは、ちょっと有名な桜並木がある場所だ。 今僕が見上げた桜も、その桜並木の一部である。 今年は地球温暖化か何かの原因で、桜の開花時期が早かった。そんな訳で、普段は入学式過ぎごろに満開になる桜もまだ二月の半ばだというのに満開だった。気持ちのいいくらいに満開で、既に散り始めているものもある。 気が早い、と呑気な僕は考える。試験前になってもならなくても特に普段の生活と変わりはないし、勉強時間も全く変わりは無い。小学生のときから全く変わらないのじゃないだろうか、としばしば考えることすらある。だから僕は試験前に焦る学生たちの気持ちがまったくと言っていいほど解らない。別に実力を測るものなのだからそんなに焦って勉強しなくてもいいじゃないか。というか、そんなに勉強して何が楽しいのか、僕にとっては全く理解できない。自分に興味のあることを少々覚えておけばいいと思うのだが、どうやら僕以外の学生たちはそうは思っていないらしい。人よりもいいところを、人よりも上を目指している。天は人の上に人を作らず、なんて言葉があったけれど、それは間違っている。世の中間違いだらけだ。頭の作りも間違いだらけだ。凡才は天才に劣るし、秀才も天才に劣る。それに結局の所、国を統治している政治家達は頭が良くて狡賢い奴が多いし、不正疑惑だらけだ。全くもって間違っている。全てにおいて間違っている。 話が変わるが僕の生まれは北海道で、その後この付近に引っ越してきた訳だが、やはり気温の差は不気味だ。いや、不思議だ。北海道は雪も多かったが、ここは雪も降らないのに寒い。嫌な乾燥した空気が頬に当たって妙な感じだった。だが、それも去年までのことで、今年はと言うと桜が咲いている。なんとも不思議で奇妙だ。珍妙である。 ひらひらと二枚、花弁が舞う。 目の前を、見知った黒髪が通り過ぎた。 「あ、おはよ」声をかけてみる。黒髪も気付いたようで、「元気そうだな、小沢純也」と挨拶を返してきた。 「桜、散りはじめてるね」 「異常気象だからな」 「僕ら卒業するまでになくなると思うんだよ、花びら」 「どうだか」 「やっぱり、クズさんは喋り方がいいね」 彼女の名前は、葛貫伊佐美。通称クズさんは「ん、そうか?」と長い黒髪を少し揺らして首を傾げた。 「そんな事はあまり言われないな」 「そうかな、僕はいつも思うけどね」 「それはお前の都合だ、他人とは関係ない」 「そっかぁ、それもそうかもね」 クズさんは、僕のその答えを聞いて苦笑した。と、後ろから「いさみん!」と、クズさんの数少ない友人の一人である遠野桜子が現れる。こいつは神出鬼没だ。右を歩いていたかと思えば左にいて左にいたかと思えば右に移動している。そんな奴だ。 とにかく、変わった奴である。というよりも、クズさんの近くにいる連中はみんな変わっている。と、そんな事を言ってしまうと、僕まで変な奴のようになってしまうのでやめよう。 「いさみん、ちょっとちょっと、もうじき卒業なんだって! 吃驚したですよ」 相変わらず日本語がおかしい遠野。慣れてしまったのか、気にしていない様子で返答するクズさん。 「気付くのが遅いぞ、桜子」 「そんなことないのです。いさみんが気付くの早いだけだって! じっちゃんも何か反論してくださいね」 「僕に振られても困るよ―」 「はう、じっちゃんまで…いさみん、君は…君と言う奴は…」 いつもの遠野の呟き――と書いて独り言と読む――が始まった。この展開はいつも通りなので、僕はそれほど気にも留めずに事の成り行きをのんびりと眺めた。筋書き通りに行くと、この後は必ず、遠野が一人合点して意味不明な言葉を呟きだす。それから三十秒もすれば校門前だ。 遠野が、立ち止まった。ほら、始まる。 「そうだね! そうにちがいないのですよ! そうなのです! やっぱりシンクロナイズドスイミングは心がシンクロしてないと駄目なのです! みんなの心が一つになってこそシンクロが成功するのですよ!!」 ああ。今回はシンクロについてだ。と僕は呑気に考える。確か前回は武器についてだった。何の脈絡も無い。 この愉快な遠野がいなくなると僕の周りはさぞかし静かだろう、と考えて何だかありえないような気分になった。不思議だ。やはり日常的に変な奴の存在は消えないものだと脳が勝手に判断しているのだろうか。 謎である。全くもって謎である。 そんな訳で、あっという間に学校に着き、遠野は元に戻る。クズさんが口を開く。 「何か、忘れているような気がする」 「ああ! 解ったですよ、それ。数学の宿題だって! きっとそうだよ。私が昨日必死こいてやったのですよ!」 「僕も昨日やった」 「いや、」クズさんは否定した。「何か、重大な…」 そして考え込む。 「あ、解ったです。今日は私の誕生日です! 祝って、いさみん!!」 知らなかった。遠野は今日が誕生日なのか…いや、どうでもいいんだけれども。下駄箱から上履きを出す。 「…そうか、まあそういうことにしておこう」 あ、ちょっとめんどくさくなったんだ。と解りやすいクズさんは遠野に一言「おめでとう」と言った。 僕は上履きをはきながら黒の運動靴を下駄箱にしまう。僕も遠野に「オメデトウ」と言った。 遠野は片手で頭を掻いて、少し嬉しそうにしていた。それから、ふと、何か思い出したように問いかけてくる。 「そういや、二人とも何処の大学なのですか?」 僕と、クズさんは見事にハモる。 「F大だよ」 「F大だ」 クズさん一緒なんだ…とか僕が思っていると、更に追い討ちをかけるように遠野が口を開いた。 「なあんだ、みんな一緒じゃないですか!」 「ってことは、遠野もF大?」 「おお、大当たりですね! みんなで一緒に講義受けられますね! ひゃっほう!」 結局殆どこのメンバ―で高校生活話してきたようなものなので大学生になってもそれは変わらないんだろうなとか、また呑気に考えてみたりして。奇跡的に二年で全員文科系を選んだ僕達はやはり高校三年間、奇蹟的にクラスも一緒でこれだけ奇蹟が重なったらもうそれは必然的に起こっているような気分にもなる訳で。 「かわりばえ、ゼロだな」 「仰るとおりだよ、クズさん」 「そ―だね、また宜しく!」 遠野が、さぞかし嬉しそうに、また笑った。 僕たちの、腐れ縁は切れそうも無い。 桜がひらひらと、三枚舞った。 (桜吹雪の舞う中で)主人公の苗字が小沢で、前回主人公らの子供です。そんな設定(わけ)で『桜並木の木の下で』の続編。恥ずかしいなあ! 書いたのは高校入った直後ですかね。しかもこの時、時間が無かったので短くはしょったようで、残念さが際立ちます。普通科の高校生の卒業をテーマに書いたものらしく、これまた残念さが(以下略 どこかで猫が鳴いていた。 一匹か、いや、二匹だ。 その声を聞きながら、俺は木の上でうとうととうたた寝をしていた。だが完全に寝付けることはまずない。 ガキ共が、ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が聞こえる。全くもって迷惑千万な奴らだ。ゆっくりと昼寝も出来やしないじゃないか。 本当に迷惑極まりないもう少し礼儀作法を何とかしろと不満を抱きながら、木の上で伸びをする。欠伸もする。 俺は昼間大抵こうして木の上でのんびりとしているが、朝は町内の徘徊や自分の縄張りに誰か入り込んでる奴がいないかどうかを確かめている。たくさんある仕事のうちの一つだ。なんてことはない日常の風景。 それにしても、ここから見下ろした眺めは最高に良い。人がごみのようだ。―――いや、少し言い過ぎたか。人がアリのようだ。そう変わらないように思うかもしれないが、普段人間から見下ろされる立場の俺にとってはここからの眺めは至極気持ちのいいものだった。 もうそろそろ帰ろうかと、ひょいと木から飛び降りた。見事着地し、歩き出す。 早咲きの桜はもう満開だ。 俺の名前はローラシア。自分で言うのもアレだが、血統書付きの血筋の良い黒猫だ。 暫く前から、この付近の近隣住民である大学生の男の下にペットとして飼われてやっている。大学生といってもそれほど貧乏でもなければ金持ちでもない、ごく普通の平凡な大学生だ。しかし、エサの品質は良い。俺がペットショップにいた頃よりも美味い。どうやら自分で材料を買ってきてキッチンで俺のエサを作っているようだ。――ついでに言っておくが市販のキャットフードじゃない。奴の家から出たゴミを確認したが、キャットフードの「キャ」の字も見つからなかった。――そんな訳で暫く奴を観察していた所、どうも自分で俺のエサを作っているんじゃないかと俺は踏んだ。しかも俺が猫舌だということもきちんとわきまえているらしく、大抵ヤツはエサを少し冷ましてから持って来る。かなり気のきいた奴だと我ながら思う。 「ロ―、ロ―」 どうやら俺の主人が大学から帰ってきたらしい。俺の名を略して呼ぶ声が聞こえる。 「ほう、ここがお前の部屋か」 「そうそう、この黒猫がロ―」 どうやら別の人間を連れてきたようだ。 ソイツは頭髪が長く、能面のような無表情な顔をしている。まるで陶器のようなその白い肌は、日本人形を思わせた。酷く愛想のない奴だな、と思いながら入ってきたソイツを見ていると頭を撫でられた。取り合えず、悪い奴ではないようだ。しかしよく考えてみれば、あの主人の友人である奴に悪い奴などいない。根拠があるわけじゃないが、これは猫の勘だ。まあ、全く根拠が無いわけでもなく俺がここに来てから、特にこれといって奇抜な友人を連れてきたためしがこの主人にはない事もその理由の家の一つだ。取り合えず情報はそれだけだが、きっと俺の主人には厄除けの神っぽいのが憑いているんだぜ。―――多分。 「本当に漆黒だな」 「でしょ、クズさんもそう言ってくれると思った」 「毛並みも良い」 「ああ。何か、良い猫だって言ってた」 ほら、あそこのペットショップにいる店員さんが。と俺の主人は言う。 「そうか」来客者は、暫く椅子の上の俺を見て頷いた。「確かに良いとこのボンボンに近いな」 「だってさ。どう思うよ、ロー」 主人がリビングの机越しにこちらを向く。俺は肯定の意味を込めて「ニャア」と鳴いた。 「肯定したな」 「まあ、プライドの高い奴だからね」 俺の主人は紅茶を啜る。「そんでもって、潔癖症」 だから、クズさんがさっき触って引っかかれなかったのも奇跡に近いんだよ、と飼い主は言う。 「気の会う奴だと感じたのかもな」 「どうだかね」 「ニャア」と、俺はまた肯定する。 「クズさんのことは大丈夫なんだ、僕なんて最初散々だったのに」 主人は嘆くように僕を睨んだ。しかし迫力は皆無だ。 フッと、『クズさん』と呼ばれる人間が頼りない飼い主を鼻で笑い、こちらを向いて話しかけてきた。 「良かったな、飼い主に似なくてお前は頭が良い」 「ニャア」 「おい、ロー、そんでもってクズさんまで! ―――全く、冗談が過ぎるよ」 ばん、と机を叩きながら立ち上がった俺の主人は、はあ、と溜息をつきながらまた席に着いた。 「そういえばさ、」俺の主人は、頬杖をつきながら言う。「入学式、短かったよね」 「そうだな」クズさんは、俺の頭を撫でながら言う。 「校長の話が『入学おめでとう、頑張れよ。以上!』で終わったうえ、祝辞も一人三十秒もなかったからな」 「そうなんだ、さすがはF大の生徒主義。生徒が家に早く帰りたいと言う気持ちを良くわかってるよ」 「そうだな」 クズさんは頷く。 「校長も昔、校長の話を聞きながら早く帰りたいと思った。――まあ、そんな理由じゃないのか」 「う―ん、そうかも」 「推測だがな」 「まあね」 そこで一拍おいてから、主人は紅茶のカップを持ち上げる。そして一口飲んで、続ける。 「クズさんって、どの講義取るつもり?」 「決めていないが取り合えずフランス語あたりが妥当だな」 「そっか、僕は簡単そうだから中国語にする予定だよ」 「そうか、小沢らしいな」 クズさんはそこで、くすりと笑う。 「まあね」 俺の主人は得意そうに微笑んだ。「ニャア」と俺はまた、鳴く。 「遠野はさっそく出来たらしい友人と遊びに行くらしいぞ」 おもむろに、クズさんは話す。俺の主人も続けて話す。「まあ、遠野は社交性があるから」 「違いないな」そして、くくくと小さく笑う。 俺は『遠野』などと言う人物は知らないが、そいつも多分良い奴なのだろうとあたりをつける。俺の主人曰く、「協調性もあるし、性格も明るいし、裏表がない」様な奴だそうだが、俺には良くわからない。どちらにせよ、どうせ俺には関係のないことなので、まあ何とかなる筈だろうということにしてそのまま放置しておこう。 話は戻る。 俺の主人の先程の意見に対して、「違いないな」と、また同じ返事をしてクズさんが笑った。 「ニャア」俺が鳴くと、クズさんは「お前も遠野に会いたいのか」と問いかけてきた。 「ニャア」ともう一度鳴く。クズさんはそうかと頷いた。 「じゃあ、今度は遠野も呼んで三人でお茶会か?」 俺の主人はけらけらと笑っていった。 「ニャア」 「そうだな」クズさんはニヤリとする。「それもいい」 「じゃ、決まりの方向で」 桜がひらひらと舞った。 窓から覗く桃色の絨毯が美しかった。 「それじゃ、また来るといいよクズさん」 「ニャア」 「まあ、そうする」クズさんはそこで少し間をおく。「ことにする」 「じゃ、また明日」 「明日、な」 クズさんはそう言って俺の居候するマンションのドアを開けた。 俺は俺の主人の傍らに座って尾をのそのそと振りながらその様子を見る。 クズさんの綺麗な黒い髪が、春風にふわりと揺れた。 「じゃあな、ロー」 「ニャア」 俺はクズさんが帰った後、窓辺に座って桜並木を眺める。その左を見れば、川が流れている。 コンクリートで固められてしまった、かわいそうな川だ。気の毒に思う。その川に桜の花弁がゆらゆらと漂っていた。 春の日差しが、差し込んできた。 春の兆しは、もう現れはじめている。 (桜坂見る木の上で)桜シリーズ第三弾。完結。猫が主人公っていうのは血迷った。 |