今日もまた。昨日と同じような毎日。
   盗みを犯し、自らの命を繋いでいく日々。
   どうしようもなく、あてもなく盗み。
   自分のみを守るためだけに、食料を確保する。





 行商人たちの行き交う中で、僕は青いタイル張りの、その道の角にあるパン屋に狙いを定めた。物陰からそのパン屋を見る。フランスパンがいい感じに入り口付近に置いてある。店主が入り口から目を逸らした一瞬を見逃さずに僕は走り出した。パン屋から長いフランスパンを素早く一斤頂戴する。後ろから、店主の怒声が聞こえてくるが、無視して全速力で走る。
 捕まっている暇など無い、立ち止まっている暇など無い。
 話し声、そして銃声。悲鳴、そして笑い声。
 そんな混乱が四六時中あるようなこんな不安定で最悪な治安のこの場所。だからこそ、生き延びるのが難しく食料も手に入りにくく、僕のような子供が生き残る為には、もう、この方法しか手段は無かった。


 僕は孤児だ。だからといって、別に同情して欲しい訳ではない。
 両親は僕が生まれて暫くしてから他界した。母さんが死んだのは確か三・四歳ごろの事だったと思う。母さんはその当時に流行っていた病で倒れた。病院に運ばれたのも虚しく、手遅れだと言われて、そのまま。父さんは僕が5歳になってすぐ、突如家に乗り込んできた強盗に刺し殺された。悲惨な最期だった。何箇所も、何箇所もナイフで刺され、地面に膝をついて崩れ落ちた。僕は、ベッドの下からその光景を震えながら眺めていた。声を出したら殺される。両手で口を押さえながら、こみ上げてくる吐き気を我慢して、目の前の状況をなるべく見ないように。床に流れて、飛び散っている赤い液体を見ないように、目を硬く瞑った。恐ろしくて、怖かった。ただ、その感情の記憶だけが鮮明だった。
 事件の当時の記憶はそこで飛び、気付けばこうなってしまっていた。


『盗人』


 響きも悪い上に聞こえも悪い、最低最悪の僕の職業だ。
 しかし、こうするしか道はなかった。
 他に親戚がいなかったというのもある。養子に貰ってくれそうな裕福な家庭がなかったこともある。もっとも、養子に入るなら女に生まれていた方がかなり特であったことだと思う。だがしかし、それ以上に、これまでの生活に幼いながらも嫌気がさしていたのだ。外出はよほどのことがない限り禁止され、一歩でも外に出ようものなら母さんが血相を変えて怒鳴り散らす。父さんも怒鳴る。確かに、その当時は「なぜ自分は外に出てはいけないのか」とばかり疑問に思っていたが、この年まで成長して初めて両親の気持ちが理解できた。確かに、ここは危険だ。
 けれども、自分は外の世界に憧れていた。少なくとも、当時かなりの興味をそそられたことは言うまでもなく、いつかあそこに行くことを夢見ていたくらいだ。今、現実は違ったということを思い知りながらも、当時の夢は叶ったなという思いが脳裏をよぎった。こんな夢なら、叶わなければ良かったと思うが、もう叶ってしまったので何を言っても無駄である。悪あがきは趣味じゃないうえに格好が付かないので、僕はやらないことと決めている。勿論、命乞いも同じだ。
 だから、僕はこの外の世界で一生生き抜くことを決めた。そして、ただひたすら逃げることも同時に覚悟した。


 パンを持ちながら走る僕の目の前を、人の行列が通り過ぎていく。ぞろぞろ、ぞろぞろと。
 それをぼんやりと眺めながら、それが『商品』という名の人を連れて歩いている集団だということが分かった。『商品』と、兵士の違いなら歴然で、『商品』たちは白い布の切れ端のような薄汚い服のようなものを纏い、それを連れた兵士たちは立派な鎧と刀に身を守られ、かなり立派ないでたちをしている。
 要するに、これは人身売買された人たちが兵士によりこれから闇市で売り飛ばされるぞ、という残酷な現場である。道行く人たちの中には、目を伏せたり、『商品』を指差して何やら話している人がいた。
 僕はこんな制度は苦手だ。見るのも勿論、聞くことさえも苦手だ。しかし僕はそこから、なかなか目が離せなかった。
 女の子がいた。
 黒い、闇のように黒い髪と、白い、まるで光のように白い肌。育ちがいいのだろうか、背筋も伸びている上にしゃんとして歩いている。着ている物は他の『商品』たちと変わらない、薄汚い布のような服。けれども、それでもなにか。彼女にはオーラのような光があった。…それが僕だけではなく他の人にも見えたのだろうか、横を見れば他の通行人も彼女のことをまじまじと眺めている。
 そして何よりも、今まで見たどの女の人よりも美しかった。まるで、歴史上の三大美女に彼女が登録されて四大美女になってしまうのではないだろうか、と思わせるほどに。それほどに彼女は綺麗で、華奢で、華麗だった。心底見惚れてしまうほどに。世界中の男を虜にするほどに。
 しかし女の子は、その美貌を生かそうともせず、俯いていた。悲しそうだった。…それもそうだろう。自分は今から『商品』にされてしまうという絶望。そんな崖っぷちの状態に彼女はいるのだ。悲しくもなる。
 彼女は一瞬こちらを向いて、儚げに微笑んだ。
 助けを求めたのかもしれない。自分に似たような年頃の泥棒男を見て、自由でいいなと思ったのかもしれない。しかし、僕には生憎だが読心術も読唇術も使えないので彼女が本当に言いたいことは分からなかったが、取り敢えず僕に何か訴えてきたことは確かだった。少しそちらに近寄って彼女を見る。兵士の会話が聞こえてきた。


「いや、あの女、今回の最高値間違いねえな」
「いくらになるか、掛けてみるってのはどうだ」
「そりゃあいい。金額を予想して近い方が勝ちだ」
「お、そりゃ名案じゃねえか。乗った!」


 チッと僕は内心舌打ちをした。女の子一人助けられない無力な僕が非力で矮小な人間に思えてきた。悔しい。胸が苦しい。ああ、彼女を助けられることが出来たら、どれだけ幸せだろう。目頭が、熱くなってきた。
「これを」
 差し出された真っ白な美しい指をよく見ると、そこには蒼い綺麗な石の付いたネックレスがあった。蚊の鳴くように小さな、しかし美しい凛とした声で彼女は言った。
「これを、貴方にもっていて欲しい」
 僕はそれを躊躇うことなく受け取って、首から掛けて服の中に隠した。そうでもしないと、誰か他の泥棒に奪われてしまう。僕は、それのお礼にと彼女にパンを千切ってあげた。彼女はおいしそうにそれを頬張る。ふわりと笑った彼女を見て、僕も釣られて微笑んだ。
 微笑んだ、なんて何年ぶりだろう。僕はもう何年も笑ってはいなかった。いつも、命を狙われて明日の生命も確実ではない。そんなこの街で、笑うなんてことはほとんどない。嗤っても、嘲笑うことがいくらあったとしても、心の底から、善意で笑うなんてのはなかった。まったくと言っていいほどになかった。しかし、今回は違う。心の底から、ただ、彼女の為だけに微笑んだ。
「ああ、大切にするよ」
 僕は、そういうと兵士の目を避けて、「君を助けに行く」と言って走った。
 準備をしなければいけない。彼女を助ける為の。






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続き…ません!!見てのとおりポル*ノグラフィ*ティのカ●マの坂をもじって話を作ってます。