――春。
 色々なものたちが冬の寒さから開放され、麗らかな陽光を浴びて怠惰にその陽気に酔う季節。
 それはまた、始まりの季節でもあり、終わりを迎える季節でもあった。
 しかしその女性は、その麗らかな陽気とは正反対の凍える冬のような寒気のような空気を身に纏っていた。
 と、言っても死んで幽霊になっているという訳ではない。
 

 彼女の名前は、宇佐美風香。
 国立大学に通う、普通の女子大生だ。特に秀でた特技は無く、かといって無能と言うわけでもない。寧ろ全てにおいて有能すぎたせいで、これと言って何が得意であるかが曖昧になっているだけだからである。
 その日、彼女は一本の樹齢千年ほどあると思われるような太い幹の桜の木の前に立っていた。
 しかし、その桜は既に花弁を散らせてしまったらしく、その花を咲かせてはいない。
 「――これが、あの桜か」
 彼女は、その公園で枝だけになった桜の木を見上げながら眺めた。
 当時、美しい花で周りを魅了していたこの桜の面影は、もう既には無い。
 そして彼女は瞼を閉じる。






 「風香ちゃん、風香ちゃん」
 黒い髪を肩の長さに切りそろえ新しい灰色の生地に黒のタータンチェックの入ったブレザーを着た一人の少女が、『風香』と呼ばれたもう一人の同じ制服の少女に駆け寄っていく。
 「何よ、五月蝿いわね」
 風香は今まで歩き続けていた足を止めて少女を一蹴し、何か用でもあるの、と続けた。
 少女は、わたわたと慌てながら「大変なんだよー、風香ちゃんしか頼めなくて……」と今にも泣きそうな顔である。風香は溜息をついた。何故私にしか頼めない厄介なことばかりに首を突っ込むのだろうか、この少女は。ああ、またこのパターンだ。自分で首を突っ込んだなら最後まで自分で何とかしろと思うのだが、いかんせんこの幼馴染である少女にはまだ学習能力というものが残念なことに無いようだった。よって、とばっちりは全てと言っていいほどに風香のもとに来る。
 「実はね、風香ちゃん」少女はおどおどしながら言う。「えっと、顔貸してしてほしいんだけど」
 「は?」
 「だから、この人に私の代わりに会ってほしいの! ――それじゃ、またね」
 そう言って、少女は写真を一枚風香に無理矢理押し付けて嵐のように去っていった。
 引き止めようとして腕を伸ばしたが、少女の逃げ足のほうが速かった。伸ばした腕が虚空を掴む。
 私は彼女を引きとめようとするのを諦めて、彼女が私に無理矢理押し付けていった写真を見た。
 写真には男だか女だか少し判別が難しいが多分男であろうと言う人物がVサインをして写っていた。最近、巷でよく見かける髪形をしている。写真は最近何処かで撮ったものだろうと、風香は思考を廻らせた。背景に写っているのはどうやら何処かの公園のようだ。いや、風香が今いる公園のように見える。裏には殴り書きで、こう書いてあった。


  待ち合わせ:公園の桜
  日時:4月2日(日)
  時間:午前10時


 ――厄介なことに巻き込まれてしまった。
 4月2日というのは、明後日のことだ。今日は学校の帰りなので少女は押し付けるだけ厄介なことを押し付けておいて風香を置いて帰って行ってしまったことになる。まったくもって、無責任な奴だ。
 一体あの子は何を考えているのだろうか、そして何故そうまでしてこの男に会いたくないのか。そして会いたくないならば、なぜ変な約束をしてしまったのだろうか、その理由について風香は全く理解できなかった。
 「全く、厄介なことばかりあの子は持ち込んでくるんだから」
 風香は、諦め混じりに溜息をついた。彼女は頼まれた事は断れない律儀な性格なのである。だから大抵の場合、被害を被るのは風香自身なのだ。厄介なのはこの性格だ、と風香は自分の性格を呪った。
 「それにしても、この人。……どこかで見た事があるような気がするな」
 どこだったか、と風香は考える。


 土曜日、風香は少女――内海瑠菜に電話をかけることにした。時刻は今午前11時を回った所で、きっとあの朝寝坊の内海も起きている筈だった。その筈だったのだが、こともあろうか全く電話が通じない。携帯電話という電話文明の最新機器にもかけてみたが、通じはしなかった。要するに電源を切っているか電車移動中なのだ。このまま連絡が取れないとなると、風香は一体この写真の男が何者であるかどうか全く理解できぬままに、この男に会わなければいけないということになってしまう。
 何か情報を仕入れようかと思いながら、ニュースを聞こうと思いテレビを何気なくつける。そしてデスクトップのパーソナルコンピュータを起動する。ウィーン、という機械音。パソコンの画面は起動中の画面に切り替わり徐々に体内の装置を動かしていこうとしていた。動作が遅いので、寒いので動きたくないとパソコンが言っている様に思えてくる。私みたいだ、と風香は思う。朝布団から抜け出せない時などは、私もこんな感じなんだろう。のろのろと目覚ましを止めてのろのろと起き上がり学校に行く支度をする。機械なのにまるで意思があるみたいで、少しパソコンに親近感が湧いた。
 先ほどまでコマーシャル音が流れていたテレビから、ニュース番組が始まるときのテーマ曲が流れる。それに続いて「こんにちは、お昼のニュースを放送します」という女性ニュースキャスターの明朗な声が響く。早口で捲し立てていく彼女たちの話は、聞いている分には飽きが来ない。しかしまあよくもあんなに早口で話していて台詞を噛む事が少ないのか、多分普段からひたすら文章を読む練習をしているのだろうな、と風香は彼女らを尊敬した。まあしかしそれは記事を読むことに関してのみ尊敬しただけであり、特にニュースキャスターの性格的なものは彼女の苦手な部類に入るものだった。ニュースキャスターは新聞の記事を読むためだけの存在であって特に目立つ必要は無いというのが風香の根本的な理念であるので、バラエティ番組に出てヘマをしている彼女たちを見ると、なんとも居た堪れない気持ちになるのだ。それならば、ニュースキャスターではなく、芸能人であろう。何故彼女らはニュースキャスターと名乗りたがるのだろうか。それはきっとニュースキャスターにならない限り一生かかっても分からないことだと、風香は思考を止めた。
 そうこうしているうちにパソコンの準備が整ったようだ。風香は携帯電話などという面倒くさいものは持ち歩かない主義なので、そんなものは持っていない。よって、私が出歩いている際に連絡は取れないのである。私は内海に教えてもらった彼女のブログと呼ばれるWeb上にある日記を覗いてみた。何か分かるかもしれないと思ったのだが、写真の件については彼女は何も触れていなかった。ドラックして反転して調べてみたが、これといって特に何か書いてあるわけでもなかったのでメールボックスにメールが届いているかどうかだけ調べようと思い、オンラインの無料メールのページとパソコンに入っているメールボックスとをほぼ同時にダブルクリックして開く。と、パソコンの方のメールボックスに一通だけメールが来ていた。差出人を見ると、案の定内海だった。件名は無い。メールを開くと、まずは謝罪の文が目に入った。なぜか罪悪感に駆られた。
 メールの内容は以下の通りだった。


 『私、今日から旅行に行くんですけどさっき携帯水溜りに落としちゃったのでパソコンからメールします。写真の人は寺田航さんと言って私のはとこなんですけど、とりあえず会って話してあげてください。それでは、さようなら』


 会って話してあげてくださいと、安直に言われても初対面の男とどう話せと言うのだ。と風香は眉間にしわを寄せた。
 と、同時にニュースキャスターが芸能の記事を読み始めた。
 特に興味はなかったのであまり聞いてはいなかった。


 日曜日、遂にこの日が来てしまった。取り敢えず普段着で行くのは気が引けるので普段着ない黒のワンピースを箪笥から引きずり出してきた。その上から適当に寒くないようにベージュのスプリングコートを羽織り、その辺に転がっていた黒のブーツに足を入れる。
 現在時刻、午前9時30分。公園まで普通に歩けば25分なので多分五分前には付くだろう、と風香は計算してみた。取り敢えず何処かによるかもしれないので、財布に二千円を忍ばせておく。何事にも前準備は大事だ。
 公園までの道のり、風香は何故こんな事態になっているのか考えた。
 そもそも内海の奴が意味の分からない相談をしてきたのがきっかけだった。
 しかし、それにしても初対面の赤の他人と会って話せとは滅茶苦茶な頼みごとを受けてしまったようだ。いや、正確に言えば赤の他人ではなく友人のはとこだが、こちらはあった事が無いので赤の他人に等しい。
 交差点を曲がった所で、写真の人物らしき男が公園に入っていくのが見えた。実物を見た率直な感想だが、やはり女にしか見えなかった。しかし、『航』という名前から推測すると男の筈だよな、と思いながら風香は公園に近付く。
 綺麗な桜が咲いていた。先日までは暖かい気候が続いていたので満開の綺麗な状態にある。
 その下で、寺田らしき人物が待っていた。黒い丈の長いコートを着て、ぼんやりと桜を眺めている。
 何だか絵になるなあと、ふと思った。
 寺田がこちらを見た。どうやらこちらの存在に気付いたようだ。
 寺田が手を振っている。どう反応すれば分からないので、取り敢えず軽く手を上げて振った。
 寺田がこちらに駆け寄ってきた。いやいやいや、少しぐらい木の下で待ってればいいじゃないか、と風香は思う。
 「君が宇佐美風香さんか」寺田が話しかけてきた。
 「ええ、そうですけど」風香が答える。
 「君に渡さないといけないものを瑠菜から預かってるんだけど、あの喫茶店にでも入りましょうか」
 ほら、外で立ち話をするにしても少し今日は肌寒いですから、と寺田が言ったので、これは妥当な判断なのだろうなと思って頷いた。実際問題、此処に来るまでに体の芯から冷えてしまって寒かったというのもある。
 今日は例年よりも少し気温が低いようだった。吐く息が白い。


 喫茶店に入ると、ウエイターが「何名様ですか」とお決まりの営業用台詞を投げかけてきた。それに寺田が「二人です」と答えると、「かしこまりました」と言う声とともに席に案内される。
 「ご注文がお決まりになりましたら、ベルを鳴らしてお呼びください」ウエイターがメニューの載っている冊子を開いてテーブルに置き、恭しく一礼して綺麗な姿勢で一歩下がる。
 「解りました」寺田が言った。
 ウエイターがモデルのようにカウンターに戻る。歩き方が綺麗だな、と風香はウエイターが去っていくのを眺めていたが、ずっと見ているのも失礼なので仕方なくメニューへと視線を戻した。
 「適当に頼んでいいですよ、支払いは僕が持ちますから」寺田が言う。
 「自分で払いますよ、申し訳ないです」風香が慌てて手を振った。
 「ほら」寺田がメニューの一部を指差す。「学生さんにはここの出費、少しばかり痛いでしょうからね」
 風香はぐっと言葉に詰まった。実際問題その通りなのだ。
 コーヒーが一杯で八百円というのは、正直、苦学生には辛い現実なのだ。しかし初対面の人物に奢ってもらうというのも少し気が引けるような気がする。
 「じゃあ、黙っているのは肯定と受け取りましょう」寺田が考えを見透かしたとでも言うように、にこりと笑う。笑うと余計に女に見えた。そして寺田は続ける。「ここは僕が男として払うべきところですからね」
 「わかりました、お言葉に甘えさせていただきます」風香はしぶしぶ寺だの言葉に従った。
 寺田がベルを鳴らす。先ほどのウエイターがやはり綺麗な姿勢で注文をとりに来た。
 「お決まりになりましたか?」
 「ホットコーヒーを二つとモンブラン二つとショートケーキとDXパフェを一つ」
 寺田が言う。先程よりも注文が増えていたような気がする。まさか、寺田が自分で食べるのだろうかと耳を疑う。見た目は凄く細い気がするのだが、意外と大食いなのだろうか。食べても太らない体質なら、その体質をぜひ私に譲ってほしい、と風香は思う。そして同時にそういう事を思っている人も多いのだろうな、と思う。
 「かしこまりました。ご注文を確認させていただきます。ホットコーヒーが二つ、モンブランが二つ、ショートケーキとDXパフェが一つずつということでよろしいでしょうか」
 寺田が、はい、と答えるとウエイターはやはり綺麗な姿勢でカウンターの方へ歩いていって厨房に入った。


 ニ・三分ほどしてコーヒーが来る。どうやらコーヒーはお代わり自由だったようだ。
 風香は一杯目のコーヒーを一口啜ると、寺田に問いかけた。
 「本題なんですけど、『渡さなきゃいけないもの』って何ですか」
 「ああ」寺田が一瞬驚いた表情をした後、コーヒーをガタンとソーサーに置いて鞄をガサゴソと漁る。「これだよ、これ」
 寺田が取り出したのは、小さな赤とピンクのチェック柄の袋。
 そして一通の『風香へ』と書かれた封筒。
 「なんですか、これ」風香が顔を顰める。
 「贈り物だよ、君への」寺田が女のようににこりと笑う。「開けてみたら」
 「……解りました。じゃあ開けます」
 風香が袋に手をかける。可愛らしいテープを破らないように破ろうとしたが無理だったので、袋を破らないように気をつけながら慎重に開けた。袋の中に手を突っ込んで出てきたのが、小さな箱だった。今度は紙箱についている包装とテープを慎重に剥がして開けた。箱の中身が何か高級そうなものが入っていそうな、高い絨毯のような感触の小さな蒼い箱だったので、ハッと息を呑んだ。
 「こんな高そうなもの貰ったら申し訳ないです」風香が慌てる。
 「ほら、いいから開けてみなよ」寺田は相変わらず女のようにニコニコと笑っている。
 何を言っても取り敢えず開けなければいけないらしいので、ひとまず包装紙を四つに折り畳んで包装用リボンと一緒に高そうなものが入っていた小さな紙袋に入れた。ゴクリ、と固唾を呑んで覚悟を決めた後に、私は箱を開けた。
 するとやはり高そうな銀色のネックレスがこちらを見ていた。私は焦って蓋を閉める。
 「も、貰えないですよ、やっぱり高かったんでしょう、これ」
 「遺産だから、君が貰わないといけないんだって」
 「え、ちょっとどういう意味ですか」風香が焦って聞き返す。
 「まあ、もうちょっと待って」
 寺田が言ったのと、ウエイターがカウンターからケーキを持って出てきたのは同時だった。風香は慌てて蒼い箱を紙箱に入れて袋に戻す。ついでに手紙も袋に入れた。少し出たがまあいいだろうと思って、机の隅に寄せておく。
 「お待たせしました、モンブラン二つとショートケーキとDXパフェになります」ウエイターが机の脇に立ってケーキを机に並べていく。「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
 寺田が、はい、と頷いた。ウエイターが領収書をさり気ない動作で机に置いて去っていく。
 DXパフェが意外と大きいサイズだったので、風香は愕然としながらDXパフェを眺めていた。高さ二十から三十センチはあるだろうと思われる大きさだった。これはデカイ。
 「モンブラン一つは食べていいよ、でも後は僕の分だから」
 「ありがとうございます」と言って風香はモンブランを一つ自分の方に寄せる。
 「いやー、寒い時は甘いものを沢山食べるのに限るな」寺田が満面の笑みを浮かべた。
 そしてスプーンでDXパフェを徐々に崩していく。どうやら寺田は見た目によらず食い意地が張っているらしい。さらに大食漢で、その上相当の甘党のようでもある。DXパフェが来てからパフェのクリームの部分を黙々と食べているので全く話さない。きっとこちらから話しかけるまでひたすら喋る事はないだろう、と風香は踏んだ。
 と、一瞬彼は顔を上げて手紙をスプーンで指した。読めと言うことだろう。
 風香は手紙に手を伸ばして袋から出すと封を切った。
 手紙には、内海の可愛らしくて癖のある丸い字でこう書いてあった。



 『風香ちゃんへ。
 突然知らない人と会え、なんて言って御免なさい。でも今風香ちゃんがこれを読んでいるって事はやっぱり寺田さんと会ってくれたんだね、ありがとう。風香の優しさに私は感謝します、本当にありがとう。
 私、メールで旅行に行くって言ったけど、アレは半分嘘で半分は本当のことです。エイプリルフールだったからね!
 多分もう風香ちゃんに会う事は滅多にできなくなるかもしれないな、と思うけれど体に気をつけて元気で生きていてください。私は遠くから風香ちゃんの事を案じています。
 そうだな、後はやっぱり手紙も色々と都合があってこれが最後になると思います。でも私の事は忘れないでね。きっと携帯も通じないままだし、メールもパソコンがウイルスにやられちゃったから暫く連絡は取れないかもしれません。
 だけど、一つだけ言っておきますね。
 風香ちゃんは私が出会った中で一番の親友でした。最後まで迷惑ばかり掛けてごめんね。
 P.S.ネックレスは貰って!
 私からのお誕生日プレゼントです。どうせ自分の誕生日忘れてるんでしょ? 内海瑠菜』


 「どういうことなんですか、これ」手紙を読んだ第一声は、それだった。「内海に何かあったんですか!」
 「家庭の事情だそうだ。野暮なこと聞いちゃいけない」
 寺田がキッとこちらを睨んだ。やはり深い事情があったんだろう、視線に耐えられずに風香は下を向いた。
 「ネックレスは……」
 「瑠菜から君への誕生日プレゼントだそうだよ、」DXパフェはもう既に食べ終わったらしく、残り半分ほどに減っているショートケーキを一口、口に運んでから寺田が言った。「だから貰っていってくれ」
 「寺田さん、あなた内海のはとこなんですよね」真剣な面持ちで風香が問いかける。
 「そうだが、何だい? 疑われてるのか」
 寺田がスプーンを口に持っていった状態で、目をぱちくりとした。
 「内海、生きてますよね」


 しばし沈黙。
 寺田は急に沈黙に耐え切れなくなったとでも言うかのように、むせながら笑いだした。
 「な、酷いじゃないですか、人が真剣に悩んで心配してるというのに!」
 「馬鹿だなあ、死んでると思うか? 奴はしぶといからな、今も何処かで生きてるぞ」
 ゴキブリ並みの生命力だからな、と言いながらショートケーキの最後の一口を食べ終わって寺田はモンブランに手を伸ばした。風香も手をつけずに残っていた状態のモンブランに手をかける。
 「あ、おいしい」と、まあこれが今まで食べたモンブランよりも数倍おいしかったので思わず思ったことを口に出してしまっていた。「だろ?」と、寺田が言う。
 内海が無事だと聞いたことによってできた余裕からか、風香は寺田に問いかけた。
 「そういえば寺田さんって仕事してるんですか?」
 「あれ、知らなかった? これだよ、これ」
 取り出されたのは雑誌。そして見せられたページに乗っていたのは紛れもなく目の前の男。
 「モデル?」
 私は訝しげに彼を見た。
 「ご名答、だから高校の単位落とさないように仕事は週に一回」
 「へえ、だから細いんだ」
 「そして安定した現金収入もある」
 多少彼は威張ったが、私は全く実感はなかった。まさか多少売れているモデルだっただなんて思いもしないだろう。しかも友達のはとこで今日初対面でよく分からない人が。私はもう一度雑誌に大々的に乗っている彼を見てから目の前の人物に視線を移す。そっくりそのままだった。


 「じゃ、たまに瑠菜の代わりに会いに来るから」
 「別にそんな事はしなくてもいいと思いますよ。そのうちストーカーで訴えられても私は責任とりませんから」
 酷いこと言うなよ、と寺田が嘆いたマネをした。既に寺田の更に乗っていたモンブランは彼の胃の中のようだ。
 私は残り三分の一となったモンブランを一口頬張る。
 寺田がベルを鳴らしてコーヒーのお代わりを貰っていた。確か三回目だ。
 二回目のは私が手紙を読んでいる最中に貰っていた気がする。
 私もコーヒーがなくなりそうだったので、ついでに姿勢の綺麗なウエイターさんに注いでもらった。



 そういえば今日が誕生日だったことなんてすっかり忘れていたと思いながら。





 「ああ、そういえば今日は誕生日だったっけ」
 今日が、あれから五年後の4月2日だということに気付く。今日は大学が春休みで休みだった。
 吐くと白い息を眺めながら、風香はぼんやりといろいろなことを考えていた。後から聞いた噂なのだが、どうやら内海の父がマンションの保証人か何かにされて色々と揉めていたそうだ。そのおかげで一時期は借金が数億単位だったようだが、大きな裁判で受け取った損害賠償の金額により借金を全額返済したという。よって、今は平和に暮らしているそうだ。
 が、しかし未だに音信不通で何をしているかわからなかった。
 ――懐かしいなあ。
 結局、毎週のように寺田は来た。今もまだ来ているが、門前払いをすることも時々ある。
 桜を見た。私には当時の桜の姿が忘れられない、と風香は当時に想いを馳せる。
 美しい薄桃色の花を沢山咲かせていたあの桜の姿が。


 「風香ちゃーん!」
 思い出にふけっていると、どうやら幻聴が聞こえてくるらしい。
 「風香ちゃんってばー!」
 内海が、私の名前を呼んでいる声が聞こえた。ちょっと、何かが……おかしい。妙にリアルだ。
 「風香ちゃん! ちょっと無視しないでよね!」
 「わ!」
 後ろから何かがずしっと背中に乗った感覚がした。内海は本物だった。
 「内海!」
 「そうだよ、内海瑠菜だよ!」背中にのしかかったまま、内海は答えた。「酷いよ、無視なんかして」
 内海が漸く背中から降りて、目の前に来たので風香は彼女に対して言い放った。
 「酷いわね、突然いなくなって」
 お互いにやはり沈黙があった後、同時に心配したんだからと言う言葉が互いの口から発せられた。
 全く、人騒がせな親友だったな、と風香は思う。
 「連絡ぐらい入れる暇あったでしょ」
 「忙しかったもん、宿題とバイトで」  彼女曰く、「バイトしないとやっていけなかった」のだそうだ。


 「もう、辛気臭い話ばっかりして、」内海はふくれっつらになった。「せっかく風香ちゃんと会えたんだから、今日はぱーっといきましょう!」
 「そうね、じゃあそうしましょうか」
 そして再会した私たちは、近くの喫茶店へと足を運んだ。
 きっと沢山話すことがあるんだろう。
 きっと沢山思った事があるんだろう。
 けれど話さなくとも今までに開いた五年間の距離は、きっと埋める事ができるはずだ。



 カランカラン、とベルが鳴る。
 明朗な内海の声が店内に響く。
 「お誕生日おめでとう、風香ちゃん!」
 私は恥ずかしさのあまり、頬が熱くなるのを感じた。





----------------------------------------------------------
先輩にあてて書いた文集に載ったやつ。卒業がテーマでした。