じめじめとした梅雨も終わり、その城には毎日のように姫様に婚約を申しこむ者の行列が出来ていました。その姫様は大層美人で思いやりがあり、武術にも長けていると町ではかなりの噂になっていたのです。まるで日本人形のようなその整った容姿に惚れこんだ者は多く、家臣たちはその人たちを追い払うのにかなりの労力を使わせられました。
 なぜなら、その姫様には許婚がいたからです。その者は隣国のアイザライズ・フィオールと言う名の王子でした。
 姫様は結婚式を今か今かと楽しみに待っていましたが、王様は不服でした。どうにかして、自分の娘の嫁入りを取り消そうと必死だったのです。
 そんな王様の所に運良く風の噂がやってきました。
「どうやら、北の街でドラゴンが暴れておるそうですぞ」
「それはまことであろうか」
「はい、まことであります」
「よし、王子がそれを倒したら姫をやろう」
「なんと、そんな無茶を」
「倒さねば姫はやらん!」
 王様は肘掛け椅子から勢いよく立ち上がると、足早に自分の部屋に戻りました。家来は困りました。そして姫様にこっそりと、その事を伝えました。姫様は怒りましたが、その伝言はどうやら隣町の王子まで伝えられようとしているとの事でした。
 姫様は隣町に行きました。勿論、王様には何も言わずに行きました。家来の者を引き連れて、漆黒の馬に乗って行きました。
 三日ばかり野を駈けて、隣町の城に着きました。ですが王子はドラゴン退治に既に出発していて、そこには居ませんでした。
「アイザライズ様はいつ頃出かけられたのですか?」
 姫様は言いました。
「三日前でございます」
 城にいた使用人は言いました。
「左様ですか」
「ここから北の国まで三日かかるのです。そろそろ北の国に王子がついた頃でしょう。防具に身を固めていかれましたが、ドラゴンに敵うかどうか…王子はあまり武術の得意なお方ではありませんでしたので」
「そうでしたか。それならば私がアイザライズ様の助太刀に向かいます」
 腰に差した刀を握り締めながら姫様は堂々と言いました。その言葉からは畏怖の念など全く感じられません。使用人は姫様の家来と目を見合わせた後に、こくりと頷いて城の中に入っていきました。しばらくして戻ってきた彼女の手には、深紅の指輪が握り締められ ています。
「これをお持ちになって行って下さい。魔除けの指輪です。私には少し予知能力がありますが、嫌な予感がするのです」
 使用人は言いました。
「いいのですか?」
 姫様はじっと指輪を見て「とても大切なものでしょう」と言いました。
「構いません」
「それでは、これを嵌めて行きます」
 姫様は指輪を右手の中指に嵌めました。そして使用人と家来に別れを告げて漆黒の馬に跨り、王子がドラゴンと戦っている北の国に向かいました。
 道中で北の国から逃げてきた者たちの話し声が聞こえてきました。
「あのドラゴンはいい奴なんだがのう」
「アレを使えば交渉も早いものを」
「普段はドラゴンの奴も、あんな事せんのじゃがのう」
「王子もかわいそうにのう」
 アレとは、何なのでしょう。姫様は疑問に思いました。しかし、その者たちに話しかけようとした時にはもう遅過ぎました。なぜなら、その者たちは既にかなり後方に進んでいて話しかけることが無理だったからです。
 三日経ち、姫様は北の国に着きました。
 北の国は悲惨な状態でした。町の家々にはひびが入っていたり、屋根が吹き飛んでいてなかったり、中にはぺしゃんこに潰れている物もありました。地面では草が枯れ、炎が点々と燃えているのが見えます。それは家数件にも燃え移っており、赤々と燃えていました。姫様は思わず目を逸らしました。口を押さえて驚きと悲しさが一緒になって襲い掛かってくるのに耐えました。
 前方を見れば、深紅の炎の中に妖艶に光るドラゴンの硬そうな鱗が見えました。
 姫様はドラゴンに近付きました。すると、ドラゴンはこちらを向いてしわがれた声で言いました。何故かその表情は険しく、辛そうに見えました。
「お主がロザール帝国の姫君か」
「いかにも!」
 姫様は叫びました。そうでもしないとドラゴンまで声が届かないような気がしたからです。
「王子はこちらで預かった! 助けたくば、明日の朝「竜の巣窟」に来い!」
 何て事なのでしょう! 大変だわ、と姫様は思いました。取り敢えず数秒間、姫様が悩んだ末に「望む所よ」とドラゴンに言い放つと、ドラゴンは炎を吐きながら遠くの方に飛び去っていきました。
 姫様は考えました。
 どうしましょう、あれほど大きなドラゴンを倒す方法なんて思いつかないわ。だけど寝ている間に何か思いつくかもしれないじゃないと思い直し、姫様は眠りにつくことに決めました。
 そして翌朝。姫様は何か思いついたのか、満面の笑みで漆黒の馬に乗り「竜の巣窟」に向かいました。
「こんにちはー」
 言ったあとで姫様は、そういえば今は朝だから「おはようございます」の方が良かったかしらと思い直して、言い直そうとしましたが、それよりも早くドラゴンがのそのそと洞窟から顔を出したので、それをやめました。
「よく来たな、ロザール帝国の姫君よ」
 ドラゴンが言うと、口から炎が出て熱気が押し寄せてきました。姫様は、それでもめげずに言いました。
「王子はどこです?」
「儂の頼みを聞けば返してやる」
 ドラゴンはケフンと少し炎を吐きました。
「頼みとは何ですか?」
「実を言うとな…」
 ドラゴンの話の要約はこうでした。
 どうやら、先日食べた牛の骨が喉に突き刺さってしまい痛くて痛くて仕方が無かったとのことで、喉につかえている骨を取って欲しい。と言いました。しかし、姫様はそんな事をドラゴンに言われるとは想像もしていなかったので目を点にして驚きました。
「それではその骨、取り除きましょう」
 それでも次の瞬間、自信に満ちた表情で姫様は言いました。
 それから数分後、ドラゴンの口の中に姫様は右の腕を突っ込み、骨のある場所を捜します。ようやく骨らしい硬いものを見つけたので掴んで引っ張りました。
「火を吐くのをこらえて、息を止めて!」
 姫様はドラゴンに向かって叫びました。ドラゴンは苦しそうで、今にも炎を吐かんばかりの表情でした。
 姫様は懸命にそれを引っ張ります。汗が額を伝いました。それでも構わずに引っ張ります。しかしびくともしなかったので、更に力を込めて引っ張りました。汗はせわしなく流れます。五分か十分、もしくはそれ以上引っ張っていたかもしれません。するとどうでしょう。ポンという音と共に、唐突にその白い骨が抜けたのです。姫様は抜けた衝撃で尻餅をつきました。しかし、白い骨は手にしっかりと握り締められていました。
「やったわ、抜けたわよ」
「…なんと、これは」
「あら、これは骨じゃないわ!!」
 よく見れば、それは白い短剣でした。柄の部分も刃の部分も、全てが白い短剣でした。
「ラクシェの剣!! こんな所で目にかかれるとは思わなんだ。なんと珍しい」
 ドラゴンは姫様とその手に握られた剣を見ました。そして、ふときらりと光った右手の深紅の指輪に目を奪われました。
「お主、指輪の使い手だったか」
「これは借りた物なの」
「ふむ、通りで話が上手くいく筈じゃ」
 うんうんと首を縦に振って納得顔でドラゴンは言いました。はっと気づいて姫様は思い出したように言います。
「ドラゴンさん、王子を返してください」
「よし、いいだろう。その短剣と引き換えじゃ。城まで乗せて行ってやる」
「ありがとう、助かるわ!」
 姫様は短剣をドラゴンに差し出して、王子のいる奥の部屋に向かいました。そこに着くと王子はちょこんと部屋の隅のほうに座っていました。姫様が駆けつけると王子は言いました。
「僕を助けに来たのかい?」
「最初は助太刀に来たのですが、結果的に貴方の言う通りになってしまいました」
 姫様が言います。
「ありがとう。ところでイーフォラスは外にいるのかい?」
「イーフォラスとは?」
「ドラゴンの名前さ」
「貴方がつけたのですか?」
「いや、彼の元々の名だ」
 アイザライズ王子は立ち上がり、歩き出しました。姫様もそれに続きます。
「そういえば」姫様が言いました。「ドラゴ…いえ、イーフォラスさんが城まで運んでくれるそうです」
「そりゃ、ありがたいな」
 二人は外で待っていた赤いドラゴン、イーフォラスに馬と共に飛び乗って城に向かいました。城にはなんと一日で着きました。
 城の者たちは王子の帰還に喜んで、祝杯を挙げました。イーフォラスは「竜の巣窟」に戻り、姫様は指輪を使用人に返しました。
 そして数日後。雲一つ無い青空の中、両国の王様の立会いの下で、めでたく二人は結婚し末永く幸せに暮らしました。それ以来、ドラゴンが北の国で暴れることはなかったと言います。













-----------------------------------------------------------

後書き。

童話コンクールに出した物。 語尾が「です・ます」の、敬体は面倒臭かった。 しかし見事に落選。まあそうだろうなあ…。