夏の行事と戦う人々
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窓の外から聞こえる蝉の声がうるさい。本来ならば空調をつける季節に入ってきているのだが、空調費がかさむのが嫌で窓を全開にして対応している。場所は零番隊隊舎。他の隊舎からは随分離れた、他の隊舎に比べてかなり貧相な建物である。その中で雛菊宵離は頬杖をついて窓の外の青空を眺めた。 「忌々しいですね」 「どうでもいいから仕事しろよ」 即座に別の机で自分の仕事をしていた神楽淳の声が聞こえた。今回の書類整理当番は宵離と淳である。島田と賢波班では島田、泉と八雲班では八雲、奈倉と麗華班では麗華しか、それぞれ真っ当に書類整理をしないために、毎度毎度宵離と淳まで順番が回ってくる前に書類の山が築かれている。それをどうにか二人がかりで切り崩していくのがいつものパターンなのだが、今日は宵離がやたらとやる気に欠ける。淳は大きくため息をついた。 「真面目にやれよ、終わらねぇだろ」 しかし宵離は一言「そうですね」と答えてまたぐったりと机に突っ伏した。 「オマエな、今日夏祭りだろ、誰かと行くんじゃねぇのかよ」 宵離はイベントが好きだ。と言うより寧ろイベントに可愛い女の子を誘っていくのが好きだ。だからてっきり今日もすでに誰かアテがいるんだろうと思っていた。約束があるのであればいつまでも書類整理に油を売っている暇はない。淳も一応女の子である以上宵離が淳を書類の山の中に置き去りにすることはありえない。ということは予定があれば宵離はすぐにでも仕事を終わらせようとするはずだ。しかし、今度は宵離が大袈裟にため息をついて肩を竦めた。 「残念、いませんよ」 そう言って宵離は二日前を思い出す。 宵離の(正式な)彼女は四番隊副隊長虎徹勇音である。二日前、尸魂界に戻ってきたのとほぼ同時に夏祭りに誘おうと四番隊に顔を出した。宵離を宵離であると認識している隊員は殆どいないが、宵離をよく副隊長に会いに来る人物で、しかも隊長格からも一目置かれている人物として知っている隊員は多いため、すぐに副隊長に連絡がついた。忙しい中ではあるものの、どうにか仕事に区切りをつけた勇音は慌てた様子で駆けつけた。 「こんにちは」 「こ、こんにちは…じゃなくて、いつこっちに…!」 「さっきです」 慌てた様子が可愛くてつい軽い笑いがこみ上げてきた。勇音は大きく息をして上がった息を整える。宵離はそれを待って本題に入ることにした。 「ところで、夏祭りはお暇ですか?」 「え、えっと…」 言葉を濁した調子から暇でないことが見て取れた。おや、と思って続きを待っていると勇音はきょろきょろと言葉を探すように目線を動かして口篭る。宵離は言いやすいようにまた微笑んで先を促す。 「お暇でないようですね」 「は、はい…四番隊は祭りに出張診療所を立てる手筈になっていて、日射病とか、飲みすぎとか、喧嘩とか…毎年結構多くて」 「ああ」 納得した。最近夏祭りの時期に尸魂界に帰ることも滅多になくなっていたのでそういえば忘れていた。珍しく失態である。勇音は長身を縮こまらせて小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。可愛い恋人に心底申し訳なさそうに眉を下げてごめんなさいなどと言われて許せない男はいない。というか、いたら男じゃないと宵離は信じている。宵離は今までで一番優しい笑顔を浮かべて勇音の肩に手を置いた。 「構いませんよ。むしろ、大事な仕事を前に気を散らせてこちらこそすみませんでした。お仕事、頑張ってくださいね。僕も当日は書類整理で過ごしますよ」 「そ、そんな! 私の仕事のことは気にしなくても…」 慌てて顔を上げた勇音にまた優しく微笑んで宵離は手を離す。 「貴女にだけ寂しい思いはさせませんよ。では、暑いですから貴女も体にはお気をつけて」 そして勇音が「はい」と答えるのを確認して宵離はその場を後にした。 と、まぁこういう次第で愛しのマドモアゼルは今日も仕事だ。一旦断られた後では別の女の子に声をかける気は起きなかった。しかしだからと言って真面目に書類整理をする気も起きない。結果こうして部屋の中でぼんやりと過ごしているのだ。いないと聞いた淳が意外そうに「へぇ」と声を上げた。宵離は勇音のことに話が移る前に話題を変える。 「淳さんこそ、六番隊の彼はいいんですか」 すると淳が「はぁ?」と眉を寄せて聞き返してきた。 「恋次? 何でだよ」 六番隊副隊長の阿散井恋次は淳の幼馴染であり、宵離から見て間違いなく恋次が淳に片思い中である。しかし当の淳は一行に気付いた様子はない。 「まぁ、あいつ最近夏祭りがどうの言ってたからな、ルキアでも誘おうとしてんじゃねぇの」 これである。思わず「本気で言ってます?」と聞き返したところ「だから何がだ」と帰って来た。どうも本気で言っているらしい。かわいそうにと、いつもならば絶対に感じないであろう憐憫まで心に湧いた。やはり、自分は思った以上にショックを受けているらしい。宵離は突っ伏していた机から顔を上げて背筋を伸ばす。 「お、やる気になったか?」 淳がそう言ってきたが、宵離はそのまま椅子から立ち上がった。 「ちょっと出かけてきます」 「どこへだよ!?」 「散歩です、すぐ戻りますよ」 そして後ろから「おい! 何なんだよさっきから!!」とかいう淳の叫び声が追いかけてくるのも無視して宵離は零番隊舎を後にした。 外を歩いていても蝉の声がうるさいのも暑いのも変わらない、というか、寧ろひどい。気分転換に外に出てきたがこれでは転換にもならないなと宵離はため息をついた。元々汗などあまりかかない方だが、だからといって暑くないわけでもない。失敗したかなと思ったとき、遠くの方から祭囃子が聞こえてきた。ふらふらしているうちに近くまで来ていたらしい。一瞬迷ったが、折角ここまで来たのだからと宵離はそちらへ足を向けた。 歩くごとに周りが賑わっていくのがわかる。程なく道に二、三出店を見かけたなと思ったらすぐに祭りの脇道に入った。このまま店を辿れば本筋まで出られるだろう。祭り自体は嫌いではないが、今日のところはここまできたならもう十分だ。この辺りで引き返そうと思って元来た道を戻りかけた時に、ふと足がとまった。 …あれは。 宵離はそのまま人波を縫って近付くと、その肩に手を乗せて微笑みかけた。 「お久し振りです、恋次君」 「………どうも」 下を向いてずるずると歩いていた恋次は顔を上げて宵離の顔を確認すると、一瞬硬直した後呻くようにそれだけ言った。しかし、宵離は人に何と思われようが気にしない。少なくともその相手が男である分にはどこまで嫌われようと気にならない。 「どうしました、体調でも悪いんですか?」 「い、いえ、別に」 そう言って慌てて後ずさろうとする恋次の手が左肩を押さえていることに宵離は目ざとく気付いた。恋次の方も気づかれたのがわかったのかそれとなく左肩を隠すが、宵離は気にしない。 「怪我ですか! 喧嘩でもしましたか? 淳さんを誘うのに失敗したくらいで自棄を起こしちゃいけませんよ」 適当にそう言うと恋次は図星だったのか「うっ」と呻いて顔を伏せた。宵離が笑ったのを気配で感じたのか恋次が顔を上げる。 「いや、別にそれが理由って訳じゃ、一応非番でも死神ですし、怪我も別に全然大したもんじゃなくて軽くかすっただけで!」 「ほう、では随分辛そうに歩いていたのは淳さんも誘えずにとりあえず出てきては見たものの結局喧嘩に巻き込まれて怪我までした自分に落胆していたと」 そこで恋次は墓穴を掘ったことを悟ったらしく黙った。ややあって観念したように「その通りです」とうめく声が聞こえた。宵離は満足げに数回頷くとにっこり笑った。少し気分がいい。いつもなら全く持ってこれっぽっちも湧かないであろう親近感が少し湧いた。 「では四番隊出張所まで僕がお供しましょう」 すると恋次は露骨に顔を引きつらせた。 「え、いや、そんな」 「まぁまぁ、遠慮しないで」 しかし宵離はそんなことは無視して恋次の背中を押してぐいぐい歩き始めた。 四番隊出張所は結構そこここに立っていた。宵離は手近な診療所の入り口の幕を捲って中に入る。 「お邪魔します」 「よ、宵離さん!」 「おや」 目の前に勇音がいた。勇音は慌てて立ち上がると宵離の元まで来て、宵離が恋次を引っ張ってきていることに気付いてまた目を丸くした。 「阿散井副隊長…?」 「ああ、彼が怪我をしているのでね、お願いしますよ」 「いや、俺は別にたいしたこと…」 恋次が何かいいかけたので宵離は突き飛ばすようにして出張所の中に押し込むことで口を封じた。すぐに四番隊員がきて傷の具合の確認を始める。勇音は一瞬恋次の治療にかかろうかやめようか迷ったようだったが、傷が大したことないのを確認すると宵離の方に向き直った。 「あの…どうしてここに」 実際は散歩に出たら偶然恋次に会って、適当な出張所に入ったら勇音がいたのだが、そんなことは黙っておくに越したことはない。宵離はにっこり笑った。 「やはり、寂しかったので会いにきてしまいました。大丈夫、顔を見たら元気が出たので、すぐに帰りますよ」 「す、すみません」 勇音がまた申し訳なさそうに俯いた。宵離は首を振る。 「いえ、こちらこそ何度も仕事の邪魔をしてすみません」 そのとき、出張所の幕が勢いよく上がった。 「恋次!!」 あまりの声に出張所にいた全員が入り口に顔を向けると、そこには珍しく息を切らした淳が立っていた。 「淳……?」 恋次が呆気にとられたまま呟くと淳は一瞬驚愕したような表情を浮かべて、次の瞬間力いっぱい宵離の肩を掴んで叫んだ。 「宵離テメェこら! 何が恋次が大重体で生死の境だ! ピンピンしてんじゃねぇか!!」 「あ、本気にしちゃいました? すいません……いたいいたい淳さんちょっとそろそろ痛い!」 そのあたりで気がすんだのか、それとも呆気にとられる勇音を見つけたからか、淳はちっと大きく舌打ちをすると出張所を出て行った。全員は呆然とそれを見送る。そのとき宵離が急に口を開いた。 「で、いいんですか、行かせて」 その言葉に弾かれたように恋次が立ち上がった。そして一言「治療どうも!」と叫ぶと出張所から飛び出した。 「上手くいくといいですねぇ」 独り言のように宵離が呟いた。正直ここから先は自分の知ったことではない。上手くいこうがいくまいが後は二人の話である。ともあれ、ここまで見届けたら用事はすんだ。そろそろお暇しようと勇音の方に視線を戻す。勇音が慌てたように別れの言葉でも口に出そうと口を開きかけた時に、急に出張所の奥から声がした。 「勇音」 見ると今まで黙っていた卯ノ花がこちらを見て微笑んでいた。 「貴女は朝からずっとここにいるでしょう、休憩がてら、祭りでも見ていらっしゃい」 「隊長…」 勇音が呟くと卯ノ花は微笑んだまま頷いた。勇音はしばらく迷っていたようだが、やがて大きく頭を下げた。 「ありがとうございます、隊長」 「ありがとうございます」 宵離もそれにならって微笑むと、卯ノ花は「よろしくお願いします」と答えた。それに頷いて、宵離は勇音の手を取る。 たまった書類は自分が全力を出しさえすれば二分でカタがつく。だから今日淳と恋次が一日夏祭りに行こうと、自分と勇音が一日夏祭りに行こうと、どうってことはないのだ。 「行きましょうか」 「…はい!」 そう言って照れながらも嬉しそうに微笑むその笑顔に宵離も微笑み返す。そしてこれから何処へ行って何をしようか考えながら出張所を後にするのだった。 |
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2009/08/18 山田より、誕生日おめでとう |