「俺が、以前常人の感情が理解しがたいと言ったのは憶えているか」


 綺麗な夕焼けが広がっていた。開けた河川敷沿いの道を歩きながら私は思わずその綺麗さにすうっと目を細めながら不破君の方を振り返る。いつだったか、常人の感情が理解しがたいとぽつりと彼はこぼしたけれども常人の感情を理解している人が、一体この世に何人いるのだろうか。そんな事を問われれば、私は確実に理解していない方の人間に入る。完全に理解している人なんて至極稀な存在だ。大抵の人など、適当にその場の雰囲気に合わせて相槌を打っているに過ぎないのだから。確かその時はそう答えた。不破君はほう、なんて呟いて、そうか。と考え込んだ。その考えは無かったな、とその時の彼は言った。
 懐かしいと思いながら、私はぼんやりと懐古する。


 「覚えてる。常人の感情を理解している人は稀だって答えたと思う」
 「うむ、ならば話は早いが」彼は、少しだけ言葉を選ぶように間をおいて、話を続ける。「常人と非常人の感情の食い違いについて現在考えているわけだが、いかんせん多数派が常人、少数派が非常人という世間一般からの認識にとらわれ、客観的な判断による考察から結論に結びつける事が至極困難だ。参考にする文献もおそらくは作者がそのような常人と非常人についての認識に縛られすぎている。よって結論付けるにはまだしばらく考察する必要性がありそうなのだが、そのような感情の食い違いについてお前はどう思う」
 「またシビアなところを」
 私はくすくすと笑った。
 「む、そうか?」
 不破君が不思議そうに


 「是か非かと問われれば是だけど大地だから『普通』かな。質問の答えだけど、まあ要するに」
 そこで、いったん言葉をくぎり私は少しだけ言葉を選ぶ。取捨選択。
 「ここからはやっぱり私の個人的な推測でしかないけど、人間って言うのはさ普通分かり合えるものではないんだよ。本来、生まれた所も違っていれば育ってきた環境もバラバラで、家庭の事情だって今の世の中だったら千差万別でしょう。確かヒトは三歳くらいでその人の性格、思考パターンは決まるけれどそれに影響されているのは様々な生活環境だったり、あるいは食生活だったりもするわけ」
 「ふむ、」と、不破君が相槌をうつ。「聞いた事はあるな」



 「好き嫌いとか、そういうのは大人になって少しずつ変わるとか聞くけれど、まあそれは置いておくね。そもそもそんなバラバラな環境で育って、物事の感じ取り方とか受け取り方とか、そういうのが一致してる事が偶然でそれこそ確立で言えば何千何百分の一とかそんな感じでしょ。中でも大地みたいな天才肌は少し特例だから、何事も血の滲むような努力をして頑張ってきた常人の気持ちなんて分からない事になる訳。人間って言うのはそれでも妥協しながら人と助け合いたい精神を持ち合わせていて、一人では生活できないの。だから家族っていう一番小さくて身近な集団がある。で、さっきの助け合いたい精神が強い人、まあ要するに孤独に耐えられない人っていう見方もあるんだけど。集団の中の個体として存在したいっていう気持ちが強い人が多い。そうしてると、安心するんだと思うの。まああくまでも私の推測に過ぎないんだけど」
 一気に捲くし立てて、息が続かなくなったので私は息を吸う。



 「人間ってさ、心の強い人と弱い人がいるんだよね。私が考えるのは、前者が『非常人』と仮定する天才肌ないし鬼才と呼ばれる人たち。彼らは『常人』の気持ちなんて分からないし、何で自分たちに出来る当たり前の事が出来ないのだろうかと首をかしげる。それが『常人』と仮定する平凡な世間一般の人には耐えられない屈辱なんだって、きっと」
 「ふむ、要するに」不破君は少し考える。「の持論によればヒトは理解出来ないものだが、分かり合ったようなフリをして虚構の関係を築きながら生活をしていると言うことか」
 「まあ、私の個人的な意見でしかないんだけど」
 私は、そう言ってへらへらと笑った。そんな私のハッタリで構成されているかのように見える意見を、真剣に受け止めて考察してくれる彼だからこそ私はそんな彼に魅かれているのだろう。頭の良い人は、一度言えば察してくれるから好きだ。だからこそ私は彼と付き合っているんだろう。こんな私だからと、付き合ってくれている彼と一緒にいるのだろう。


 なんてしあわせなのだろう、
 と、彼の「なるほど」というセリフを聞きながら、ぼんやりと思う。















(20100605:ソザイそざい素材