「静雄さん静雄さん暑いですねちゅーしませんか?」
 「どうしてそうなるんだよ、あァ? 暑すぎて頭湧いてんのかコラ」
 「そうかもしれないですね、でもそうじゃないかもしれないですよ」


 扇風機の前に陣取りながら、わたしはへらへらと静雄さんに笑いかける。その瞬間に扇風機に一本髪の毛が巻き取られてしまったけれど、きっと将来これが原因で禿るなんてことはないと思いたい気もする。へらへら。ぷちん、と静雄さんの血管は切れていない。いつも通りのバーテン服でごろりと二人半程度の長さのソファを陣取っていた。静雄さんは気が短い方だというけれど、やっぱり少し他の人より長くいたせいか私的にはいつ怒るのかタイミングと言うものがあるみたいだってことが分かってくる。ような気がしている。そう、気がしていただけで本当はジイシキカジョウというやつなのかもしれない。しかしながら、わたしは最近気づいたのだけれど現実はわたしにだけ妙に風当たりが強い。誰かが楽しんでいるのだろうか、わたしはちっとも楽しくないのだけれど。


 普通に歩いていて道端でお財布をすられるのは、か弱いおばあさんよりもやっぱり私で、それを取り返してくれるのも相手にちょっとだけ行きすぎな制裁を加えるのも、やっぱり静雄さんしかいなかった。植木鉢が落ちてきてそれを私に当たる前に砕くのも静雄さんで、それから不良に絡まれたときに助けてくれるのも静雄さんで、出会ってからこれまで何度静雄さんに助けられたのだろうか。両手で数えきれないほどにトラブルに見舞われる私に、その度に駆けつけてくれた静雄さんに惚れない理由があるだろうか、いやあるわけが無かった。


 「ああもうすればいいんだろすれば」
 「はい!」


 予想外の素直な返事にやった!と思いながら立ち上がり、ぱたぱたソファに駆け寄っていけば、静雄さんはぷいっと寝返りをうってソファの背もたれの方に顔を向けてしまった。あれ、これからちゅーしてくれるんじゃないの、と疑問に思ったのもつかの間。気の短さにプラスして気の変わりやすい静雄さんはこんな事を言い始める。


 「…やっぱやめた」
 「えっ!」それではぬか喜びをしてしまったことになる。わたしは頬を膨らませながら「それはないですよ!」と、えいっという掛け声とともに静雄さんの肩を掴んでひっくり返した。これが伝説の『秘儀・フライ返し』である。油断していたのか静雄さんは簡単にひっくり返ったので、勢いでわたしはその上に乗っかってしまった。要するに天下の静雄さんを押し倒す形になってしまったことになる。あれ、これってもしかしてヤバい状況なのかな、と思えば、静雄さんの頬に血管がピキピキとうきあがっている。やばいというかまずいというか徹底的にまずい状況になってしまった。体勢的にも、ここで静雄さんが怒ったらソファが壊れかねない。むしろソファが池袋の空を飛ぶことになる。わたしのような運の悪い通行人に偶然当たって致命傷なんてことになってしまったら……。そう思ってわたしはぶるりと身震いした。


 「…これは静雄さんがわるいんです。自業自得です。おあずけは無理です」いっそのこと開き直ってしまえと、ぐいっと静雄さんに顔を近づければ、両者汗でしっとりとしたおでこがごつんとぶつかった。「あ、あと夏の暑さもいけないんです」
 「て、てめぇ……こんなことしてタダで済むと思ってんだろうな……」
 「だからちゅーしてあげます」
 「それだけじゃ済まさねェって言ってんだよ……その空っぽの脳みそにスポンジ詰めるぞ…」
 「色はピンクがいいです」
 「色なんて関係ねーだろ!」


 ぐりぐりとおでこを押し付けられて、おでこがひりひりとしていた。静雄さんはおでこにやすりでもつけたら生物兵器になるだろう。わたしは「大アリですよ!」と言うと少し顔を離してちゅっと静雄さんの唇に口付けた。「ほんと静雄さんって強情なんだから」


 「……何か言ったか?」
 「いいえなにも」
 「さアて、それじゃあお姫様の気も済んだようだしこれから本番といくか?」
 「えっ、聞いてないです何の本番でっ…! きゃっ」


 形勢が逆転した。いや、最初から主導権なんてなかった。ヒトラーもびっくりの独裁政治を行う目の前の男は、サングラスを外して狼のような鋭い目を細めてニヤリと笑う。こういう時の静雄さんは、何を言っても止まらない。ブレーキの壊れた暴走列車か、暴走自動車か、そういうものに例えると分かりやすいのだろうか。兎にも角にも、わたしは静雄さんに組み敷かれる状態で、腹掻っ切るぞ!と脅されている。アレなんかちがうかもしれないけれど、結果として何か脅されてるのには変わりない。


 「ひ、ご勘弁を!」


 無理を承知で命乞いをしてみたが、どうやらそういうのはやっぱりさっぱりきっぱりというべきか、空しくも通じなかったらしい。


 「そりゃ、無理な話だな」


 そう言ってニタリと笑う静雄さんに逆らえる者がいるのだろうか。いるとしたら、某折原さんくらいだろうか。いや、むしろ逆に殺されてしまうのだろうか。
 そしてその一件は、わたしの記憶に、すごい悪そうな笑顔を見せる静雄さんの表情と多くのトラウマを残した。





オルタナティブメランコリー















(20120628:) ぐいぐいいくヒロインもかわいくていいよね! ニャル子さんすき!