ぱちぱち、と瞬きを繰り返して彼女は目の前に並ぶ二つの将棋盤の駒の行方を見ていた。腕を組み直して銀を持ち上げ、右側の板で後手が△5三銀に攻め上がる。ぱちり、という独特の音が静寂に響いた。なかなか悪くない手だった。しかし、将棋は次の次の手もその次の動きも予想しなければ勝利できない奥の深さがある。こっちの手には負けない、と俺はけだるげに右側の駒をひとつ動かすと、それと同時に左側の駒が動いた。右のもぱちり、と小気味よく動く。


 「まぁ、今のあんたにとっちゃ悪くはねぇ手だよな」
 「ううん……やっぱりシカマルくんはすごいねぇ」
 お姉さんが敬服してしまうくらいに立派なアスマさんの弟子だよ、と彼女はケラケラ笑った。「はい王手」
 「はぁ」


 彼女の手駒の成り金が、先手の王を指していた。思わず間抜けな声を上げてしまう。先ほどまでそんな様子は全く見せなかったのに、いつの間にか周りから攻めあげられていた。怪しいと思っていたほうが囮だったらしい。銀も金も犠牲にするなんて気が振れすぎている。最終的に王手になればいいっていうのは確かだが、それまでに払った犠牲は戻ってこない。とんだギャンラーもいたものだった。ったく左の盤上でそんな展開にいつなったんだ、と思わず眉間にしわが寄る。それを見て彼女がまた面白そうにケラケラと笑った。こんな頭の軽そうな女のくせに将棋の成績で言えば俺とこいつは五分五分だった。53勝53敗2引き分けで、今の所どちらにも軍配は上がっていないが、この勝ち星を入れれば彼女が1勝多くなり、俺は前回に引き続いて負け越しだった。かっこ悪りー。


 「さっきのでシカマルくんが王将の警備を薄くしたから」
 ルンルン気分で私がひとつ勝ってるとはしゃぐは右の布陣の意味に全く気づいちゃいなかった。まあ俺にとっては左側よりこっちのが本命だ。気を取り直して盤を見る。この布陣を崩されることなく、また気づかれることもなくあったのも、一重に左の盤の犠牲のおかげだ。くわばらくわばら。心の中で念仏を唱えながら、俺は右の飛車で王を指す。


 「ほんとめんどくせー、王手」え、と彼女が間の抜けたような声を上げる。ぱちぱちと目を見開いて打ち上げられた魚のようにしている様子を見ると良く表情が変わる女だと思う。女なんてみんなそんなものかもしれないが。「アンタの隙ありすぎ」
 ニヤリと笑えば、ぱちぱちとまた彼女が瞬きをした。「わ、やられた」
 「これで54勝54敗2引き分けってところで痛み分けってとこだろ」
 「一瞬だけ私のが勝ってたよ」
 「ったく子供かよ」


 ぽりぽりと頭をかけば「シカマルくんのほうが年齢的に子供だよ」とむすっとしながら彼女がそっぽを向いた。だからそう言う態度が子供だって言っているのだが、おそらくは彼女に言ったところで聞く耳を持たないのだろう。馬の耳に念仏ってところだろうか。めんどくせー。俺が年齢的にも精神的にも一枚も二枚も上手なら、ちゃんとこいつは言うことを聞くのだろうか。聞かないにしても少しは変化するのだろうか。しぶしぶ頷く程度でも、俺にとっては前進なのかもしれない。めんどくせー、と心の中で呟いてため息をついた。この見た目からは想像できないような策士相手の愚策は、策士策におぼれて撃沈したところだろうか。


 ぱたぱたと将棋の駒を片付けるをほおづえをつきながら眺める。「今日はもうお終いか?」
 「もうご老体の私をいたわってよ。任務もあったしカカシ先輩とヤマトくんの相手するの面倒だったし体力削られるし今の手合わせで集中力も使い切っちゃったよ」
 「そりゃご苦労なこって、で俺の相手はどうでしたかご老体?」
 「まあまあ、その詰まった頭をもう少し応用して活用するといいね。左右同時に私に勝てないようではだめだよ」
 「へーへー。そのうちヒーヒー言いながら泣きついてきてもしらねぇからな」
 「そんなことはまあ無いかな、今んところは」
 「あー、そう」
 「そうそう」ふわあ、と小さなあくびを両手で押さえながら「じゃ、おやすみ」と彼女は縁側で横になって、そのままぐうすかと眠り始めた。ほんとうに突拍子もない行動に俺は「おい! こんなところで寝るな!」と立ち上がりながら叫んでしまったが、まぶたを閉じて三秒も経たずに彼女は眠りに落ちてしまったらしく、後にはすうすうという返事が返ってくるだけだった。(本当に、こいつは人の気も知らねぇで呑気な顔しやがって!)心から聞こえてくる悲痛の叫びも軽く流し、ため息をつきながら将棋盤をまたぎ、近くにあった上着を掛けて隣に座る。駒だけはきちんと片付けているあたり、彼女は少しだけ几帳面だ。


 「はぁ、マジで隙だらけだろ。こんなんで襲われても俺はしらねーからな」
 「はいはい」
 「って起きてたのかよ」
 「今起きた。こんなんで襲われても、のくだりから」
 「ほんっと変なやつだよなアンタ」
 「シカマルくんにだけは言われたくないよね、その言葉」


 空を見上げれば雲ひとつ無い快晴だった。
 面倒な女だとは重々承知の上だが、こうしてしぶしぶながらもつるんでしまう。めんどくせー、と呟きながらごろりと横になる。もう考えていても結論などとうの昔に出ていた。めんどくせー、めんどくせー。こういう感情が、一番厄介なことは自分が一番知っているはずなのに止められないのは一方通行の弱みからだろうか。ごろごろと転がりながら、けらけら腹を抱えて笑っているをさしおいて俺は一足早く寝てしまうことにした。考えるのもめんどくせー。





傲慢な依存















(20120710:) 仕事疲れてもう死ぬと思ってた所にメッセージが届くと嬉しくて感極まって泣きそうになります。将棋を調べ始めて難しさに死にそうになったのでシカマルさん挫折した。リクエストありがとうございました。